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【Forget-it-not】第三十五話「野菜=健康に良いとは限らない」【創作大賞応募分最終】

 携帯でcameraを確認すると、陳腐な自動車と覇気のない女性が佇立していた。女性こと摩耶さんは、桜桃さくらんぼのように身を二つに分かつ鞄を携えている。私は塀の戸を開け、彼女を出迎えた。

「おお、君が白雪さん。いや、びびった。これ、あいつらの鞄ね」

 鞄を受け取る。

「で、晴嵐って人についてだけど、あの人は美春ちゃんのお姉さんについては何も知らんらしい。正体も契りとやらがあって話せないんだと、守秘義務ってやつだね。けど、状況から察するに、いわゆる陰陽師ってやつなのは間違いないだろうね」
「陰陽師」
「まさかそんなのが実在するとは思わんよな」

 私は頷く。

「輝夜たちのことは自力で何とかするしかないんだね」
「そういうこと。私も考えてみるけど、あんま期待はしないように。車ならいつでも出すから頼ってよ」
「ありがとう」
「じゃ、そういうことで」

 彼女は踵を返す。

「榛名とは話さないの?」
「美春ちゃんにはわるいけど、私らは毎日のように会ってるから食傷気味なんだよね。美味い食べ物も毎日食べると飽きるっしょ?」
「榛名は美味しいんだね」
「あっはは、それなりにね」

 摩耶さんは煤けた自動車に乗り、曖気を出すと帰っていった。私は扉を閉め、死ぬほど重い――五百キロはある――閂をやっとの思いで差し込む。振り返る途中、こちらを窺う榛名と目が合った。私が近付くと、彼女は満面の笑みで窓を開けた。

「おねえちゃんきてた?」
「うん、二人の荷物を持ってきた」私が荷物を手渡すと「ありがと」赤ん坊のように顔をほころばせる。後ろから泉水がやってきて「摩耶っち何か言ってた?」榛名に覆い被さり、頭に顎を乗せた。

「安倍晴嵐については陰陽師であること以外はわからなかったらしい」
「おねえちゃんは役にたちませんなぁ」

 榛名は重そうにしている。

「それを言うと私らも役に立たんし」
「そんなことはない。居てくれるだけで充分」
「るぅりぃやっさしぃ」
 泉水を振り払った榛名が私を抱きしめる。抱きしめ返して頭を撫でてやると、「こりゃあ、みはるんがハマるわけだわぁ」顔を私の肩口に擦り付け、髪から青い粒子を滴らせながら舌足らずに言う。泉水は家の子がすみませんと平謝りする母親のように苦笑していた。

 居間に戻って三人で座って談笑する。会話は自然、美春の話題になった。

「るぅりぃのまえではずっとあんな感じなの?」
「そうだね。よく手を繋ぎたがるかな」
「あの美春が手を繋ぎたがると。ぜんぜんイメージ湧かないなぁ」
「そうなの?」
「みはるんは孤高のノラねこって感じだからねぇ。けっこうクールなんだよ」
「普段からずっと?」
「それが他の子の前だとさ、急に猫被ったみたいにへらへら笑い出すんだよね」
「けどね、目はわらってないの」
「一緒に商店に行ったときはそんな感じだったかもしれない」
「分かるっしょ? もっと自然体に振る舞えばいいのにっていつも思ってたんだよね。でも、瑠璃に会いに行くようになってからはだいぶマシになったなぁ」
「愛のパワーってやつですねぇ」

 夕刻になり、風呂上がりの美春を交えて会議を行った。彼女は自分が話の種になっていたとは思わないのだろう、澄ました顔で手帳を見ている。その真剣な眼差しに温かな気持ちと愛しさが込み上がってきた。榛名が「さいきんなんかわかったこととかないの」と質問すると、美春は意気揚々と答える。

「最近で言うと、そうだなぁ、瑠璃に見える記憶の粒子は三年に一度のペースで消えるみたいなんだけど、それが泉水の言ってた三体の月伝説の、旧暦の十一月二十三日に関係してることかな。記憶の粒子が消えた日は、二〇一六年十二月二十一日と二〇二一年一月六日、これを旧暦になおすと十一月二十三日になるの」
「ほぉん、次はいつなの?」

 泉水の質問に私が答える。

「来年の十二月二十三日」
「めっちゃ一定ってことはさ、人工てきにやってるってことなんじゃないの?」
 その通り。
「偉い」
 私が褒めると「でっしょ?」榛名は満面の笑みになる。あざらしの赤ん坊のようだった。

 美春が私の方を向く。

「えっと、たしか粒子は自然物のまわりだとすぐに消えて、人工物のまわりのものは残っちゃうんだよね」
「うん。自然物には自浄作用があり、人工物にはそれがない。人工物に付着した分を彼らが自主的に回収しているのかもしれない。何のためかはわからないけど」
「そうしないと世界が滅亡するとかだったりして」

 泉水があっけらかんと言う。美春が半笑いで推測する。

「月がすごくおおきいミスマルの珠だとして、その力を使うのに千日くらいかかるとかかな」
「だとしたら三年で約九十五日分の力が余る。その余剰分のエネルギーを昨日使ったのかもしれない」
「なるほどなぁ、なんにせよ迷惑な話だよ」

 泉水が呆れ顔で言う。美春は「まあね」と苦笑し、手帳に視線を落とす。彼女は自身が視た謎の空間について話した。

「わたしは神様が味方をしてくれたんじゃないかなぁって思うんだけど。だから青い鳥は神の使い。瑠璃はどう思う?」
「個人的には輝夜の力が関係していると思うかな。彼女は七年半前の私に『七年半後に会いましょう』と言っていた。おそらく彼女には未来視か何かの力があって、その力を美春に分け与えていたとか」
「なるほどね」

 美春は百%納得しましたとばかりに頷く。

「でも、そうだとしても、なんでかぐやっちはそんなめんどくさいことするんだろね。ふつうにたすけてくれればいいのに」
「まあ、何でもかんでも大人に頼ってちゃ、人間成長しないからね。未来は自分たちの手で掴み取れっていう少年漫画的な考え方なんじゃない?」
「放任主義なのかなぁ」
 美春は逡巡する様子を見せ、
「何にせよだけど、わたし的にはもう新月の海坂神社に行くしかないと思う。手がかりになりそうなのはそれくらいだし」
 歯切れよく言った。

「なんか魔物が出るんだっけ?」
 泉水が興味津々といった面持ちで問う。
「そう。わたしと瑠璃だけじゃ厳しいかなって思ってたんだけど、泉水がいるなら行けるかもって」
「任せな」
 泉水が私の十倍の体積はある二頭筋をたたく。榛名が「ゴリラだもんね」と言うのを聞き、私は「ゴリラなの?」と呟いた。

「泉水はたしか、小学校で剣道関西一位、中学で陸上日本一、大学でなんかいろいろチャンピオンだっけ」
「まあ、一応ね」
「え、(一寸思考し、間の抜けた声で)凄い」
 泉水は鼻の下を擦り、「まあまあまあ」と口にした。榛名が天を仰ぐ。

「いいなぁ、みはるんは文武両道だし、るぅりぃは天才美少女でしょ? わたしだけ一般人じゃん!」
「榛名はマスコットなんだよ」
 美春が然もありなんといった顔で言う。
「四次元ポケットがあればなぁ」
 榛名は両肘を机に突き、ゆでたまごのような頬を両手で包むと溜め息をついた。

 かくて私たちは新月の晩に海坂神社に向かうこととなった。

 会議を終えた私と泉水は台所に立ち、夕飯の準備を進める。雛鳥のように待つ二人は初め、小卓で手帳とにらめっこをしていたが、今は榛名が美春の髪で遊びながら談笑をしている。

 私は豆富、肉、白滝を切る、あるいはほぐす。隣から小気味の好い玄人めいた音が鳴り響く。聞くと彼女は、強さを志向しながらも定型的な女性らしさ――家庭的な振る舞い、手先の器用さ、床しい態度――に対しても憧憬を抱き、日々努力をしているそうだ。

「服なんかは自分で作るんだよ、女の子っぽいやつをさ。けど、絶望的に似合わないんだなぁこれが。肩幅えぐすぎでしょって自分でツッコんじゃうくらい。しかも市販の生地ってさ、柔軟性がないから、歩いてるとお尻んとこが破れるの。そしたら、またケツでかくなった? って榛名が言ってきて、マジかぁって落ち込むんだけど、でも、同時に鋼みたく鍛えられた自分の肉体に誇りを持ってるっていう。どう思うよコレ」
「二兎を追って二兎を捕まえればいいんじゃないかな」
「それいいね。そうだよなぁ、そうこなくっちゃ」
 泉水はうんうんと頷いている。

「そういや瑠璃はさぁ、栄養についてなんか知ってる? 色々試してるんだけど、何がいいのかイマイチわかんないのよ」
「わからないのは仕方がないと思う。人類は未だ栄養についてはほとんど何もわかっていないから。それは私も。だから私たちは経験に頼る必要がある」
「経験っていうと、昔の食生活から学ぶってことだよね」

「うん、現代日本人の食生活のほとんどが西洋式のものになっているけれど、これはあまりお勧めできない。私たちの肉体は数万年かけてこの地に適応したものだから、日本列島や周辺地域に存在しなかった食物を大量に摂取すると調子が悪くなってしまう。食べるべきは古から続く生態系。具体的には魚類、鹿と猪、あるいは豚、木の実辺りかな。加えて乳製品と果物、イモ類、藻類を少量食べれば健康的で強い肉体を作れるはず」

「あれ、野菜は食べないの?」

「自分で買って食べることはないかな。普段はお祖父ちゃんが作った自然農法の野菜を煮込んで食べるくらい。世間では、野菜を全知全能の健康神のように崇め奉るのが流行っているし、実際野菜には健康に良い栄養素が入ってはいるけれど、同時に毒素や反栄養素という健康に悪影響を与えたり、栄養素の取り込みを阻害する物質も入っているから、必ずしも健康に良いとは言えないと思う。勿論、毒素や反栄養素も食べ合わせや調理法によっては良い結果をもたらす可能性は示唆されているから一概には言えないけれど。ただ、日本人の国民病はがんだというのは有名でしょう?(泉水は「みたいだね」と言う)アレは糖質を餌にして太るから、糖質はできる限り抑えた方がいいのは確か。あとはミュータンス菌の餌にもなるようだし、身体に悪いものは糖質が好きなんだろうね。私の場合は医者と薬剤師の娘に生まれたおかげか、虫歯に罹ったことは一度もないからあまり関係はないのだけど。(泉水が「両親に感謝だね」と言うのに「うん」と頷いてから)かといって糖質を完全に断てばいいかというとそうではなくて、少量の糖質を摂ることは、ストレスやうつ病の緩和、攻撃性の低下に役立つから、少しは食べた方がいい。そこで何を食べるかが重要になってくるのだけど、自分が食べ物の少ない原始時代にいるとして、お腹が減った時に地面に生えている草を食べるかというと、食べないと思う。おそらくそれを食べるのは最終手段で、できれば甘くて美味しい果物か、腹持ちの良い木の実乃至イモ類を食べたいのが人情というもの。残りの藻類と野菜なら、塩分が摂取できるという点で藻類が勝る。だから私は積極的に野菜を買わないし、進んで食べない。……と、それらしい理屈を並べてみたけれど、実際のところは味があまり好きではない、というのが大きい。子どもっぽいから言いたくないだけで(泉水はニコニコと笑う)。結局、一番良いのは自分の心身の調子や好みによって食生活を変えていくこと。遺伝子には多様性があるし、人間個人の細部は相対的なものではないから、色々と試していくのが吉。そういえば、日本では摂取カロリーが消費カロリーを上回ったとき、その差分だけ贅肉が付いて太るという謎の風潮があるけれど、アレはあまり関係がないらしい。肥満において重要なのは、加工された炭水化物やでんぷんを摂らないこと。そういう意味でも土着的な食事法は有効だと思う」

 私は手が完全に止まっているのを認識し、今しがた批評した野菜を切り刻む。泉水は「はえぇなるほどねぇ」鍋にすき焼きのたれを流し込み「私は地中海式っていうのが健康的だって見たから実践してるんだけど、微妙なのかな? 一応、そういう研究はあるみたいだけど」鍋蓋を片手に首を傾げる。私は嬉々として答える。

「研究の仕方によって結果は変わるから、一概には言えないのだけれど、個人的には微妙だと思う。例えばランダムに選んだ百人の被験者のうち、五十人に地中海的な食事を、残りの五十人には地中海式ではない食事を摂ってもらった結果、前者の方が健康的だった、という研究が考えられる。でも、大半の現代人の食生活は元々不健康だから、たとえ前者が健康的になったとしても、それが地中海式の食事に依って齎されたものだとは限らない。あくまでも対照群との相対のなかで、比較的健康だっただけに過ぎないかもしれない」

「それは確かにそうだなぁ。瑠璃の言ってることがなんとなく分かったよ。ていうか、もしかしてだけど、ネットで見る科学の情報って信じないほうがいい?」

「鵜呑みにするのは良くないかな。特に日本のネットの情報は周回遅れだし、メディアに出ている自称・専門家の知識は三十年前からアップデートされていないことが多い。そもそも本物の専門家はメディアに出ずとも生活していけるだろうから、きちんとした情報を持っている人は表に出てこないと思う」

「まあ、専門家のおじさんおばさんが健康的に見えるかっていうと微妙だし、体型も太ってるかガリガリのどっちかだもんなぁ。それなら超綺麗な瑠璃を信じたほうがよさそう」
「ありがとう」
 下心抜きの褒め言葉は何度浴びても心地が良い。

 その後も陽気な泉水と談笑しながら調理を進めた。彼女と話すと懐かしい気持ちになるのは何故だろう。私が皿を取り出している折、泉水は冷蔵庫から卵を出すとこう言った。

「美春のお姉さんはたぶん、私のライバルなんだ」
「ライバル?」
「小6のときに百メートル走の大会を見に行って、そこですごい大記録に遭遇したの。私はその人に憧れて中学から陸上部に入って、記録を抜くために一生懸命頑張った。結果は惜しくもダメでね、高校では抜いてやるって気合入ってたんだけど、練習のし過ぎで怪我しちゃって。それで引退するはめになったわけ。でも、大学に入ってネットで調べたらそんな記録どこにもなくて、私のやつが日本記録になってるの。あれぇおかしいなぁって思ってたんだけど、それが美春のお姉さんだったらありえる話じゃない? 美春もけっこう足速いらしいし」
「千夏さんが陸上(少し考えて)しっくりくる」
「ね、不思議な巡り合わせだよなぁ」
 彼女は片手で卵を割りながらしみじみと言った。

「巡り合わせ……」

 夜半になった。泉水と榛名と就寝の挨拶を交わし、二人並んで寝室に行く。哀れな榛名に安眠を提供するため、今日は私と美春が同じbedで寝ることにした。心配性の美春は帷幕を開けて寝ようと言い出し、二人でベッドに背を預けて談笑する最中も、遑ができると外を瞥見しては胸を撫でおろす。私も心配性なところはあるが、より心配性な人間と共にいると、案外落ち着いていられるものだった。彼女は窓を開けて夜空を覗き、
「なんかあってもふたりもいるし、大丈夫だよねっ??」
 途轍もない圧で言う。

「うん、大丈夫。同じ空間に人がいると安心するよね」
 美春は力強く何度も頷き「そうだよね、もしなんかあってもみんなで乗り越えられるはず、だから大丈夫だよね」おそらくは自分に言い聞かせる。元気そうで何よりだ。窓を閉めた美春は私のもとにやってきて「じゃあ、そろそろ寝る?」落ち着きない声色で言う。「うん、寝よっか」私がbedの奥に横たわると、美春はおそるおそる入ってきた。私は左を下にして眠る癖があり、美春は反対なため、自然と向かい合う形になる。

「ちょっと緊張するかも」
 私は電気を消し、
「反対側で寝る?」
 美春を見る。彼女は頭を振って、
「このままがいい」
 掛け布団で口元を隠した。私は微笑で応える。

 須臾しゅゆ見つめ合ううち、美春が舟を漕ぎ始めた。私が「おやすみ」声をかけると、彼女は力なく返事をし、海原に繰り出した。

 あどけない寝顔を見つめる。珠玉しゅぎょくの美貌と言うに相応しい愛らしさだ。にじみ出る優しさと繊細な表情。細く小さな鼻と薄いくちびるからは微かな寝息が漏れ出し、指を近付けると温かな風を感じられる。華奢な肩は呼吸の拍子に合わせてゆるやかに上下し、私はそこをおぼえず一撫でした。

 俯きがちに眠る白い小さな花。心の痛みの分かる人。その印象は今も変わらないが、近頃は空を見上げることも多くなった。私はもう少し地を見られるようになりたい。

 目を瞑ると、一日の出来事が想起される。鮮明な映像、鮮明と不鮮明の間を行き交う音声、不鮮明な匂い、味、触感。人間の認識は視覚に依存しているようだ。

 睡魔が襲来し、意識が沈潜を始めると、その代わりだと云わんばかりにtraumaが心の表面に浮上する。

『あの子、目の色が両親とちがうわね。もらい子かしら』
『白雪さんってちょっと変じゃない?』『かわいいからって調子のってるよね』『わかる、テストとかぜったいカンニングしてるよ』『先生にこび売ってるんだって』『だよね、卑怯すぎ』
『あいつ火星人らしいぜ!』
 聞こえよがしな悪口、集団での陰口、無自覚な誹り(これはどうでもいい)。見知らぬ誰かの死の映像、そして両親の声が再生される。

『どこで間違えたのかしら』
『あの子は普通ではないんだ』
 その言葉をきっかけに、瞼の裏に七年前の記憶が寸分の狂いなく映写される。

 中学受験の結果の出た日、見事零点を採った私に、母は困惑の表情を浮かべるのだ。帰りの車内は毎度の如く無言である。

 家に帰ると居間で、
『どうして……?』
 と掠れた声で言われる。
『あそこには行きたくないから』
 私は至って冷静に言う。
『あの子たちと一緒にいたいの?』
『まあ』嘘である。
『ダメよ、もう少しちゃんとした子と関わらないと。それであなたの将来も、人生も決まるのよ』
 私は母の目を見据える。
『自分の将来は自分で決める。私は子どもだから、二人がいなければ生きてはいけない。でも、私はお母さん達の操り人形ではない』
 母は目を見開く。
『そんなつもりはない。私がどれだけあなたの為を想って――』
 言い終える前に私は口を挟む。
『それは本当に私の為? 叔母さんへのコンプレックスの解消ではないの?』
 私が言うと、母は血相を変えて部屋を出ていく。私はそれを追いかけない。

 続けて別な記憶が再生される。

 居間の机に肘を付き、手のひらで顔を覆って悲嘆に暮れる母。母の肩に手を置き慰める父。『どこで間違えたのかしら』嗚咽を漏らす母に父が先の台詞を言う。母は頷き、肩を震わせ、胸焼けするような悲しみと怒りを全身に巡らせる。

 ……目を開ける。

 心臓の律動は早まっているが、心に焦りはない。冷静に対処をすれば、冬が春になるように気持ちもまた移ろってゆく。

 両親の言葉が本心でないことぐらい分かっている。私が言い過ぎたということも。私は二人の愛情も鮮明に思い出せるし、定期的に祖父母と連絡を取っていることも把握している。会って話せば誤解を解きほぐせるはずだ。けれど、七年半という時間が心に重く圧しかかり、今更何を話せばいいのかと問いかけてくる。記憶を取り戻せば会いに行くかのような発言をしたが、正直あれは言い訳だ。私は怯懦な自分を自覚している。

 このままでは駄目だ。そう思っていても一歩が踏み出せない。記憶の檻の中からどう脱出しろと云うのだろう?

 とはいえ、そうも言っていられなくなってきた。今度の遠征が失敗に終われば希望の光はまた一つ潰えるだろう。晴嵐は何もしらないと言う。輝夜たちは私たちに会いに来られないと見られる。ならば、私たちの誰かが謎を解かなければいけない。それはきっと私の役割なのだ。私は力を使いこなし、千夏さんを助けねばならない。かつて私を救ってくれた恩人を救わねばならぬのだ。

 千夏さんに会うには、先に両親と和解をする必要があるのだろう。散り散りだった私たちは今回の件で巡り会った。それが単なる偶然ではなく、必然だったとしたら?

 良い未来を描く必然の線、それが全て揃った時に道は拓ける――世の理とはそういうものである。

 合理的に考えても、traumaの一部を克服し、安眠が可能となり、今よりも高い能力を発揮できれば謎が解ける可能性は高まる。

 ……両親に会わねばならない。

続き:https://note.com/wise_tern2698/n/neb849357eaa4

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