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”劣化するソーシャルワーク”に抗うために

少し遅くなりましたが、2020年もよろしくお願いします。

年始に、自職業の置かれているマクロな環境について考える時間を持ちたいと思い書いた,ソーシャルワーカーと自認している仲間に向けてのエントリになります。約7割が先行研究等の紹介ですが、よろしければお目通しください。


1.劣化するソーシャルワーク


 ソーシャルワークの社会的使命とは何か. 国際ソーシャルワーカー連盟(IFSW)によるソーシャルワークのグローバル定義は「社会変革と社会開発,社会的結束,および人々のエンパワメントと解放を促進する」といい,そのコアな主張は,「社会正義,人権,集団的責任,および多様性尊重の諸原理」によって構成される.しかし,日本におけるソーシャルワーカーの実践現場に目を向けてみると,以下のような光景が散見される.

「要介護1の方は,うちでは受け入られませんので,他を当たってください」と入所相談を断る介護老人保健施設のソーシャルワーカー

「医療区分1の方は,入院ができません.それが決まりですので」と入院相談を断る医療機関のソーシャルワーカー

「病院勤務のソーシャルワーカーの真価は退院支援のスピードですよ」と口にする医療機関のソーシャルワーカー

雇用されている母体の法人から,自法人の関連通所介護を利用者に勧めるよう言われ,その通り実行する居宅介護支援事業所に介護支援専門員として勤めるソーシャルワーカー

「その年齢ならいくらでも仕事見つかるでしょう.生活保護は受けられませんよ」といわゆる水際作戦に加担する福祉事務所のソーシャルワーカー.

 上記の日本での光景は,グローバル定義とは程遠いようなものであるが,私たちソーシャルワーカーは,これらに特段の驚きを隠さないほどに慣れきってしまっているように見える.

 新自由主義による社会的ケアの市場化は,ソーシャルワークをケア・マネジメントに狭め(Ferguson2008=2012:31),ソーシャルワーカーは,格差,差別,支配,搾取,抑圧などに対抗する力を失いかけている.伊藤(2009: 1)はこうした光景を以下のように描写している。

「〈生〉の自己責任化を強調する社会変動によって,福祉国家は貧困と貧困者を社会統合の対象として包摂する意志を失いつつあり,むしろ福祉の名の下に貧困と貧困者を社会構想の構成要件から排除し,別の位相へ封じ込める役割を福祉が政策的に正当化しつつあること,別の位相へ貧困と貧困者を封じ込める尖兵としての役割をソーシャルワークが果たしつつある,というものであった.筆者はこうした現象を「門衛化するソーシャルワーク(socialwork as a gatekeeper)」と同定した.それは実質的な「ソーシャルワークの脱専門職化(deprofessionalisation of socialwork)」過程の進行形態であり,ソーシャルワークが「ケアの実践者」から「排除の尖兵」へと形容される所以でもある」.

 前述したソーシャルワーカーの行為はまさに伊藤のいう「門衛化するソーシャルワーク」であろう.しかし,それは,組織の方針や命令をもとに被雇用者としての役割を忠実に遂行していること以外のなにものでもない.ゆえに,その行為に疑問を抱き,ソーシャルワークの価値や倫理の観点から批判的に思考すること,それを可能とする知識を持ち得なければ,ソーシャルワーカーは,単なる福祉労働者,いわば,「防衛的な実践者(Banks2012=2016:215-6)」にとどまらざるを得ない.

防衛的実践者は,「教本とおりにやる(go by the book)」ことで,機関と法律によって定義される義務/責任を果たす.定められた規則と手続きに従ってきているならば,非難を受ける必要性はない.(中略)「私の義務(my duty)」を果たすということは,私が道徳的に正しい行為であると理解していることを実行するよりも,むしろ組織機関の価値は切り離される傾向があり,したがって,後者の価値がソーシャルワーカーの役割にあっては採用される傾向がある(Banks2012=2016:215).

 ソーシャルワーカーが,防衛的な実践者であり続けることは,脱専門職化のプロセスを早めるであろうし,その結末は,無自覚な「排除の尖兵」と化す道しか残されていないようにみえる.

 内省的実践者は,彼(女)らの実践に影響を及ぼしている支配的な専門職の構造に気づき,批判的な分析に対する彼(女)ら自身の知識と価値[に関する]要求を主題化する.このことは,経験された考えや専門的な実践に疑問をもつことや,いかに真実を追求することが培われるのか.いかに専門職とサービス利用者は信用でき,あるいは道徳的に相応しい人間としてふるまえるのか,いかに約束や義務を果たすことが行為を規定するのかを分析することにかかわるだろう.批判的な内省性は,現存する権力関係に挑戦し変革するための可能性と,福祉システムを変革するにあたってソーシャルワーカーに必要とされる役割に焦点をあてるだろう(Banks2012=2016:216).

 「自らをソーシャルワーカーだと自認するソーシャルワーカーたち」を取り巻く「環境」が,自らをソーシャルワーカーとさせてくれない原因だと気づくとき,教科書通りに「環境に働きかける」と口ではいいながらも,自職業を取り巻く環境にさえ影響を与えること/変えることができていない「矛盾」が立ち現れる.この矛盾を生み出している「環境」に目を向け,思考を試みること.それこそが,「内省的な実践者」への入り口であると言えるのではないか.

ソーシャルワーカーは,「ケアの実践者」から,限りある資源を合理的にかつ有効に使用するために多くのクライエントを抑圧・監視・管理する「門衛」になりつつある.それはソーシャルワークの「実践哲学」ではなく,単なる「制度行使(マニュアルの認識化)」に過ぎないものである.マニュアルを行使するだけの門衛に哲学はいらないのだから,配給(delivery)技術の重視と専門職養成課程での教育は社会認識(社会科学)を軽視してもよいということになるであろう(伊藤,2006:136)

 「こんなことをするために私はソーシャルワークに携わったのではない」(Ferguson2008=2012:3)と声を上げるためには,自らの行為への批判的な思考,それを可能とする知識を有していることが必要である.
 しかし,横山(2011)は,社会福祉士の養成課程において,社会構造への批判的な見方や,社会構造への働きかけを行う方法論としてのソーシャルアクションが軽視されていることを指摘しており,現在の社会福祉士や精神保健福祉士の養成課程は,ソーシャルワーカーを内省的実践者として現場に送り出すことができているとは言い難い状況にある.

2.社会福祉におけるソーシャルワークの役割
 

 社会構造を批判的に捉えることを試みるとき,ソーシャルワーカーもまたその構造の一部であることを忘れてはならない.ソーシャルワーカーは社会システムのどのような構造(structure)における,どのような部品(parts)であるのか.その問いについて思考する際の補助線として,吉永,今岡,星野(1976)が記した社会福祉概論を参照したい.

 編著者のひとりである今岡は社会政策論者である大河内一男の門下生であった.また戦後,社会事業学校のカリキュラム策定に関与し強い影響を与えた人物である(小池,2007:55).星野は昭和40年代後半,これまで社会福祉の主体と捉えられていた政策主体と援助活動主体に新たに「運動主体」を加えた主体論を提起した(稲葉,1999:3)

我が国現代の社会福祉は,国家の政策として現れる.社会福祉の政策主体は国家であるが,ここでいう国家は,資本主義経済を特徴とし現代社会を基礎とした国家,つまりは現代資本制国家である.したがって,現代資本制国家が対応する社会福祉の対象は,資本主義を特徴とする現代社会が生み出したものである(吉永,1976:98).
政策主体は,社会福祉の対象が資本主義の機構から生み出されたものであることを認めても,社会問題に根ざした要求とその運動に対立せざるをえないし,このような要求を現存秩序の範囲内で処理しなければならない(中略)生存権の実質的保障をうながす原動力は,資本側の運動になく,資本支配のもとで生活障害に苦しむ対象者(権利主体)たちの運動にある(吉永,1976:99).

 「現代資本制国家が対応する社会福祉の対象は,資本主義を特徴とする現代社会が生み出したもの」であるとするとき,ソーシャルワーカーは,「社会福祉の対象を生み出す資本主義の機構」たるものへの構造的,批判的な見方を得ることなしには,ソーシャルワークが,格差,差別,支配,搾取,抑圧などに対抗していくことは難しい.

 吉永らは本書の中で,以下図1,表1の通り,「社会福祉循環構造モデル」と称し,社会福祉の流れを図式化し,社会福祉の主体が各々,社会福祉の循環構造の中で,どこに位置するのかを示している.


図1

図1.社会福祉の循環構造モデル(吉永,1976:102)


表1.社会福祉の循環構造モデルにおける主体等(吉永,1976:95-97)から筆者

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 以下,少し長くなるが,吉永らが,社会福祉の循環構造について述べた文章を引用する.

歴史的・社会的に生成した福祉問題は,政策決定過程のなかに投入(input)され,政策主体の選択によってそれが福祉政策となる(output).このときの政策主体は,現代資本制国家であるから社会問題に根ざした要求(生存権の実質的保障要求)に対立する性格をもつ.政策決定過程は,政策主体の政策目標によって制御されるばかりではなく,運動主体の側の理念や選挙や福祉運動によっても制御されよう.

 つぎに,決定された福祉政策は,社会福祉法制度を準拠枠とする政策(行政)の執行過程のなかに投入(input)され,福祉予算化された施策となる(output).福祉施策は福祉の第一線機関(福祉事務所など),福祉施設に投入され(input),援助活動主体の実践(対象者への福祉サービスの供与,専門技術過程)をと教え具体的に執行される.

 さらに福祉政策とその執行は,フィード・バックされて再び援助活動主体や運動主体の側の理念と比較され,福祉サービスの漏れやずれが認識されて,つぎのあるべき施策の要求を可能にする.今日においては,主として福祉サービスの漏れやずれがあるところに民間福祉活動(主にボランティア活動)が位置している.

 社会福祉は,このような循環構造のなかで,福祉政策とその執行をたえずフィード・バックしながら変動し発展する過程としてとらえなければならない(吉永,1976:96-97).

 多くのソーシャルワーカーは,吉永らのいう援助活動主体として,福祉サービスを配給(delivery)する役割を担っている.

 ケースワーカーは,国家権力の支配構造の中に組み込まれている福祉事務所(官僚制組織)の一員として,社会福祉事業法等に定められた社会福祉主事の役割(職務)を果たすのである.それゆえにケースワーカーは,このような自己の立場を認識し,組織から相対的な自律性を獲得し援助活動主体となりえたとき,はじめて専門職員として自己を位置付けることができることになろう(吉永,1976:101)

 上記吉永の指摘通り,援助活動主体は,権力による支配やそれを統制する官僚制組織の構造的理解がなければ,防衛的実践者に留まり続けることになる.

社会福祉の循環構造において,ソーシャルワーカーは,防衛的実践者として,援助活動主体を担い,マニュアルを行使し黙々と配給(delivery)に勤しむ門衛と化している.ゆえに,このままでは,ソーシャルワークの脱専門職化(deprofessionalisation of socialwork)」は進行し,「ケアの実践者」から「排除の尖兵」への劣化は進むばかりであろう.


3.民間福祉活動とソーシャルビジネス
 

 吉永(1976)によれば,民間福祉活動は「戦前までの民間の慈善事業・社会事業は時代の制約によってその限界をもっていたが,実践活動を通して社会福祉にかかわる思想,社会事業の制度化,専門技術の展開や促進に寄与」し,「歴史的には民間が先行し,政治・行政があと追いしながら社会事業の体系化が進められてきた」として,「いまだ社会福祉法制によって制度化されていない先駆的な民間福祉活動」を評価しつつ,昭和以降,国庫補助を受け,公営事業の補充という性格をもった下請け化がはじまっていると指摘する
(吉永,1976:126-127).
 
 日本においては,1990年代以降の福祉基礎構造改革のなかで,保育所,高齢者介護,障害者福祉などの分野で次々に準市場原理が採用される中で,社会的課題を経済学的な意味での市場としてとらえ,持続可能な経済活動を通して問題解決に取り組むソーシャルビジネスの台頭が認められる.
 台頭の背景には,社会問題を市場(経済)ですべてを解決しようという新自由主義的思想があり,特定非営利活動促進法の成立,NPO法人数の増加,NPOに留まらず,SDGsやCSR(企業の社会的責任)や社会的企業の動きを受け,その担い手が広がっている.
 
 今野(2019)は,日本におけるソーシャルビジネスを,「貧困問題をはじめとする社会問題を『ソーシャルイノベーション」を通じた『ビジネスモデル」や『新しい仕組み」を構築することによって解決することを目指す実践が『日本型ソーシャルビジネス」であると述べ,ソーシャルビジネスが貧困問題などの福祉的課題を,「新たなビジネスモデルをイノベーション」することによって市場的(準市場的)に解決することが可能であると発想する点が社会運動と異なり,日本型ソーシャルビジネスが掲げる解決策は,貧困問題の根本的な解決を遠ざける,と批判する(今野,2019:61).

 松原(2019)は,「新自由主義の発展に伴い,NPO領域においても,事業の目標・成果などを,経済的な指標に置き換えられ,事業に対するソーシャル・インパクト評価などが導入されるようになってきている,結果,NPOは社会サービス提供機関・政府の政策遂行機関,いわゆる行政の下請化し,資源は得やすいが,政府に対する批判や主体形成は弱体化する」と指摘する.(松原,2019:3)
 イギリスにおいても,新自由主義によるケアの市場化を背景に,民間営利セクター,ボランタリーセクター間の競争,行政の下請け化による政府資金への依存がすすんでいることが指摘されている.(Ferguson2008=2012:102-115)

 ソーシャルビジネスの資金調達環境においては,社会課題解決の事業に特化したクラウドファンディングや,「ソーシャルインパクトボンド=SocialImpactBond(SIB)」が出現している.SIBとは2010年にイギリスで始まった民間資金を活用した官民連携による社会課題解決の仕組みである.行政サービスをNPOや企業に委託し,民間の資金提供者から調達した資金を基に事業を行い,事業が予め合意した成果を達成した場合にのみ行政から資金提供者に報酬が支払われる,というものである.SIBは,成果志向の事業遂行を促進する社会的成果(インパクト)評価とセットとされる.このように,ソーシャルビジネスを行う組織は,新自由主義によるケアの市場化やSDGsを背景とした経済・金融市場とも親和性が高いと言える.


4.ソーシャルワークの劣化を食い止めるために


 今野の指摘した通り,ソーシャルビジネスは,「社会課題を新たなビジネスモデルをイノベーション」することによって市場的(準市場的)に解決することが可能であると発想する.この点は,ソーシャルワークのグローバル定義における社会変革と相容れない点であろう.
 例えば,木下(2019)は,社会を変えるとは,「法律を作る・変える」,「状況(状態)を変える」,「慣習を変える」,「人々の意識を変える」の4点に整理できると提起する(木下,2019:211-218).市場的なソリューションのみが,社会を変革する方法では当然ながら,ない.

 ソーシャルワーカーは,現にある制度化された社会サーヴィスをクライエントに供与することだけがその本務ではない.このこと自体は勿論大前提である.しかし,現にある制度化された社会サーヴィスそれ自体も,制度化されるまでの複雑な政治的力学に基づく闘争(摩擦・抗争や抵抗)の産物であったことを忘れてはならない.その意味でソーシャルワーカーはそれ以外に,市民社会において沈殿し,その存在を認められずにいる人々の抱える問題を暴き出し,社会的に可視化する任務を負っているのである.また,同時にそのような問題を市民社会に広範に呼びかけて止揚し,新しい制度や実践を創造していくことにコミットしていくことが求められているのである.それらはいわば,ソーシャルワーカーに,かつて指摘された「社会診断家」としての役割と今風にいわれるところの「社会起業家」としての役割を両方担っていくことが求められていることを意味している(伊藤,2006:132).

 ソーシャルワーカーが,「社会診断家」足り得るためには,防衛的実践者から,内省的実践者への変容が必要であろう.重ねてになるが,日本において,現行の国に管理統制された資格制度の元では,社会診断家としてのソーシャルワーカーの養成は困難を極めるように思える.

 また「社会起業家」足り得るための武器もまた日本のソーシャルワーカーの多くは持ち得ていない.ソーシャルビジネス組織の経営管理において用いられているスキルの多くは,欧米のソーシャルワークの修士課程におけるマクロソーシャルワークのプログラムにおいて獲得できるとされているものと重複している(1).ゆえに,ビジネススキルを“社会資源”として活用することは,人権や社会正義を基盤とし,内省的実践者として「社会診断」を行い,社会を変革するための武器をソーシャルワーカーたちも獲得を一考する価値はあると考える.
 例えば,情報や支援が届きづらいクライアントに対するアウトリーチにおいては,マーケティングの手法の活用,アセスメントにおいて,クライアントの課題の整理することを助ける枠組みとしてロジカルシンキングやシステム思考の活用などが考えられる.また,インターベンション(介入)の段階において,ソーシャルワーカーが所属する機関の資源を活用する際に,自組織内の権力の分析や,資源獲得のための提案や交渉のスキルが必要である.コーズアドボカシーを行う際に,パブリックリレーションのスキルやメディアの活用方法などを知っていることは,実践を助けるであろう.
(また,本エントリでは取り扱えていないが,運動体による社会運動からも,私たちは学ばなくてはならない)

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 本エントリでは,ソーシャルワークの劣化と題し,新自由主義を背景としたケアの市場化がソーシャルワークに与えた影響,社会福祉における主体の役割を通してソーシャルワークの役割を概観した.

 社会福祉の循環構造において,ソーシャルワーカーは,防衛的実践者として,援助活動主体を担い,マニュアルを行使し黙々と配給(delivery)に勤しむ門衛と化している.
 ソーシャルワークの脱専門職化,「ケアの実践者」から「排除の尖兵」への劣化を食い止めるためには,ソーシャルワーカーたちが,防衛的実践者から,内省的実践者への変容が必要であろう.

その上で,内省的実践者たちが為すべきことは何か.

 本章において参照した,Ferguson,Banks,伊藤,吉永,今岡,星野らの論を踏まえ,私は,以下5点を内在化し,ソーシャルワーク実践を行うことを試みること.であると考える.

・防衛的実践者に対し,内省的実践者としての覚醒を求め,促すこと
・内省的実践者として,マニュアルを捨て,組織から相対的な自律性を獲得した援助活動主体として実践を行うこと
・運動主体として権利要求を求める実践を行うこと
・当事者団体等の運動主体と手を取り合い,実践を行うこと
・内省的実践者として民間福祉活動を興し,実践を行うこと 

 ソーシャルワークの構成要素は「技術」だけではない.価値や倫理もまた,人々がつながり,連帯し,結束して社会変革を行う上で,欠かすことのできない「基盤」であり,「武器」でもあることを忘れないでおきたい.


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(1).例えば,Boston UniversityのMacro Social Work Practice Coursesでは,以下の学習機会が用意されている.
https://www.bu.edu/academics/ssw/programs/macro-social-work-practice/


引用・参考文献
Banks,Sarah(2012)Ethics and Values in Social Work,4th edition,
NewYork:Palgrave.=2017,石倉康次・児島亜紀子・伊藤文人監訳『ソーシャルワークの倫理と価値』法律文化社.
F
erguson,Iain(2008)Reclaiming Social Work:Challenging Neo-liberalism and Promoting Social Justice,LosAngels:SAGE Publications.=2012,石倉康次・市井吉興監訳『ソーシャルワークの復権 新自由主義への挑戦と社会正義の確立』クリエイツかもがわ.

伊藤文人(2006)「包摂の実践者か,排除の尖兵か?-イギリスにおける脱専門職化するソーシャルワーク-」『現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要』113,123-141,

伊藤文人(2009)「ソーシャルワークと近代社会-ジグムント・バウマンの社会理論をてがかりにして」『現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要』120,1-33

稲葉一洋(1999)「星野貞一郎先生のご退職によせて」『人間の福祉 立正大学社会福祉学部紀要』第5号,1-3

木下大生・鴻巣麻里香(2019)『ソーシャルアクション!あなたが社会を変えよう!-はじめの一歩を踏み出すための入門書』ミネルヴァ書房

小池桂(2007)『占領期社会事業従事者養成とケースワーク』学術出版社
今野 晴貴(2019)『闘わなければ社会は壊れる:〈対決と創造〉の労働・福祉運動論』岩波書店

松原明(2018)「岐路に立つ日本の『市民社会』~『公共』はどこへ行く?~」http://www.jnpoc.ne.jp/wp-content/uploads/2018/07/163899d105baca87d84650407d3c7dc8.pdf?fbclid=IwAR2rDnams4C8Ym6NrA-ldUvbjox7ZFCVVCyd3dHbxRmxg6W802Kfoio9qeY

横山 壽一・阿部敦・渡邊かおり(2011)『社会福祉教育におけるソーシャル・アクションの位置づけと教育効果』金沢電子出版

吉野清・今岡健一郎・星野貞一郎(1976)『社会福祉概説』有斐閣


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