挫折からの立ち直りかた

先週、私は小説の新人賞に落ち、それはそれは落ち込んでいました。『私の二年間の努力が……』『いったいなにがダメだったんだ』『もうダメかもしれない』『私なんて……』

心のうちに次々とわき上がる絶望と落胆――その日は一時間ちょっとしか眠れず、闇のなかで悲しみに暮れていました。

しかしあることに気付いてからはすっかり立ち直し、以前にも増して希望に満ちあふれてきたのです(怪しげな口上ですねぇ)。

今回の記事では、いまからできる挫折からの立ち直りの方法を書いていきたいと思います。


挫折と失敗の違い

まず初めにこの記事の趣旨を明確にします。思ったのと違うやんけ! となってしまうとお互いのためになりませんからね。

挫折とはすなわち、夢や目標が叶わずに落ち込んでいる状態を指します。受験や就活に落ちる、立ち上げたビジネスの成果があがらない、創作系の新人賞に落選……といったものが該当します。

いっぽう失敗とは仕事でミスをして上司に怒られた、学校に遅刻をして注意されたという類のものです。両者は似ているようで対処の仕方が異なるので注意が必要です。

挫折の正体

数日前、私は新人賞に落選し、深い挫折感を抱えていた。私はその理由を「新人賞に落選したからだ」と思い込んでいたのですが、よくよく考えてみると全く見当違いの解釈をしていたことに気付いたのです。

それに気付いたのは翌日、せっかく書いた作品だしnoteにでもあげてみるか……お? 創作大賞なんてものがあるんだ、じゃあちょっと応募してみるか。よしよしOKだ。うーむそれにしても、せっかくアカウントを作ったんだし、なにか書いてみようかな。よし、それじゃあ他の人の役に立つ情報を書いてみよう! もしかしたらそっちのほうが向いているかもしれない!

すると私の心は綿あめのように軽くなり、陰鬱な気分は吹き飛んだのです。

どういうことかというと、あのときの私は「新人賞に落選したこと」に落ち込んでいたのではなく「新人賞を受賞したあとのウハウハな生活が無くなったこと」に対して落ち込んでいたのです。気分の落ち込みが無くなったのは、noteを書いてたくさんの人に見てもらえたらいいな、という希望の光が差したからです。

人はなにかに酔ってないとやってらんねぇんだ……

私の愛する進撃の巨人という作品のセリフにこのような文言があります。

みんな何かに酔っ払ってねぇと やってらんなかったんだな…

進撃の巨人17巻 No.134

そうです、私たちが挫折によって失っていたのは、ありえたかもしれない未来なのであります。私たちは日々、どうにか自分の人生を変えたいと努力をしています。苦しい努力を続けるには夢を持たなければなりません。いつかきっと報われるんだ、だれかが私を見つけてくれる……!

私たちはそれに酔うことで幸せを感じ、辛い人生を生きていけるのです。しかし結果がふるわなかったと思った途端、陶酔していた希望の光が潰える。それによって私たちは絶望し、挫折を味わうのです。

じゃあ、それなら、べつのなにかに酔えばいい。私がnoteで記事を書き、いいねをひとつもらって喜び、素敵なコメントをもらって乱舞したように、みなさんもなにかべつな夢をいだき、それに酩酊すればいいのです。

なにに酔うかは人それぞれであります。自分へのご褒美に美味しいご飯を食べる、友達と旅行の計画を立ててみる、家族に愚痴を聞いてもらう、好きなゲームをしたりアニメを見たり、あるいは私のように新たな道を模索するのもいいでしょう。

それってなんか、弱い人間の逃げなんじゃ……? と思われるかたもいらっしゃるかもしれません。しかし人間はだれしもが弱さを抱えていて、それをひた隠して生きているのです。仕立てのいいスーツを来たサラリーマンも、街中で陽気に笑う若者も、みんながなにかに酔うことで、あたかも強い人間のように見せているだけなのです。

人間は挫折をすると、世界で自分だけがダメな気がしてきます。心の内側に閉じこもり、自分を責め、他人を羨んでしまう。けれども、以前のあなたの目には、世界がもう少し美しく見えていたのではないでしょうか。青い空に浮かぶ雲、小鳥のさえずり、子ども達の笑い声――新鮮な空気を吸い込むと、今日も一日頑張ろうと思える。

いまはただ、ほんの少し見える景色が変わっただけなのです。これまで外側に向かっていた視線が、自分の心の内側ばかり見つめるようになり、心の沼にどんどんとはまっていく……そこから抜け出すには新たな希望を見つければいいのであります。

頑張ったからこそ悩む


さして頑張っていない人間は、報われなかったからといって悩むことはありません。新人賞に落ちても「ふ~ん今回はぼくの良さをわかってもらえなかったんだな。まあ、つぎはいけるっしょ」などと自分を正当化し、反省もせずにこれまでと同じ過ちを繰り返す。あなたが挫折を味わって苦しむのは、あなたがだれより頑張ったから。もしもあなたの大切な人がすごく頑張ったのに報われず、自分なんてダメだ……と言っていたらどう思うでしょう? そんなことないよ! あなたはよく頑張った! と褒めてあげますよね。それを自分に対してやってあげればいいのです。

報われなくてもよくない?

そもそも報われる必要ってあるのかな、と私は思います。世間で成功者といわれる人を見ても、やたらと他人にマウントを取ったり、コバカにしたり、揚げ足を取ったりしています。だれも聞いていないのに「俺って年収いくらなんだよね~」などとことさらに自慢しています。彼らはたしかに〝社会的な〟成功者かもしれません。しかし、果たして人生の成功者と言えるのでしょうか……なんにせよ、ああいったさもしい精神の大人にはなりたくないものですね。

もしかすると私たちは、日常のなかにある小さな幸せに焦点を当てていくべきなのかもしれません。当たり前に家族と過ごせる毎日、美味しいご飯を食べられる幸せ、苦しいことは数あれど、明日死ぬ心配はほとんどない。幸せは遠くの空にはなく、意外と近くに転がっているのかもしれませんよ! という話でした。

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