見出し画像

「今さら」コミュニケーションスキルかよ

「コミュニケーション」とひと言に言うけれど、少なくとも僕の仕事の中では、このコミュニケーションの支援や指導、というのは非常に多岐に渡ります。
 
 

そもそもコミュニケーションに躓きを感じてる人の「原因」からもう様々すぎる。
当然アプローチの方法も変わってくるわけで、なかなか煩雑ですね。
 
 

コミュニケーションについてはあちこちで述べられている事なんで、改めて僕なんぞが偉そうに言うことではないので、あくまでも自分の、あるいは自分が人を「支援、指導」する上で、定義として持っている「コミュニケーション」についての考え方を備忘録がてらに残しておこうと思います。
 
 
 
 

コミュニケーション≠手段、方法論

よく、支援事業所などでも「SST」などでコミュニケーションの方法論を教えたりしていますが、間違っちゃいけないのは、

コミュニケーションというのは、決して手段や方法論で括ってしまってはいけない、ということです。手段や方法論で論じれば論じるほど、人によってはそれが定型化し、マニュアル化し、コミュニケーションの本来の意味や意義から遠ざかります。

手段や方法論に括らずにコミュニケーションをとらえるって、すごく遠回りな気がしますが、まず方法論や手段論から入ることは止めたほうがいいと思います。



コミュニケーション≠会話、言葉

同じようなものかも知れませんが、コミュニケーションには「言語コミュニケーション」と「非言語コミュニケーション」がありますよね。
もちろん、会話や言葉選びも大事ですし、それは伝えていかないといけないことだと思いますが、くれぐれもコミュニケーションというものを指すものを「会話」とか「言葉」にしてしまってはいけないと思います。

主観かも知れませんが、コミュニケーションを会話や言葉に括りすぎてしまったことによるひとつの弊害が「メール」や「LINE」に代表される「コミュニケーションツール」の普及です。
もちろんこれはこれで大事なツールなんですが、人の温度感やら、コミュニケーション本来の目的みたいなものを見失っているような気がします。

現代ではSNSなども発達していて、道具としてこれを用いるスキル自体は正しく身につけておくべきだとは思いますが、コミュニケーションと「会話」「言葉」をイコールに伝えるのは注意したほうがいいと思います。
 
コミュニケーションって、言語非言語入り混じっていて、なおかつその人その人固有の“匂い”みたいなものが感じられるものです。


優しいキャッチボール

コミュニケーションのある意味の本質はこれだと思います。
いかに相手に受け止めやすいボールを投げられるかどうか、が本来的なコミュニケーションスキルなんです。
コミュニケーション、というのは、

「相手が受け止めやすい球を、お互いが探りながら投げ合い受け合うこと」

だと僕は定義しています。
つまり相手への優しさが必要で、もし支援指導をしていくとするならば、ここをまず伝えていかないと、と思っています。

手段や方法論にはおそらく「温度感」は込められていないと思うので、ここをどのように言語化して伝えていくか、ってことが重要で、これがなかなか伝えきれないから、どうしても手法に落とし込んでしまうのかもしれません。
(※まぁそもそもの定義自体が違うのかもしれませんが。)

「あなたが欲しいコミュニケーション、あなたは相手にしてあげてる?」が基本で、これを「返報性」と呼びます。少し似た言葉では「因果応報」とも呼びますね。
 

これは利用者からよく聞くんですが、「分かってもらえない」「もっと自分の事を分かってほしい」という感覚。
ちょっと厳しいのかも知れませんが、分かってもらいたい、という事は、「伝える」をまず身につけないといけなくて、不器用でも一生懸命「伝えよう」とする姿は間違いなく相手に届きます。 
少しアナログなように見えるかもしれませんが、ここに込められる「温度感」がコミュニケーションの一番大切なところで、「伝えよう」と、「分かろう」の懸命さが、コミュニケーションの本質なんじゃないでしょうか。僕はここをあえてスマートにはしないんです。
人間味を欠いた一辺倒のコミュニケーションスキルで勝負してしまうと、その先には「いかに上手にやるか」、の土俵しかなくて、それこそいろんな個性を持つ彼らには、なんか酷ですよね。
それよりかは、それぞれの人間味が生きた関わり方を伝えてあげたいです。


プライベートもオフィシャルも、基本は同じ

使う表現が違うだけで、コミュニケーションの本質って多分同じで、人との関係を築いていくには、オフィシャルだろうがプライベートだろうが、「優しいキャッチボール」をどれだけ行えるか、じゃないかと思います。
 

僕は普段、「就労」するため、つまり社会に出ていくためのスキルを基本支援指導していますが、オフィシャルなコミュニケーションスキル、というところでは本当にプライベートとは違う表現の仕方はお教えしますが、コミュニケーション自体が別な物のようには伝えません。
それこそ、別物のように伝えてしまうのは「優しい球」じゃないから。



「セルフハンディキャッピング」

最後に少しだけ番外編。
これ、コミュニケーション上でも、社会性においても実は結構転がっている話で、いわゆる「自分を正当化させるための言い訳」ですね。


実は僕も昔(いやー、結構最近まであったな)これが多くありました。
ただ、このセルフハンディキャッピングは、人とのコミュニケーション、というか信用をただただ損ねるものだから、あまりお勧めしません。
 
あと、もしこれを読まれている「支援者」の方がおられたら、利用者が発するこのセルフハンディキャッピングをやんわりと止めてあげて下さい。
多分、障がいと呼ばれる個性を持たれている方達は一番自分の事をそういう差別?的な目で見られるのが嫌だと思っていると僕は認識していますが、彼等がこれを発動してしまうと、つまり自分で自分の価値をわざわざ下げる行為になってしまうから。

そして、ちょっと皮肉っぽい言い方かも知れないけれど、このセルフハンディキャッピングは、誰でもしちゃいがちな事なので、僕達「支援者」自体がこれをしないように心がけないと、きっと当事者の方の信頼を下げると思います。
 
 

コミュニケーションについて少しまとめてみたけど、これも少しそしゃくしたら、座学プログラムにできるなぁ。
 
 
何かのお役に立てば幸いっす。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?