見出し画像

真の愛

真の愛は与えて与えて。与えても忘れるのです。多く与えることができなくて涙を流して残念がる。
非原理の愛は先に受けようとします。受けても受けたことを忘れます。
父母の指導力が求められます。父母の心情で無条件で与えること、投入するのです。
永遠に残す忘れることができない感動を与えれば地獄にはいかない。死ぬ前に心から感謝して、感動して、熱い涙を流してくれる人をどれだけ作るのか?それが問題です。
李ヨハネ先生は自分の親よりも愛して下さいました。開拓伝道任地まで来られました。100歳になっても走って抱きつくほど慕わしい存在です。人の記憶に残る人がどれほどいるのか・・・?人事移動後、涙を流すカインがいなければダメです。
夫婦関係が発展しているのか?衰退しているのか?
発展している人はいつも与える人です。どうして理解してくれないのか?アベルは理解してくれないといつも承認欲求を考える人は与えることはできません。与えて忘れて承認が必要ないのです。犠牲になって、為に生きて、助けようとして与える事ばかり考えるのです。国の指導者がそうだったらどうですか?

情の世界


心の目、耳、口を持ちなさい。情の目、耳、口です。
目は内容を見るのです。背後の苦労、先祖の苦労を考えるのです。関係性をみるのです。平面的にみてはいけません。過去と現代と未来を見るのです。動物も人間も情が移れば慕わしくなるのです。創造主が創造した万物は人間を喜ばせる為に創造されました。心情を中心として一つになれば離れたくないのです。教会が慕わしく、兄弟姉妹が慕わしく、家に帰りたく無くなる教会を作るのです。
信仰とは情が移る世界です。責任感、義務感では築けません。いくら原理が素晴らしくても、心情的に繋がらないと人は残りません。横に居ても、情が通わなければ他人です。

自分を否定、死のうとするものは生きるとは?
体が死んでも心を生きようとしなければなりません。お腹が空いても、体より霊人体を考えて食べなければなりません。肉欲を捨てなさいという事です。ご飯は体の為に食べるのではなく、心の為に食べるのです。

相手を私より尊く思うことが善だ

自分にか考えない人が悪です。自己中心なのです。ですから心で生きよう。夫は妻を貴重に思い、親は子供を愛し、子供は孝行するのです。与えるならば力が必要です。なぜ出来てないのか?伝道するときも、情が移ること、心情的な関係を結ぶのかが問題です。伝道しなければならないと思えば繋がらないのです。ねばならない行動は枯れてしまいます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?