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文章勉強会 2023年5月課題

※別noteアカウントから移動した記事です

某勉強会に提出する文章の外部保存用に、倉庫的にnoteへまとめることにした。
 そんな記録です。




課題「心のふるさとは忘れがたく」

 ふるさとを思うてみるが、困ったことに血縁や土地に縁遠い人生を生きてきた。思い出はあるにはあるが、そこに慕わしくなつかしい感情は少ない。

 なにものか無いか書き出そうと、愛用のクロッキー帳に鉛筆を構える。そうだ、これだ。


 高校美術科三年、素描の授業。入学以来、全生徒が木炭で指導されてきたデッサンであったが、大学入試で鉛筆デッサンが課せられる者は鉛筆に持ち替えた日のことである。

 すっかり木炭とガーゼに慣れ切っていた持ち替え組は、勝手が違う道具を使い熟せずにうんうん唸っていた。

 形の狂いを確認するため画板(カルトン)を彩画室から玄関外に持出し、少し離れて自分の絵を眺める。形もおかしいが、それよりも質感が出ていないことが気になる。思った色に鉛筆の黒を画用紙に乗せられず、呆然とする。受験まで間がない。苛立ちで息が詰まるようだった。

 同じように困惑する級友数人と、「使い方が見えないね」などとため息をついていると、その様子を見た担任だったか指導教師だったかが呆れたようにこう言った。

「君たち、木炭より鉛筆でデッサンしていた時間の方が長いだろう。木炭で描くなんて、たかだか高校入学してから3年にも満たないじゃないか。小学中学の美術と、高校受験で何を使ってデッサンしていたか忘れたのか」

 級友と顔を見合わせると、わあっと大きく声が出た。自らの思い込みで「難しい」といき詰まっていたのだ。私は手にしていたステッドラー鉛筆の青い軸を見た。友人は臙脂の軸のハイ・ユニを使っている。他の級友も、彼は緑の軸のファーバーカステルを、各々の鉛筆を持ち寄り、このシリーズのこの硬度はこんな色だ、同じ硬度でもこっちは画用紙の目が潰れて硬い印象になる。擦筆(さっぴつ)を使うとどうなる、等々、互いの鉛筆の特性を見比べ、描きつける芯の角度を検討しあった。皆が鉛筆に立ち戻り、息を吹き返した瞬間だった。

 

それから何十年と経った現在も、細々と絵を描いている。主な道具はパソコンと液晶ペンタブレットになったが、下絵やクロッキーは常に鉛筆である。

短くなった芯を削り出す手間を面倒に思って、シャープペンシルや鉛筆の芯を噛みこませて使う芯ホルダーなども試したが、持った時の重さや軸の太さが違う。そうなると、紙に走らせる鉛墨の乗りが変わってくる。

その違和感は極々些細なもので、操作性にも大体の描画にも全く問題は無い。無い筈なのだが、しかし、指先にいつまでも治癒しないささくれがあるようで、細微な違和感は苛立ちとなり気持ちよく描けない。結局、私はきょうも鉛筆をカッターで削り続けている。

現在は企業の商品開発が進み、デッサン用に芯を長く削り出す鉛筆削りが登場した。億劫だった手間が短縮されたのは嬉しい。しかしそれでも、より描きやすいへりを作るために、最終的にはカッターで芯先に手を加える。

いま、削る鉛筆はステッドラーだけではなく、ファーバーカステル、ダーウェント、ハイ・ユニと、高校生のあの頃から種類が増えた。私はきっとこれからも、鉛墨の色に帰り着くことだろう。

 

南風(はえ)たちて鉛筆のすみ匂ふ彩画室 明良

画用紙をはしるステッドラーの墨青く小指の底鈍色(にびいろ)はつもりゆく 明良




講評を受けて

・書き出しが大仰。晩年を迎えたものが書いたみたいになっているので注意

いわゆる「故郷の思い出」をストレートに書かず、「鉛筆のいろ」をふるさとの思い出とした理由が必要かと思っての記述だったが、確かに気負い過ぎている。ここは無くてもいいので、改稿時に再検討。


・絵を描くものにしか分からない内容になっている

何故「絵を描くものにしか分からない内容になっている」かは説明しがたい様子だった。
自分なりに読み返すと、
・専用の道具など名称だけで「どのようなものか」の記述がない
・鉛筆デッサンを選択した状況の説明不足
・なぜ、鉛筆のいろが「ふるさとの思い出」になるのかの説明がない
などの原因が考えられる


・文章自体は読みやすいのでがんばって

文法作法がまだ未熟なので褒めていただいてありがたい…。がんばります。


・俳句と短歌もよかったよ

こちらも基礎を勉強中です。初心忘れすにがんばりたい。ありがとうございました。


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