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【Forget-it-not】第二十二話「わたしはずっとむかしから知っていたのに」

 スマホで時刻を確認すると、十八時を回っていた。

「瑠璃っていつも何時に食べてるの?」
「二十時前くらいかな」
「けっこう遅いんだね」
「朝ご飯を食べないから、夜は遅い方がお腹が空かない」
「あーね。買い物とかはどうしてるの?」
「近所の商店に買いに行くのと、お祖母ちゃんたちが持ってきてくれる」
「じゃあさ、一緒にお買い物行かない? わたしの分を買わなきゃだし」

 瑠璃は首を右にかたむけ、不思議そうな顔をする。

「冷蔵庫にあるものを自由に食べればいい」
「瑠璃もうちで遠慮してたじゃん? お金を出さなくていいのかって」

 浅倉家にいる当時、わたしがお金は大丈夫だよ、と言っても彼女は納得せず、母の調理の手伝いをすることで罪悪感を克服していた。瑠璃がやっているてまえ、わたしもやらないわけにはいかなかったので、三人ですし詰めになりながらやるという、非効率的な作業をしていたのだけれど、それはそれでおもしろかった。

「それは、そうだね。それじゃあ、買いに行こうか」
「おっけぇ」

 わたしたちはすっかり日の暮れた田舎道へ出て、ふたり並んで静かに歩く。わたしは瑠璃のほうをちらちらと見て、彼女の表情や動きを観察する。

 彼女は目線を上に向けて歩く癖があるみたいで、いまは地上には興味がないといった風に、とおくの夜空を見上げている。でも、左手に持ったライトを白線の内側に向け、車道側をわたしと同じ歩度で歩いてくれているので、実際にはとても気を遣っているのだろう。

 瑠璃の前面にスポットライトが当たり、美しい陰影を描き出す。ブロードウェイかなにかの公演がはじまったのかと思ったが、前からハイビームの車が来ただけだった。車はもの凄い速度で車道を駆け抜け、それを追いかけるように冷たい風が吹き荒ぶ。

「少し寒いね」
 と瑠璃が口元を両手でおおい、白い蒸気を吐きながら言った。蒸気は降雪を巻きもどすように空へ儚く消えていく。わたしは両手をすり合わせ、
「ほんと、手ぇめっちゃ冷たいよ」
 肩をふるわせる。
「手を繋ごう」
 と瑠璃はわたしの左手をにぎり、そのままコートのポケットにおさめた。
「これで温かいでしょう?」
 十数センチ上から見つめられたわたしは、
「それはイケメンすぎでしょ」
 前髪をいじりながら目を反らす。となりから降りそそぐ熱視線に、頬がだんだんと温められていく。彼女の好意を受けとめるべく、細くて長い指をひしとにぎり返すと、手のひらから伝わる温度が増した。冷たい手と手が触れあうだけで、どこかから潤みを帯びた熱が湧いてきて、身体をとおりこし、心までもを温めてくれる。

 わたしはいままで人を本気で好きになったことがない。人を愛するには自分から歩みよる必要があるから、わたしには無理だと諦めていた。けれども、いまこの瞬間はそうは思わなかった。瑠璃となら素敵な関係を築けるんじゃないか、そんな期待を抱いている。さすがに、彼女に恋愛感情を向けるのはまずいだろうけど、愛はなにも恋愛だけではなく、友愛や親愛、姉妹愛、隣人愛、慈愛など、いろいろな種類がある。言葉が枝分かれしているということは、人間はその分だけ、あるいはそれ以上に、さまざまな愛を使いわけられるはずだ。

 わたしは瑠璃の腕にからみついた。瑠璃はちょっとおどろいたようだけど、なにも言わずに受けいれてくれた。わたしの心にはより温かな感情が湧きあがり、たとえようのない清福に満たされる。

 化学物質では到底計りしれないエネルギーを持った、謎の概念。お金にも言葉にも変えられない謎の感情。人と人とを繋げる赤い糸。

 わたしはずっと前からこの気持ちを知っていたのではないか。二年よりもずっと前。きっと生まれる前から。だからいまのわたしはここにいて、人を愛することができるのだ。

 もっと顔を寄せて、ちかくでわたしの顔を見てほしい。わたしをぎゅっと抱きしめて、愛してるって言ってほしい。そんな言葉が心の底から溢れでる。

 もちろん、わたしが瑠璃に向けるのは友愛だ。それも超々特大の友愛。だからなにも問題はないし、妹が主体的な行動を起こせるようになったのを、きっと姉も喜んでいることだろう。

 夜空に泛ぶ月は、ほとんど目を閉じていた。

 商店に着くてまえで手を離した。たったそれだけのことなのに、散りゆく桜を見おくるような切なさが胸を締めつける。わたしはすごく名残惜しいと思ったのに、瑠璃は涼しい顔をしているように感じてしまい――バカみたいな話だけど――悲しくて泣きそうになった。

 瑠璃が商店に入るなり、店主と奥さんが出てきて、彼女を笑顔で出むかえた。どうやら瑠璃の祖父とむかしからの仲らしい。瑠璃の住む家も、もともとは祖父の知り合いの家だったものを借りたのだそう。わたしは田舎の全員顔見知りの文化をうとましく思っていたけれど、それにもきちんと良い面が含まれているようだ。

 わたしも簡単にあいさつをして、それから野菜と果物と魚を中心に食材を選んだ。ひとりでは料理をする気なんて起こらないのに、いまはやる気に満ちあふれている。

 帰りはビニール袋のひもをにぎった。反対側を瑠璃が持ってくれたので、手に食いこむことはなかったのだけど、これくらいの重さなら、ひとりで持ってもいい気がした。

 家に帰ると、ふたりでカレーを作って食べた。瑠璃はふだん、肉食を中心としているらしく、ひさびさに食べたカレーの美味しさに感動していた。彼女の食事に対するこだわり、好きな食べものを聞けたので、今度こっそり練習する決意を固めた。姉は料理が苦手だろうから(もの凄い偏見だ)、こういうところで差をつけなければいけない。

 後片づけを済ませると、瑠璃は心の整理がついたようで、自身の過去について淡々と話しはじめた。


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