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小説「Happy Trail」

 列車が大きな川を渡りきると、車窓の風景は再び野原が広がり、遠くの山並みが秋の色を呈している。

 四人掛けの座席の窓際に一人座って、流れる景色を見ている。僕の隣には、座席の背もたれから床に立てかけている、黒いビニール製のカバーにしまったキーボード。

 僕はこれから、街に行ってこのキーボードを引っ提げ、ライブをする。まだまだ駆け出しだから、呼ばれたところにはどこにだって行く。交通費さえ出してもらえたらいい。ライブの後に、自費制作したCDシングルを手売りする。いくらかの収入を得ることよりも、僕の曲をもっと多くの人に知ってもらうことが目的だ。

 場数なんていくら踏ませてもらってもいい。むしろ、どんどん踏みに行きたい。

 確かに、人前で自作の曲を披露し、歌うことは怖い。すべての人が僕の曲を真剣に聞いてくれるとは限らない。どれだけ心を込めてライブをしていても、客席から携帯電話の着信音や通知音が聞こえてくることはザラにあるし、ひどい場合は客席にいるまま電話を受ける人もいる。

 でも僕は、ライブを続ける。きちんと真面目に聞いてくださっているお客さんもいるのだから。マナーが悪い人がいようと、心をかき乱されてライブを台無しにしてはいけない。僕は自分のライブの場に、わざわざだろうとたまたまだろうと居てくれて、耳を傾けてくれる方々の為に全力を尽くす。それが、プロだ。

 今日、向かう先は大型商業施設の一角にあるイベントスペースだ。子どもからお年寄りまで、幅広い層のお客さんがいるだろう。おそらくみんな、お買い物目当てで来ている。でも僕の歌が、その合間にでも聞いてもらえて、頭のすみに残ってもらえたら、それでいい。
 僕の仕事は自分の音楽で、ほんのちょっとの時間でも、聴いてくれた人たちに、ハッピーな気持ちを届けることだ。

 どんな曲を歌おうか。合間にどんなトークをしようか。考えてもしょうがない。初めて行く場所だからって、頭の中でどれだけ準備しようと、その場の空気でいくらでも想定は覆される。
 だから鋼の心で臨むしかない。歌や演奏の練習は何百回だってしてるんだ。その技術さえ自信があれば、あとは情熱で勝負だ。

 車窓から見える風景が、少しずつ街の様相を呈してきて、どんどん僕の目的地が近くなっていることを自覚する。躍る気持ちの中に、ほんのちょっと恐怖も混じっているけど、僕は見てくれるお客さんたちの前で、真摯にキーボードを弾き、歌う。できることはそれだけ。
 みんなが聴いてくれていなくてもいい。でも、その場にいる誰か一人でも幸せな気持ちになってくれて、笑顔になってくれたらいい。
 それが僕にとっての幸せでもあり、きっと僕も笑顔になっているはずだから。


もしサポートをいただければ、とても嬉しいです。自分の幸せ度を上げてくれる何かに使いたいと思います。