皆の時間がとまればいいと思ってた15歳の頃の気持ち

結構ぐちゃぐちゃなきぶんで書いたので、いつになくとりともなく結論などはないです。

わたしのきろく。




中学三年の受験期に鬱になり不登校になった頃の記憶はひどく鮮明な部分と霧がかったようにあいまいなものとがある。
不登校、引きこもり。わたしは自分がそんなものになるとはつゆほども思っていなかった。小学生の時不登校を取り上げた番組を観た時は「結局自分が損するから絶対耐えられないしわたしには無理だな」と思った記憶がある。
無理もなにもなりたくてなった人なんていないのに。

最近自粛の影響と、去年一年いろいろやりたいこと含めて動いてた忙しさと比べて余裕ができ、部屋にいることが増えたせいかよくその頃を思い出す。
特にベッドに寝転んでいると、みぞおちからずんと重くなるような絶望感が身体を包む感覚。視界に映る天井。外の天気や空気を透かすカーテン。
全部があの頃を思い出させる。


あの頃私は自分の時間だけが止まっている世界で生きていた。15歳の自分がずっとその場にいて、外の世界だけがどんどん進んでいく。たまに来る友人からの連絡を憎たらしく思ったり、有りがたく思ったり。まったく別の世界の遠い話に思えたりもした。
ただ時間だけはたしかにずっと進んでいて、わたしだけが切り取られた部屋のなかで変わらないまま。
焦りと不安と絶望感が身体をめぐり、毎日朦朧とした意識のなかで死んだように生きていた。
もうわたしは終わった。
もうわたしはしぬしかない。
もうわたしの人生はない。
消えたい、死にたい、このまま空気に溶けてなくなってしまいたい。
わたしが死んだら葬式はしないでほしい。信じられる人間なんてひとりもいないのに、まるで友人のように泣かれたり、わたしの死を自己陶酔に使われたくない。
死にたい、死にたい、死にたい。消えたい。
生きてる価値がない。


カーテンからさしこむ日の光をみると涙が出た。胸が詰まって、腹のそこにおちた絶望でわらってしまう。あーーー人間って絶望するとわらっちゃうんだな、ってそのときはじめておもった。


無力感で立ち上がれなかった。毎日自分で自分を責めた。はやくころしてくれと願った。
実家は両親が共働きで忙しかったのもあり、お世辞にも綺麗ではなかったから、散らばった服やゴミにかこまれてごみ溜めにいるゴミになったきぶんにもなった。
なんでだろうなとおもう。動くしか現状は変わらないのに、ただただずっと悲しくて苦しくて、お前には無理だの声が身体を布団にしずめる。ずっとずっと泣いていた。今でも思い出すと泣いてしまう。


皆の時間が止まればいいと思っていた。わたしの時間だけが止まって皆の時間はすすんでいるのが悲しくて悔しくて重たくて耐えられなかった。


今、コロナの影響で2ヶ月大勢の人の世界が止まった。正確には在宅ワークが増えたり休校になったりしただけだけど、なんていうか、皆でなら許されるんだ、ってふと思った。
皆で休みになるのは許されるんだ。
15年間頑張って勉強して優等生やって、それは受験期に鬱になってなにもできなくなったたった数ヶ月で壊れて、まるで大罪人みたいなきぶんになったのに。
全部わたしの勝手な思い込みだったかもしれない。あの頃のわたしは自尊心がずたぼろでなにもしんじられなくて勝手に自分は終わったと思っていたから。
でも、だったら、コロナで学校いけなくなった皆と同じくらい、精神的な病で学校にいけなくなったり、私は違ったけれどいじめで不登校になった人たちや他にもいろんな理由で動けなくなっただれかのことも社会全体で考えてほしかったなってほんのすこしだけおもった。


みんなの時間が止まれば、みんなが気にするけど、ひとりの時間が止まっても誰も気にしない。だからわたしはあの頃あんなに悲しくて寂しくて絶望してたんだなって。


今は幸いわたしの時間は止まってない。自粛中も自分がやりたいこと含めてちょっとずつでも前にすすもうとしてる。
でもまだ15の私はずっとわたしのなかであの頃を抱えてる。
フラッシュバックって言ったらおおげさだけど、たぶんずっとこれとは付き合っていかなきゃいけないし、だからこそ気づくこともたぶんあるし、あの頃を私はもう全否定はしないけど。でもまだ肯定もできない。



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