鈍っている

最近日々がうまくいかない。
うまくいかないというか、3月までのわたしと比べてなにもかもが鈍っている。
3月までのわたしはよくもわるくも必死で、懸命で、自由で、楽しかった。
まわりからも肯定され、認められ、そこにいつづけるために頑張る必要はあったし、情緒が安定していたかというと微妙だけど、まわりが自分の価値を感じてくれている自信があったし、自分も自分の価値を感じていた。
それが今すべて0になった感じがする。


要因は3月に一度その環境を手放す決断をしたことだ。長年かかえていた身体的な問題や、その前に見ないふりをしていた問題を片付けて、のちに思う存分やりたいことをやるためにわたしは一度それを手放した。
そこには自分への自信のなさ(両立できない、まわりから認められるのは嬉しいけどわたしはまだ実力が足りない、まわりを好きになったからそのひとたちに並んでいたい失望されたくないなど)も関係している。
結局、物理的な理由より精神的な理由のほうが大きかったきがする。物理的な理由はただ手放すことを選択するための正当化の材料だった。


そして6月から中途半端にそれにまたかかわりだした。本当に中途半端。来年復帰するときに鈍っていないように、と不安を埋めるように始めたが、なおさら不安になっている。
3月までの勢いや自信や活力が消え、ただ過去の成功をなぞろうと思っては、できない自分に自信を失う。もはや3月までの一年間が無駄になったのでは?と思ってしまうくらいに鈍っている気がする。
わたしが頑張れていたのは3月までの環境だっからで、勢いだったからで、思い込みがあったからで、運がまわってきていたからで、まわりの助けがあったからで、まわりの優秀さにおいつきたいという気持ちがあったからで。
わたし自身のからだやこころに身に付いた実力ではなかったのではないか。
だとしたらこのまままたすべてうまくいかなくなるのでは?
3月までが奇跡の一年だっただけで、やはりわたしはまだ、ごみだめみたいなマンションのリビングで布団のうえで薄いカーテン越しに見えたベランダから何度も飛び降りようと考えた日々のなかにいるのでは?
15才のわたしの人生すべてがどん底でうまくいかず死にたくて辛くてただ泣き暮らした日々のなかにまた戻るのでは?
わたしは選択を間違ったのでは?


大きな決断を正当化するために今を精査しては過去と比べて自分のできなさやうまくいかなさに振り回される。
どうしたら一年間の奇跡に戻れるのか。なにをすればいいのか。どうあがけばいいのか。鈍っているあたまとからだとこころで考えて感じようとしてもわからない。 疲れている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?