なぜ追悼文にunderused? スティーヴン・キングのX(twitter)での投稿より
俳優のシェリー・デュヴァルさんが2024年7月11日に亡くなられた。スタンリー・キューブリック監督によるホラー映画の名作『シャイニング』に主人公の奥さんウェンデイ役で出演されていたことで日本でもよく知られている。
その『シャイニング』の原作者である現代アメリカを代表する小説家スティーヴン・キングが翌12日に自身のX(twitter)で以下のような追悼文を出されている。
(シェリー・デュバルさんが亡くなられたことを非常に残念に思います。素晴らしく、才能にあふれ、しかしそれが十分には活かされなかった俳優でした。)
underused?
これは追悼文としては極めて異例の選語ではないだろうか?underused...
その背景を推測してみると、おそらくキングが自身の小説『シャイニング』の映画化に強い不満を持っていたことが影響しているのではないだろうか?
なのでキューブリックが原作に忠実な演出をしていれば、もっと彼女の才能が活かされた役どころとなったはずだと。
そうだとしても追悼投稿の中にまでその思いが溢れてしまうというのも凄い話。
個人的にはキューブリック映画の大ファンでもあるので複雑な感情になってしまう。もちろん現代から見ると原作者とのコミュニケーション不足とか俳優を追い詰めるような彼の演出法に批判が向けられるのは理解できはするけども。。
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