死にたいけど生きたくて生きたいけど死にたくなる

軽々しく死ぬとか口にするなと言われるけど、これはずっと私の心に根付いていて、時によって強くなったり弱くなったりする。
三年前、わたしは本気で死のうと思ってた。毎日なにもできなくて、思考と身体と心が全部バラバラで、自分がなにしたいのかもわからず、なにをしてきたのかもわからなかった。
ただ布団のなかでいちどめにこの死にたさが続いた10代を思いだし、あの頃に死んでしまえば楽だったなと思った。
甘えだ逃げだって思考はわたしが一番繰り返してる。前向きになりなさい、と言われれば、後ろ向きな自分を責めるのだって何回繰り返したかわからない。他人の言葉はだんだん自分の言葉になったし、他人の目が自分の目だった。他人の言うことが正しくて、わたしのしんどさは弱さだった。
でもじゃあそれはいつなくなるんだって。弱さだと頭ではわかっても、こうすればいいって頭ではわかっても、それが身体と心に繋がらない。動かない身体と重たい心を抱えて、ひたすら回りつづける頭にぶん殴られつづけて、はやく捨てたいなとおもってた。この身体も心も頭も、必要ないから、はやく捨てたい。


三年前の11月、何もかも諦めて、次の誕生日に死ぬことを決めた。期限が決まったら楽になった。
百個やりたいことを書き出して、誕生日までにやろうとおもった。どうせ死ぬと思ったら急に楽になった。お金を貯めてずっと行きたかったロンドンにいった。たったの三週間。本当はもっと居たかったけど、自分の出せるギリギリだった。初めてパスポートをとった。初めて一人で国際線に乗った。初めて一人で誰も知らないところで生活した。楽しかった。
英語もままならないから最初はルームメートとコミュニケーションとれなくて、泣いたりもしたけど、なんとか話しかけて頑張って、一緒に遊ぶようになった。夜中に一緒にバーにいったり、ゲーセンにいったり。昼は語学学校でできた友達と観光もした。観たかった舞台の当日券を買って観た。当たり前に英語だから全部はわからないけど、楽しかった。
帰国前夜にスマホが割れて、電子チケットが出せなくなって、知り合った友達にスマホ貸してもらったり、いろいろめちゃくちゃなこともあったけど、楽しかった。


そのあともやりたいことをやった。
そしたら気づいたら誕生日が過ぎていた。
しにたくなくなった。もう少し生きたくなった。
生きてしまったら、また、先が見えてしまったら、また、余計なことばかり考える。
本気で死ぬつもりだったときのほうが、自分がどうしたいかわかった気がする。
今は、また、わからない。


でも結局わたしはこうやってしかいきられないのかもしれない。これを繰り返して生きるのかも。

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