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支援を考えるということは、本人の未来を考えること

最近少しずつ行ってる、自分の大人援助についての考えや価値観、手法や視点などについて棚卸しをしています。
でも、何か学術的なものじゃなくて、現場論みたいなものとしてアーカイブ出来ればいいな、と思いながら書き残していこうと思っています。

前回の記事はコチラ




課題を解決する事だけが「支援」なのか?

支援を組み立てていく際に、よくされているのは【課題解決型】支援です。
シンプルに対象者の課題を見つけてそれに対してアプローチするという支援です。

課題をクリアしていっていれば良くなるよね、という理論だと思います。
まぁそりゃそうです。課題をクリアしていけばマイナスの要素は減っていくので理屈としては一見通っているように思えます。


でも、この「課題」というものをもう少し因数分解してみると少し見え方が変わります。


課題というのは、

① 今現状を邪魔する「何か」起因するものがある事象
② 今から未来に向かう上で阻害要因になる事象
③ 本人の思考や思想行動と、現状や希望のミスマッチによ
  り滞っている事象


くらいに大きく分かれると思っています。
つまり、課題と一口に言ってもどこの時間軸を見ての課題なのか、どういう状態を軸にしての課題なのかが全く違うんです。

さらに、起因するものが違うので、そもそもこれらを整理しなかったら本当の課題は見えてきません。


そしてもう少し踏み込むと、課題解決型の支援、というのは、その課題を解決するための「時間経過による状況の変化」というものを考えないといけません。
時間が経過しても変わらない課題と、時間経過によって変化する課題があります。
例えば経済生活という課題を考えてみると、収入が少なくて日常を担保できない、という部分は不変の課題だけど、もしお金を借りていれば、そのお金は日ごと利息が増えます。そして手持ちのお金は毎日の生活に消えていきます。
つまり、「収入が少ない」は不変の課題だけど、それによって起きる借金の増加やその日食べることができなくなるかもしれないという状況は変化があるということです。



課題解決型の発想で支援を組み立てようとすると、課題そのものを整理しなきゃいけない上に、時間の経過とともに課題自体が変化していくということも考えないといけないわけです。
さらに、「何に対しての課題」なのかによって、手をつける優先順位が全く変わってきます。


なので僕はあまり「課題」の方から見ていくことはしないようにしています。

短期的な支援を行うのであれば、ピンポイントの課題にリーチすればいいので分かりやすいですが、長期的な支援をする場合、課題の側から見てしまうと、毎日毎日が新たな課題の発見と対応になり、非常に煩雑な支援になりかねません。


対象者の支援を組み立てていく際に、課題から手を付けていくと、実は「課題解決」という手段が目的化してしまって、支援の方向性を見失いかねないなぁ、と思う事もあります。

課題を解決すること = 本人の生活や人生がゆたかになること 

というのは直結しているわけではありません。ここを履き違えてしまうと、
「課題は全部解決したんだから、あとはご自分でどうぞ」になりかねない。もしくは、課題解決をアプローチしている支援者側はどんどん課題を見つけて手を付けていこうとするが、対象者自体の心にも生活にも人生にもクリティカルヒットはしていなくて、すれ違いが起きてしまったりします。


そしてそもそも課題なんて生きていたらなくならないので、課題解決型支援というのは、一見手を付けやすそうに見えますし、ずっと手を付けていられるので、やってる感も支援者が感じやすいという「罠」もありますが、多分本当はめちゃくちゃ難易度が高いはずなんですよね。




目的志向型・目標志向型支援という見方

僕は基本的にある程度「ゴール」から支援を組み立てるようにしています。

僕は「就労移行支援」という事業体に所属していて、この事業は『2年間』という期限が定められているサービスなんです。
いろんなレベルの方が来られる中で、たった2年間の中であれもこれもをサポートすることはあまり現実的ではありません。

だから自ずと本当に社会の中で生きていくために必要な力を絞り込んで渡していかないといけません。

課題から見ていったら、どれも大事に見えるので優先順位が付けられなくなるんですね。
だって、大体どれも必要なことではあるので。


僕はいつも、

「どんな未来を迎えたいか」


を念頭において支援を設計します。

うちの利用者さんだと、就職の先には自立して一人暮らししたい、という方もいれば、もっと先の結婚とか子どもがほしい、などを思われる方もいます。
もちろんそこまで具体的な将来設計がない方もいます。

それでも、僕らはただ「就職」はゴールにしません。
ささやかなことでもいいんです。お金を貯めて車の免許を取りたい、毎年旅行に行きたい、好きなゲームを好きな時に買えるようになりたい、などでもひとまずはいいです。
その先にあるものに意識を向けてもらうこと、目的や目標を叶えるために頑張らないと、モチベーションにはならないじゃないですか。



「就職」とか「定着」とかは、僕ら事業者の側のゴールです。
利用者さんの生活とか人生はそこで切れるわけじゃないので、そこをゴールとして支援を設計したら、多分彼らは就労してしばらくしたら目的を見失います。


一般的にもよく言われるじゃないですか。


子どもの頃から、「いい学校行かないといけない」「いい大学行かないといけない」「いい企業に就職すれば勝ち組だ」みたいに育てられると、それが叶った瞬間に目標を見失ってしまう、みたいな話。
それと似たようなもんです。


その先にある「迎えたい未来」を一緒に考えて、そこからそのために必要な事を割り出していく。
どうやったって時間は有限です。それは、サービスの利用期限の問題だけではなく、対象者の人生の「時間」もです。


上述したように、課題なんて生きている限りいくらだって出てきます。
見つかったものから手を付けていたら、彼らの人生が前進するのはどんどん後回しになります。
課題を解決しない、というのが目的思考型・目標思考型の支援なわけではなく、目的や目標を明らかに定めた上で、そこに向かうためにクリアしなきゃいけない課題から優先して解決していきましょう、という考え方です。

対象者の「生きにくさ」に基準を置くのではなくて、「目的や目標」に基準を置いてやらなきゃいけないことを設計していきましょう、という話です。


多分、対象者の方にとっては、「生きにくさ」はもちろん解消したいことのはずですが、それよりも大事なのは、彼らが人生を前に進めることのはずなんです。
それはもしかしたら対象者自身もそこに目が向いていないこともあるかも知れません。「生きにくさ」、つまり課題の大きさや多さばかりが視界を覆い尽くしていて、自分の人生をゆたかにすることなんて考える余裕がないかも知れません。

だからこそ援助者・支援者がそこに目を向けた支援をすることが必要です。


要するに、支援者が目の前の課題に意識をとられることなく、俯瞰して対象者の人生を軸に考える視点が必要じゃないか、ということです。



今は制度サービスなどで種別が分けられて、役割も分けられることも少なくないですが、対象者の方の人生はセパレートすることは出来ません。
なので、援助や支援を行う側の支援設計ってどこかだけ切り取って考えることはできないと思います。

そういう視点をいつも意識して取り組めたら、と考えています。





いつもテーマが規則性もなくて予告のひとつもできなくて申し訳ないです。
僕自身の棚卸しなので、整理できた順になってしまうので・・・。


またまとまったら書きます。





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