cakes連載「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう」10/19付について思うこと
今日、何気なくスマホからツイッターを見てショックを受けた。
幡野広志さんがご自身のアカウントで、今cakesで連載されているweb人生相談の、今週掲載分の文章について謝罪されていた。その後、当該ページは削除され、代わりにcakesの編集長である大熊信さんからのお詫びの文章が掲載されていた。
この件についての相談文と、幡野さんの回答を読んだとき、数年前に勤務していた職場での出来事を思い出した。
詳しいことを語るのは避けるが、とある事情により私は職場内で孤立していた。
常に働いているのが苦しい状況でありながら、
「退職しても、別の職場が見つかるかどうか分からない」
という不安から、ずるずる続けていた。
周りに相談できる人は誰もいなかった。上司に話せば「大げさだ」とか「結局、一番悪いのはお前」とか、まともに取り合ってもらえず、挙句の果てには「あんたは話を盛りすぎる」とか「もっと冷静になって事実だけを言えばいい」とか指摘され、「どうせ分かってもらえないなら黙っていたほうがマシだ」と、セルフネグレクト状態になってしまっていた。
結局は体調を崩して退職せざるを得なくなったが、その後も自分の話をしかるべき人からまともに受け取ってもらえず傷つくことが多々あった。
話す相手を間違った自分が悪いと思って、そのような人たちと縁を切ってきたが、私が自分の受けた被害について話すとき、若干冷静さを欠いていたかもしれない、ということについては否めない。
そのうすぼんやりした自分への反省を、今回の相談への回答を読むことで、幡野さんがはっきりと輪郭をつけてくれたと思った。
私はどんどんこんがらがっていく自分の問題を、整理しきれなくなっていた。そして自分では何も考えられないほど思考停止状態に陥り、「話を聞いてあげるよ」と近寄ってきた人に延々と自分の話を聞かせ、疲れさせ、最後には雑に扱われるようになっていた。
自分の問題は、まず自分一人で客観的に考える癖をつけないとな、と思った。
幡野さんは回答文の最後で、まずは自分のことを見つめて整理してほしいという旨を書いていらっしゃった。
結局、自分の悩みを解決するために最初にすべきことって、それなんじゃないかと思った。
現在の問題を紙に思いつくだけ書いてみる。
書いたら、それらの問題について、しばし客観的に眺めてみる。
それだけでも、頭がスッキリしてきて、思考能力もいくらかは戻ってくるんじゃないかと思った。
まぁ、そんな暇もないとか、その紙をもし家族に見られたら大変なことになるとかいうケースもあると思うので、これはあくまでも私自身に対する自戒なのだが。
今回の相談者さんは、幡野さんに解決方法の提示より、まず共感してもらいたかったんじゃないだろうか。
もし採用されたら、cakesに相談文が載ることを分かっていたうえで、わざと内容をぼやかす、というか、幡野さんから見たら盛っていると思われるような表現をしていらっしゃったのかもしれない。
ご主人からのDVの内容も、もし詳しく書けばどこの誰だかはっきりわかってしまうような内容だったかもしれない。だからわざとあいまいで、複数の物事をざっくりまとめたような表現にしている可能性もある。
また、自分の辛い体験を具体的に書くことや話すことは、当時の記憶を無理やりに引き出すことであり、自分で自分を傷つける行為とも言えなくもない。
それでも、思いきって書いたり話したりするのって、読んだり聞いたりしてくれる人を信頼しないとできないことであって、その相手が全面的に受容してくれることによって、たぶんその傷は昇華できるんじゃないかと思う。
でも、もし相手から自分の話を嘘だの、大げさだの思われて、それを基にした厳しい返事が返ってきたら、もう二度と口なんか開くもんかと思ってしまうかもしれない。
以前、幡野さんは別の相談ではあるけど、「いつも読ませていただいています」と書いてきた女性に対して「それ、ウソでしょ」という返事をなさっていた。
まぁ、確かに内容は、過干渉な父親が自分と彼氏の結婚に反対していて「私はこれから何をすべきなのでしょうか」と質問するという、あぁ、自分の将来を幡野さんに丸投げしてハチノスにされるパターンね、と思ったけれど。
後出しじゃんけんになってしまうが、別に幡野さんを傷つけるつもりでもなんでもないだろう「いつも読ませていただいています」という言葉にすら「効果のない社交辞令なんて意味ないよ」と否定するのはどうなんだろうなぁ、と思ってしまった。
もしかしたら彼女は、幡野さんの相談を毎回読んでいた上で、父親のことを相談してきた可能性だってなくないし。
幡野さんは、人の嘘は簡単に見破れるという自負が多分あるんだと思う。
だからこそ怖いなって思うときもあるし、昨年の9月に実際お話させてもらう時までは、勝手に近寄りがたい存在だと思っていた。
でもなー、web上での人生相談ってたぶん限界があって、具体的なことを書いて身バレするわけにもいかないし、だからといって幡野さんのようなお忙しい方を捕まえて自分の悩みを聞いてもらうような機会なんてなかなか難しいだろうし、第一、このweb人生相談だって、確か週に100通ほど相談文が寄せられるらしくて、その中の1通として選ばれるのも相当な確率だろうし。
幡野さんが毎週選ばれる相談文は、ある時は子育ての悩み、またある時は恋愛相談、仕事やお金に関しての相談もあって、多種多彩だし、なおかつどの相談に対する回答を読んでも、最初は「自分には関係ない話だな」と思いつつも、読んでいるうちに心にグサリと刺さる言葉を書いていらっしゃったりして、毎回ためになっている。
先週の「面白い人になるにはどうすればいいですか?」という女性からの質問に対する答えは、ちょうど別のことで悩んでいた私の心にザクザク刺さる内容で、何度も読み返したいがために課金プランに入ったくらいだ。
ただ今回の件で、特にDVやモラルハラスメントの被害者や、その人たちをサポートする立場の人たちが批判の声を上げているのを聞いて「私も真剣に相談したことをまともに受け取ってもらえず傷ついたこと、たくさんあったな」と思い出した。
幡野さんの言葉だから信頼できると思考停止して、相談者さんと同じ立場だったときの自分が悪かったと反省するだけだった。
聞いている側からしたら大げさや嘘に聞こえる話でも、話している本人からしたら事実であって、まずは共感してほしい、そしてしばしの間でも安心感を得たいのかもしれない。
もちろん、聞いている側からしたら、それを続けられるとしんどくなって逃げだしたくなるだろうし、耐えられずに厳しい言葉を相手にかけてしまうこともあるかもしれない。
だからこそ、相談ってする側からしても、される側からしても、実はけっこう難しいものなのかもしれない。
今回の件が、もしかしたらこっちが思っているより結構な大ごとで、11月に出版される予定の、この連載を書籍化したものの第二弾も出版停止もしくは延期になったり、毎週の連載も打ち切りになってしまうなら、それはそれで悲しい。
幡野さんや大熊さんがどんな選択をされるにしても止めることはできないけれど、この連載を毎週楽しみにしていたかつ、生きる上でのヒントをたくさん頂いていた身としては、とにかく今はつらいだろうけど、続けてほしいと勝手に願っている。
もしサポートをいただければ、とても嬉しいです。自分の幸せ度を上げてくれる何かに使いたいと思います。