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全てを受け入れると楽になる② 〜他人からの言葉〜

 タイトルをつける段になって、ようやく気付いた。他人からの言葉を受け入れる話を書きたかったのに、自分自身のことを受け入れる話になってしまったと。それが書きたかったのも本当なので、そのままにした。が、本題はこちら、他人からの言葉を受け入れる話。

 さて本題と思ったけど、びっくりするくらい書くことなかった。しいていうなら、言葉の裏を読むすること、空気を読むことって生きづらいよと思う。

 言葉の裏を読む。一見すると、すごく素敵。京都なんか、この最たるものじゃないかな。私も昔はものすごーーーーーく、憧れていた。なんで憧れたのかな。暗号みたいでワクワクしたし、粋(いき)な気がしたのだ。そういうものに憧れるお年頃だったのだ、きっと。

 もしね、100%正しく読めれば、それで良いと思うよ。でも、そんなわけない。普通に話してたって伝わらないのにね。例えば「またデートしようね」と言われて。①(今日のデート楽しかったから)またデートしようね、なのか②(社交辞令で)またデートしようね、なのか。そのくらいは空気感でわかりそうな気もするが。恋する乙女は考え出したら止まらないのだ。

 この時点で2パターンだが、考え出すとどんどん増殖する。個人的には、増殖した部分は妄想と認識してる。妄想すると、いろんなことがプラスαされてくが、あくまで「またデートしようね」でしかないのだ。だから「またデートしようね」受け入れて「ありがとう、またね」この話、終わりくらいのもんだ。

 楽しい例えにしたくて、デートにしたけれど。例えば私が体調大丈夫?と聞かれたら、元気だよ、終わり。か、ちょっと良くない、終わり。か、ただそれだけ。そこにそれ以上の意味はないのだ。

 前回「つらいよね」の下りから、本題と逸れてしまった。のに、もう一度例に出す。私はなぜ「つらいよね」と言われて、モヤっとしたのか。

 私が「つらい」ことにされたから。私はみじんもつらくないのに、勝手につらくしないでという反発だ。冷静に考えたら、あなた頭悪いのねって言うのとなんら変わりないな。発言者から見て、つらいにカテゴライズするか、頭悪いにカテゴライズするか、ただそれだけの差だね。

 どちらにしても、相手の価値観であって私の価値観じゃない。だから、相手の価値観を押し付けられたのが嫌だった。

 おお、書き初めよりも言語化出来てスッキリ。なんて、自己満足してる場合じゃないね。体調、大丈夫?って問いかけは、別に価値観を押し付けられてない。ただ現状を聞いてるだけ。だから全く気にならない。

 ただし、ここで言葉の裏読みをしてしまうと、相手の価値観や気持ちを押し付けられてる気分になるんだろうな。あくまで想像だけど。少し前までは裏読みしてたのに、しなくなった途端、その頃の考えがわからなくなるね。

 たぶんね、カテゴライズされたことも気にならなくなる日が来ると思う。まだ未熟なので、それに反発を覚えるけど、相手の価値観の中で私はこのカテゴリーなのね、終わりってなる日が来る気がする。

 ここまで書いてて思うけど、考えんのめんどくさいから受け入れよう。それでいいよ。相手の言葉の真意なんて、本人にしかわからないもん。他人の言葉は受け入れる。そこに明確な悪意さえなければ、それでいいよ。

 なんか書きたかったことと最後だけ変わった気もするけど。言葉の裏を読まずに受け入れたら楽なのです。だって考えたってわからないし、相手の言葉の裏を読んで、イラッとしたって相手はそのつもりじゃなかったら、いろいろ無駄。

 昔は、この空想に対して喜んだり悲しんだりイラッとしたりしてたから、よくわかる。あの時間、クソほど無駄だったし、いらんかった。ただ、それがなければメンタル勉強しなかったから、そういう意味では必要な時間だった。生き地獄だったけど。

 そんな時間を過ごしたから、もう他人の言葉の裏なんか読まない。自ら苦しみたい人や、エスパーみたいに、ほぼわかる、自信あります!みたいな人は読んでもいいと思うけど。そうじゃない人はやめときましょ。素直が一番!

 さて。毎度のことながら、長くなった。空気を読むについては、また次回!

 

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