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unvisible

もう治っているんじゃないか、と思うことさえあるのよ。」

何年ぶりだろう。

母と落ち着いて、てんかんの話ができたのは。


私がてんかんだと診断された時、
「てんかんのことは誰にも話してはいけないよ。差別を受けるから。」
とすぐに言われた。

言われた私は、さらに傷ついた。

高校生だった、思春期だった。
薬の副作用で、思うように勉強できなかった。

何もないことで苛立つようになった。
ふとした瞬間に、泣くようになった。

元々の癇癪(かんしゃく)もちが、癲癇(てんかん)で、
親戚にも似たような人がいたとかいないとかで、
なんだか、そうなる運命なのかとさえ思った。

数年間、やさぐれた。

てんかんの話なんか、誰にも絶対にしたくなかった。


通院の年数を重ねると、医師が新しく変わるたびに、
「最初の発作からは、一度も発作が起こっていないですね。」
「だいぶ落ち着いてきましたね。」
と仰っていただく。

だから、母も、私自身も、
目に見えないことに対して、
診察をして、薬を処方して、
日々を過ごす現実に、
違和感を覚えてしまう。

てんかんは、私(娘)に存在するのだろうか。

薬を忘れずに服用し、
規則正しい生活習慣を送ることで、
概ね、普通の人と同じ生活を送れる。

薬が無くても、大丈夫なのでは。
あの時の発作は、夢幻だったのでは。

そう思ってしまうのも無理はないだろう。


私の中の、病気は、目に見えないけど、
確かに、ここにある。


最近、様々な人と関わって、
相手も、自分も否定しないように、
努めているからなのか、
だいぶ精神が、以前よりも落ち着いてきたように思う。


だからかな、今は良く見える。


母も、父も、相当傷ついたに違いない。
「もしかして、自分たちの所為かな」、と。

相当、自責したに違いない。



大丈夫。

お母さん、お父さんの所為じゃない。

恨んだこともない。

この unvisible は、
きれいごとだけど、
神様が、祖先が、私にくれたもの。

たぶん、私が思い上がらないようにするためにね(笑)。


私は、2人の娘で本当に幸せ。

てんかんなんて、関係ない。

もう一度、生まれ変わっても、
2人の娘として、
てんかん患者として、生まれたい。


日々感謝を忘れないように、
これからも、来世も、生きていきます。

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