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windy

振り返れば、風の強い場所だった。

どうすれば、
こんなに強い風が吹く、通り道ができるのか、
何度も疑問に思ったけれど、

春には、美しい、
夏には、爽やかな、
秋には、愁いを帯びた、
冬には、透けるような、
空気を創り上げていた。

だから、時に厳しく、時に優しい、
あの場所の風が、好きで苦手だった。


ほぼ雰囲気で選んだことに、自分でも戸惑うこともあったけど、
やはり、風の心地よさで、この場所を選んでよかった、と思う。


でも、場所が狭くなると、
風はさらに強くなって、息が窮屈になった。

初めは、息を潜めて過ごそうと思った。
でも、段々と息がしづらくなってきた。

そんな中、周りを見渡すと、
息がしづらいのは、私だけではなかった。

風が止まり、滞留していたからだった。

新しい風を入れて、この環境を変えないと、
と思っても、固着した風土を削ることもできない。

そうしているうちに、
物理的に、突風が吹き込んできた。

その風は、人と人との距離をも離すほど強かった。

とどかない。

その余波は、今も続いているように感じる。

人に風が巻き付いて、近寄れない、届かない、
近づきすぎると弾かれる感覚。

でも、自分に巻き付いている風の存在に気付いていなくて。

知らず知らずのうちに、誰かを傷つけていたり、
一方で、自分だけが傷つけられているように思ったり。

ありのまま、自分らしく、自主的に生きることは、
自分勝手に、わがままに、生きることではない、
と反面教師的に学ばされた。

また、北風と太陽のように、
自分の中に、太陽がもっと必要だとも。


結局、風に強さは、年々増していった9年間だが、
良くも悪くも教訓を与えてくれた、
心地よくも、風が強すぎる場所であった。

あと、数週間で次へ移動する今日この頃。


次の場所は、どんな風が吹いているのだろう。

きっと、弱くはない。

時には流される程、強いだろう。

でも、自分まで吹き飛ばされない様に、
ふわり、ひらり、と肩の力を抜いて、頑張ろう。


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