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何をすることが「支援」なのかを定義づけておく

久しぶりにうちの事業所に新人さんが入ってきたので、毎日業務をお伝えしたり利用者さんの情報をお伝えしたり、僕なりの支援についての考え方をお伝えしたり、ちょびちょびと所長らしいことをしています。


そんな中で、また改めてきちんと伝えないといけないなぁ、と感じたことがあります。

何をすることが「支援」なのかっていうことの【定義】です。


例えば利用者さんに訓練用の作業のやり方を指導するとします。
僕らにとってこれは、どこにどのような「支援」をしているんでしょうか?

指導はしたけれど、なかなか上手くできないとします。
僕らはここでどうすることが支援なんでしょうか?

みんなが作業を一通り覚えて順調に作業を進めています。
僕らはここでどういう視点で、何をすることが支援なんでしょうか?


行き届いた配慮は、どのような支援になるのでしょうか?

ビジネスマナーを教えて身につけてもらうことは、どういう支援なんでしょうか?

相談に来た方に応対することでどのような支援が見込めるんでしょうか?



これが正解!っていうものがある業界じゃないので、自分の中にどういう定義を持っておくか、っていうことが大事なんだろうな、と思います。
うちの事業所は、就労移行支援事業であり、それ以上に「社会に出て生きていくための力を身につけるため」の支援をする場所なので、どちらかというと手もあまり出さないし、そこまで口を出すこともない、側についていてあげることよりも分からなければ自分で相談しに行く、という事を身につけてもらいたいがために、あえて側につきっきりにならず負荷をかけることも支援として必要なときがあると考えている場所です。


実は手よりも「目」と「観察力」を使ってギリギリまで自分の力でやるのを待ったり見守ったりすることのほうが支援です。

すごく悩んでいるように見えても、自分なりに考えて、どうしてもだめだったら相談しに来る、というプロセスを本人が踏むことをじっと我慢しながら待つことが支援だったりします。

難しいですよね。手を出すべきなのか出さないべきなのかの判断。
待つべきなのか、聞きに行くべきなのか、っていう判断。


作業に例えると、
やったことがない作業だから、経験を何度か積むまでは教えたり、側についていることは、ある一定期間においては「支援」だけれど、経験を積んでいる方の側についていることは、「支援」じゃなくて近くにいるだけに、「依存」の誘発です。人によってはずっと監視されているような気がして「恐怖」になったりします。


つまり、支援というのは、「支援者」を軸にして「何が支援なのか」を定義するものじゃなくて「相手」と「目標」によってやり方を変えなければ「支援」ではなくなります。


難しい塩梅ですが、これは方法論で説明しきれることじゃないので、繰り返し繰り返し伝えていかないといけないなぁ、と思いました。


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