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もっと世に知られるべきスパルタ産後入院について

初めての出産から、気づけば2週間が経ちました。ここまでの日々が濃密すぎて、感覚的にはもう1ヶ月以上なのでは!?な気分なのでびっくりです。

もう二度とないであろう激動の日々を書き残そう!ということで前回の出産編に続きまして……

今回は産後入院編をお届けします。

そもそも出産時ってどれくらいの期間入院するのかも知りませんでしたが、私の場合は出産した日プラス5日間で、6日目の午前中に退院でした。

出産でダメージを受けた身体を回復させるには時間もかかるだろうし、まあこれくらいの期間は必要だろうな。健康的な食事をいただきながらゆっくり睡眠をとって、コンディションを整えていくんだろうな……と思っていましたが。


とんでもなかったです。


産後入院ってこんなに大変なの!?


誰も教えてくれなかったよ!?!?


なんなら出産以上の試練の日々だったよ!?!?!?


全てが終わった今、ありがたい期間だったなあ……あの期間のおかげで今があるなあ……と思えますが、渦中にいる間は泣きそうな日もありました。いや、実際泣きました。笑

そんな嵐のような日々を振り返ります。


「母児同室」1時間で怒涛のインプット

私が出産した病院では、出産した翌日から母と子が同じ部屋で過ごす「母児同室」を推奨していました。

全然知りませんでしたが、これは病院ごとにいろんな方針があるようで。病院が赤ちゃんを預かって母親とは別の部屋で過ごしたり、夜間だけ病院が預かったり……さまざまなパターンがある中でこちらでは基本的に24時間赤ちゃんと同じ部屋。

健診やシャワーなど、どうしても赤ちゃんを一人にせざるを得ない!というときだけ自ら申告して預ける、というスタイルでした。(トイレはどうなの?と疑問に思いましたが、毎回赤ちゃんの目を盗んでこそこそ行ってました……)

出産当日、本来過ごすはずのフロアの部屋が埋まっていて急遽別の階の部屋を用意いただいていた私。翌日になってようやくフロアを移動できることになったのですが……

移動して2秒後にはなんの予告もなく「母児同室のオリエンテーション」に案内されて。同じ部屋には出産日が近い、いわば戦友のようなお母さまたち。

そこから1時間、戦友たちと共に怒涛のインプットを受けました。

赤ちゃんの体温と体重の測り方について。

授乳の仕方について。

ミルクのあげ方について。

おむつの替え方について。

健診や沐浴について。

などなど……

配布されたのはたった1枚のプリントでしたが、その情報量はとんでもなくて。

「何か質問ありますか?」

全ての説明が終わって、助産師さんが一言そう投げかけたときには、部屋の中には沈黙が流れていました。

いや……そんな急に詰め込まれても……何がわからないのかもわからないのですが。

そう思っていたのは私だけではなかったはず。

この「質問ありますか?」はこの後何万回と聞かれることになりますが、パッとその場で言語化できないと「大丈夫です」と答えて何事もないように終わってしまい。どんどんどんどん自分の中でモヤモヤが溜まっていくという、負のループに入っていくんです。

そんなモヤモヤをいきなり言葉にできるはずもなく、早速実践を促され。我が子とぬるっと対面しつつおむつの替え方や授乳の仕方、ミルクの飲ませ方を助産師さんに習いながら初めてやってみました。

とにかく不器用な私は、周りの戦友たちの様子をチラチラみながら真似してみたりして。とてもじゃないけど一人きりでやっていけるとは思えず早くも不安でいっぱいに……

雲行きが怪しい中、いよいよ我が子との母児同室が始まりました。


寝ない娘と寝たい私
絶望感に襲われた初日の夜

口をパクパクし始めたら、おっぱいが欲しい合図なので時間に関係なく授乳をする。

ミルクは3時間おきに授乳室であげる。

おむつは黄色の線が青になっていないか、おむつの中が汚れていないか確認して替えてあげる。

慣れないながら教わったとおりに行動しつつ、合間に爆速でトイレに行ったりごはんを食べたり……想像していたゆっくりとした入院生活はどこへやら。こなすタスクがもりだくさんの忙しい世界に急に飛び込んだ気がして、そのギャップに戸惑いました。

午後には早速夫と両親が面会に来てくれましたが、ギャン泣きの娘への対応にてんやわんやしてゆっくり会話することなんてできず。両親もなす術がなく気まずそうな雰囲気で、早めに帰っていきました……

17時の面会時間が終わると夫もいなくなり、いよいよ娘と二人きりの時間に突入。本当に大変なのはここからで。

夕ごはんをなんとか食べ終えて、授乳をしつつ看護師さんによる体調チェックを受けたりしつつ……22時には消灯で部屋が真っ暗に。

個室希望が叶わなかったので相部屋でしたが、なんと私以外は全員妊婦さんということが判明。

計画無痛希望の方や、切迫早産のリスクで入院されてる方など事情はさまざまでしたが……自分のところだけ赤ちゃんの泣き声が響き渡る状況がとにかく申し訳なくて。特に消灯後は絶対に泣かせまい!!!と躍起になっていました。

そんな気持ちとは裏腹に、とにかく寝てくれない娘。横にするとすぐに泣き始めてしまい、授乳するか抱っこするしか大人しくさせる方法がなく。夜通し立ったり座ったりして、横になることさえ許されませんでした。

いよいよ明け方まで一睡もできず、部屋の暗闇も相まってとんでもない絶望感と孤独感に襲われた私。

ミルクをあげようとふらふらと授乳室に向かう途中に、担当してくれたシゴデキ助産師さんに遭遇できたことが救いでした。

「寝てないでしょ?いいですよ、預かりますからゆっくりしてください!」

私の異変に気づいて力強くそう声をかけてくれて。自分の睡眠を確保するために預けるなんて、ダメだ!と思っていたのでものすごい罪悪感でしたが、もうそんなこと言ってられなくて。

お言葉に甘えて2時間預けさせてもらえたおかげで、やっと睡眠をとることができました。

それをきっかけに、辛いときには遠慮せず預けてもいいのだと知りましたが……娘と過ごす夜の様子も病院のスタンスも、何もかもわからないことだらけの私にとってこの初日の夜はとにかく辛かったです。

そのまま朝が来て、午後夫が面会に来てくれたときには大分持ち直していましたが……夫に会う直前に訳もなく涙が流れてきたときには、自分で自分に驚きました。ああ、こうして産後うつ的なことは始まっていくのか。危ないなあ、と。忘れがちですが、自分自身も股は痛いし出血は続いてるしで身体ボロボロですからね……ホルモンバランスも崩れてることを考えれば、そりゃ正常じゃいられないわ、と。

産後うつなんて言うにはおこがましい序の口レベルの話ですが、自分を大切にすることが子育てにとっていかに大事なのかを実感できた瞬間でした。「ご自愛ください」の言葉はもう社交辞令として受け入れるレベルではなくて、本気で向き合わないといけないんだ、これからは。


言語化できないことが致命傷になる世界

暗黒の母子同室初日を含め、入院生活中は同じ台詞を何度も繰り返しかけられる日々でした。

「困ったことがあったら言ってください」

「何か気になることはありますか?」

「体調はいかがですか?」

どれも準備していないと、すぐには答えられなくて。うまく言葉が出てこないとついつい「大丈夫です」と答えてしまいがち。

でもこれが新米ママにとっては致命傷なんです。

わがままを言えば、明らかに大丈夫じゃなそうな状況を察して「大丈夫じゃないですよね?これで困ってますよね?」とケアしてほしいけれど、もちろんそんな訳にはいかず。

大きな総合病院なんてただでさえ常に人不足で回らないのだから、そんなことしてたらキリがない。

だから私たちから声をあげるしかなくて、「いざというとき用メモ」を作っておくしかないのだろうなという結論に至りました。

困ったことや気になることがあったら、その瞬間にスマホのメモ帳に打ち込んでおく。自分しかわからないような単語レベルでもいいから、とにかく忘れないうちに書き残す。

そうすると、いざ質問されたときにメモを取り出して伝えることができるし、もらった回答をそのまま書き残せば自分専用のマニュアルが完成する。

入院してしばらくしてからは、これを毎日実践してました。そもそも自分がどんな体調で、何にモヤモヤしてるのか言葉にして向き合うだけでも気持ちが整理されるので……これから出産を迎える方にはぜひおすすめしたいです。


本気で人を頼り、本気でご自愛する

途中で情緒不安定になりながらも、夫や家族を頼ってなんとか乗り越えられた入院生活。

今までの生活では「大丈夫」なフリをして、人にお願いするくらいなら自分が無理した方がむしろ楽だ……なんて考えがちでしたが。

この入院生活ではそんな悠長なことは言ってられなくて。自分を守るために、子どもを守るために本気で家族や病院のみなさんを頼る必要がありました。それが自分を大切にすることにもつながって、本気のご自愛が初めてできるのだなと。

そのためには何度も言っている「言語化」がやっぱり大事で。自分の状態をハッキリ言葉にしておかなければ人に何かをお願いすることも、自分の状態を理解してもらうこともできないわけで。辛いときであればあるほど、自暴自棄にならず言語化をあきらめないことが必要なのだろうなと思います。

ある日突然赤ちゃんを渡され、「はいどうぞ始めてください」と無茶振りで始まった母児同室の入院生活。

なんてスパルタなんだ……とはじめは絶望しましたが、終わってみれば「むしろありがたかったよね」「甘やかされていたら、家に帰ったあと何もできずに絶望してたよね」と深夜の授乳室で戦友の一人とも話をして。

本当にそうだったなあ、と今は病院の方針やずっと相談に乗ってくださった看護師さんや助産師さんたちに感謝しています。

とにかく、この出産と子育ての間に存在する「産後入院」という嵐のような日々は、もっと世に知られるべきだと思います。

このnoteが少しでも誰かの参考になったり、心の準備につながったりしたら嬉しいです。



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