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理系科目が嫌いな高校生が製品開発エンジニアになるまで②

高校生の頃に、「将来食いっぱぐれがない」と、父の甘い言葉に誘われて理系コースを選択したものの、理系科目が好きになれない(むしろ嫌い)だと気づいたものの、とある化学教師のお蔭でどうにか理系大学に進学できた私。

大学生活は、というと「THE★真面目」でした。

【大学1-3年】え、毎週実験実習あんの?

上期/下期で物理化学や、有機合成など分野が変わりつつ実験実習。そして毎週レポートの嵐。書いては修正を食らい、同じ実験グループの同級生として考察課題に唸りまくる。そして徹夜。

それでも普通にやれた私、若かったね・・・(遠い目

考察課題のパクリが多いからと、途中で手書きレポートに変えられて更に徹夜が増えたり、実験のサポート役だったTAさん(実験担当の教授の研究室の学生さん)にキャッキャ言ったり。それなりに楽しかった。

〇印〇品でバイトしてた時期もあったけど、1週間にレポート2-3個あるのがザラだったので、なかなか時間が取れないし、当時の店長がやたらとオラオラな女性でついて行けなくてアッサリ辞める。その後は大学でTAとかのバイトをちょこちょこしてた。

【大学3年の終わり】謎の敵対視事件

3年生の終わりに研究室配属決めがあって、各研究室の定員上回る希望者がいる場合は話し合いか、成績順の良い人から優先的に入れるルールになっていた。

配属決めの前は結構周りの様子を探って回る人が多かった。だって下手すれば自分の将来を決めることになる、この配属先決め。

先生の顔が広かったり、外部企業と共同研究している場合は、就職の際に有利になったりする。なので特に女子は必死。

私は、行きたい研究室を2つに絞っていて、本当に仲のいい友人1人にしか言ってなかった。しかし、周りの女子はなぜか

”○○ちゃん(=私)は△△研究室志望(私の中の第二希望)だって”

とのたもうた。え、なんかめちゃめんどいパターンやん。と思いながらも第一志望の研究室を選択。結局、定員オーバーの志望人数だったものの、成績順(実は結構成績優秀者だった私)で第一志望の研究室に入れたけど一部の女子より延々と

”○○ちゃん、□□くん(同じ研究室志望で入れなかった人)を蹴落とした"

など色々言われる始末。女子は怖いですね。実力社会だっちゅーに。

【大学4年~修士2年】完全マイペース研究室ライフ

大学4年では、学部卒予定の女子から未だにねちねちねち・・・しつこいっちゅーに。研究室違うし、関わること無いし、ガン無視。

研究室にも団体行動好きの女子いたけど、先輩や教授らと仲が良かったので普通にスルーして研究できた環境。しあわせ。

教授は化学系企業出身の人で、顔が広かったのでめちゃめちゃ厳しかったけど、国内外の学会にたくさん行かせてくれて本当に感謝。でもめっちゃ厳しかった(2回目)。徹夜したり夜中まで残ってゼミ資料とかよく作った記憶。でもめっちゃ厳しk(3回目)

夜、突発的に教授たちや研究室メンバーと飲みに行きまくって友達ん家に泊まるを繰り返してお酒に強くなった。

就活は、氷河期と言われた年だったけど、片っ端からメーカー系受けまくって今の会社に就職。理由は、内定連絡一番にもらえたから。他にも大きな企業の選考も進んでいたけど、東日本大震災で選考スケジュールが各社後ろ倒しになってしまってて、修論の中間審査がギリギリまで近づいてて、追い詰められていたのもあった。

モノづくりができる会社で、モノづくりができればどこでもいいや、というなんともゆるーい感じで会社を選んでいた。

まぁ、結果モノづくりできたから、私の就活の仕方は別に間違ってなかったのかなと振り返ってみたり。

こんな感じで社会人になりました。まる。

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