【君の視点を疑うキッカケの物語】 売る人・買う人・作る人・楽しむ人②
二人目 三十一歳 会社員(事務職)
加藤優花が子どもの頃にお寿司といえば、プラスチックトレーに並べられたものをテイクアウトして、自宅で食べることだった。初めて回転寿司を食べたのは、大学に進学して出来た彼氏と一緒にチェーンの回転寿司店に行った時だった。
優花は最初の一皿を、回っているレーンから取って食べた。しかし、当時の彼氏は回っている寿司に一切手をつけず、注文したものしか食べなかった。それがとても印象に残っている。
その後も何度か友人達と回転寿司を食べに行くことがあった。どのグループでもほとんど回転レーンから寿司を取る人はおらず、その理由は「すでに回っている寿司は鮮度が落ちているからだ」という意見で一致していた。
食事中に周りのテーブルを見ると、小学生と思しき子どもは嬉しそうに回転しているレーンからお皿を取っている。周囲の目を気にせず回転寿司を楽しめる小学生が少しだけ羨ましい。
友人達は幼い頃からこのシステムに触れてきたのだろう。
幼い頃に回転寿司を楽しんだ経験がない優花としては、色とりどりに流れてくる寿司を眺めて、美味しそうだと思ったネタをその場で掴むという楽しみ方に憧れていた。
レーンから寿司を取ったことが原因ではないと思うが、当時の彼氏とはすぐに別れてしまった。その後、数回の交際経験を経て、今では双子の母。三十一歳である。早生まれのため同級生より一歳若い年齢になるが三十を超えてしまえば何の慰めにもならない。
広告と小分けにされた醤油、ワサビ、学生時代の思い出だけが回るレーンを眺めていた。
レーンから好きなネタを好きに取って食べる、という学生時代から胸に秘めてきた楽しみは、けっきょく実現しないまま、実現の機会は永遠に失われてしまったかもしれない。コロナ禍と迷惑なユーチューバーの影響でレーン上を回転する寿司は姿を消してしまったのだ。ゴーストタウン化した渋谷には人が戻ってきたが、レーンの上に寿司は戻ってこなかった。
それでも、リーズナブルでファミレスのように品ぞろえが豊富な回転寿司は、家族四人での外食先として重宝する。父親の真似をして光物から始める長男と、サラダ軍艦と玉子をひたすら食べる偏食の次男。サーモンとエンガワばかり食べる私の偏食が次男に影響しているのを感じる。それぞれが食べたいものを食べられればそれでよい。自身の好みが子どもっぽいという自覚はあるが、家族で食事をする席で気にする必要はない。
子ども達の注文をまとめて済ませると、大人の分を入れていく。
家族で回転寿司に行くようになってから変わったことはもう一つある。必ず食べたお皿の枚数に応じてカプセルがもらえる店舗を選ぶようになった。子ども達は寿司と同じかそれ以上にカプセルのおまけを楽しんでいる。出てきたおまけが少年同士に取り合いを始めさせる。この子たちを熱狂させる魅力はなんなのだろうか。カプセルの中身ではなく、カプセルそのものに魅力があるのは間違いないと確信している。子ども達はカプセルが出てきて開けるまでを楽しんでおり、手に入れたグッズは数日もすれば飽きて放置されてしまう。中身によっては数時間と興味が続かないこともしばしばだ。
その日、手に入れたのはアニメのキャラクターの缶バッジだった。平成の少年漫画の良いところだけを集めたようなストーリーだが、今の時代には分かりやすいものが受入れられるのか、社会現象になるほどの人気だ。兄弟で二つずつ分けさせる。例によってすぐに飽きるだろう。
スッと兄の大輝が手に持っているものを一つ取り上げると、スマートフォンを取り出して、フリマアプリを起動させる。三百円で売れているものもいくつか見られる。小さくて送料がかからないのはありがたい。早めに出品しておこうと心の中で考える。
「ママがまたお金稼ごうとしてるよ~」
と、夫の大輔が誰にともなく言う。
「えー、ママおかねもち!」
弟の優輝が無邪気に反応する。
「ばか、まだおかねもちじゃないんだよ。これからおかねもちになるんだよ」
と、大輝がしっかりと訂正する。
億万長者になれる未来は描けていないが、ちょっとしたお小遣いは稼げている。フリマアプリは自分の性格にあっていると思うし、やっていて単純に楽しい。
***
まだ独身だった社会人三年目。旅行会社の事務職として働いていた頃のことだ。
とにかく退屈な現実から逃げるように遊んだ。長期休暇の度に友人達と旅行を計画した。一週間の終わりである日曜の夜に合コンに参加したと思ったら、週の始まりである月曜はカラオケで夜通し歌った。カラオケを早朝に追い出されると、自宅で仮眠をとり、熱いシャワーを浴びて出勤。今でもなぜ倒れなかったのか不思議な生活だ。寝る間を惜しんで遊んでも、どうしても退屈からは逃げきれなかった。なにが足りなかったのだろう。
無茶苦茶な生活をしていても体力が尽きなかった自分は、きっと運が良かった。
ただし、その代償で常に預金口座の数字は心もとない状態だった。ゲームのライフであれば常に瀕死の状態だ。
ハズレの合コンを早めに切り上げた後、女子だけで行った安居酒屋で交わした友人との雑談がきっかけだったと思う。普段の買い物からオンラインショッピングでも使えるポイントを獲得していく、いわゆる『ポイ活』をやってみたことがある。
「隙間時間にちゃちゃっとゲームしたり、無料のサービスに登録するだけだよ。この前の北海道旅行もほとんどポイントで行けちゃった。おすすめのポイ活アプリのURLメールで送っとくね。あ、そうだ。紹介キャンペーンやってるのがあったから、登録してくれない?私も加藤さんもポイントもらえるから」
遊びのためのお小遣い稼ぎにでもなればと思い、ポイ活に興味を持ち始めたタイミングで、同じフロアだが別部署にいる武田さんという女性の噂を耳にした。私より五年先に入社しており、営業のサポートをする仕事をしている。その部署にいる同期入社の友人から聞いた情報だと、武田さんは暇さえあればスマホをいじっているらしく、定期的に旅行を楽しみ、バッグやコートが新しくなるという話だ。
武田さんが送る優雅な休日のイメージを膨らませていた矢先、エレベーターで本人と一緒になった。乗り込む前から、スマホの画面を見つめる彼女の横顔をチラチラと見て確認する。注目していた芸能人とばったり遭遇したような気持ちで少し呼吸が浅くなってしまう。武田さん本人で間違いないことを確信してから、話しかけてみた。武田さんはスマホと私の顔を交互に見ながら、先ほどの回答をくれた。けっして不愛想ではなく、どちらかというと親しみを込めて話してくれるのだが、私のような人間に声をかけられることがしばしばあるのだろう。好奇心に対して適度な距離を保った話し方だった。
その後、友人からの続報によれば、武田さんの夫は大手の証券会社で働いており、ポイント活動なんてしなくても何不自由なく暮らせるらしい。
娯楽に使うお金に困らない立場の人がなぜコツコツと、小銭というか小ポイントを稼いでいるのか、その時の私には理解できなかった。
武田さんに教えてもらったアプリを仕事の休憩時間に開いてみると、獲得できるポイント数と獲得の条件がいくつも紹介されていた。数が多く、家に帰ってからじっくり見ようと思いアプリを閉じた。
思った時に動かないのが私の悪い癖だった。そのまま数か月、スマホのホーム画面に放置された武田さんお勧めのアプリは、年末に実家へ帰省して、一年の疲れがどっと押し寄せてきたのか、コタツでボーっとして抜け殻のようになっていたタイミングでやっと私の目にとまった。
以前と変わらずに様々なサービスへのリンクが並んでいる画面。
クレジットカードの申込などは獲得できるポイントの数字が大きい。動画のサブスクリプションサービスへの入会も得られるポイントは高めだ。
しかし、このアプリを開くのでさえ半年近くかかっているのだ。サブスクのサービスなんかに申し込んだら解約せずに放置し、獲得したポイントの何倍も支払いが大きくなる未来が容易に想像できる。自分の情けない性格という短所を自覚しているのは、私の長所かもしれない。かなりの高確率で到達してしまう怖い未来を想像すると、高単価というだけで敬遠してしまう。
画面を上から下に眺めていき、健康管理のサービスに登録すると報酬がもらえるという表示に目がとまった。年末年始で暴飲暴食の限りを尽くして、太った身体を引きずり、ジョギングする自分の姿を想像してみる。
ふむ。悪くないかもしれない。なにより年会費も無料で、得られるポイントも四百ポイントと低めの設定だ。これなら安心だろう。
ポイントを稼ぐために始めるはずなのに、付与されるポイントが低いことに安堵している不思議な状況である。
他にもポイ活サイト内に用意されているミニゲームを楽しんだり、動画を見たりするだけで、一ポイントから十ポイント程度が毎日獲得できるらしい。
ポイ活スタート記念として、健康管理サービスへの登録とミニゲーム利用により四百八ポイントをその日は稼いだ。次の日もゲームと動画で十ポイント。
大晦日は昼間から高校時代の友人と会う約束をしていた。寝坊したせいで朝食も食べずに友人達との待ち合わせをしているカフェに急いだ。大学生の頃であれば、そのまま年越しまでカラオケざんまいだったが、社会人になって数年経つと、家庭を持っている友人も出てくる。そのため、夕方には解散して帰宅。大晦日の夕方になって、やっとエンジンがかかってきたようで、大掃除が半ばという実家に帰る。私の後回ししてしまう癖は両親からの遺伝で間違いないと確信する。
おせち料理を作る母の手伝いと並行して、納戸の掃除をする父を手伝う。バタバタと一日を過ごし、大掃除もなんとか帳尻を合わせると、紅白歌合戦が始まる時間になっていた。
紅白歌合戦を見ながら家族ですき焼きを囲むのが加藤家の慣習である。
ぐつぐつと煮込まれている牛肉を見ながら、「あー、今日ポイ活やってないなー」「でも、今日くらい、休んでいいよね。メリハリが大事だよね。年が明けたらがんばるぞ」と、特別な一日に心の中で許しを求めた。
そして、年が明けた。一年の計は元旦にあり。
スマホを手にする。一通りSNSでみんなの投稿を流し見ると、そのまま放り出しておせちを食べにリビングへ行く。
私はポイ活をやめた。飽きてしまったのだ。
スマホの小さな画面をポチポチといじって、小さなポイントを積み重ねていく作業は私の性に合わなかった。最初こそポイントが手に入ることが嬉しく思えたが、すぐに刺激に慣れた脳みそは、二桁台のポイント数だと、ドーパミンを出さないようになってしまったらしい。
帰省を終えて東京に戻る日、テレビ台の引き出しを開けると、子どもの頃に遊んでいた〈たまごっち〉が入っているのを見つけた。
この性格だ。卵型ゲーム機の中で動く幼い二次元の生き物は、何度も何度も私にお世話を放棄されて瀕死の状態を経験した。その結果、可愛いキャラクターには成長せず、何度やり直しても、おやじのような見た目に成長していった。輪廻から抜け出せない、そういう運命だったのかもしれない。
引き出しから見つけた時はもちろん電池も切れていてキャラクターは映っていなかったが、懐かしい気持ちが記憶を美化させるようで、育てたことのない可愛いキャラクターを画面に見ていた。そのままポケットに滑り込ませて独り暮らしの家まで持ち帰った。
一つ年を越えて地球の引力が強くなったらしい。ニュートンがこの世に生きていたら教えてあげたい。少しばかり重く感じる身体に、新年会のビールを流し込む。その後の生活は以前と変わらない日々が続いた。忘年会で忘れたはずのことを新年会でしっかり思い出す。そして、慢性的な金欠であることも思い出す。
あるとき、友人宅でDVDを観ていた。ホラー映画を撮るために撮影クルー一行が古い施設に向かう。順調に撮影は進むが、途中から本当のゾンビが紛れ込むというのがストーリーの大筋だ。低予算で作られたが、エンターテインメント性の高さに思わぬ人気を博し、一時は毎日のようにテレビで特集が組まれた話題作だった。手を前にあげて徘徊するゾンビを見て思う。
―金欠だけど遊びたい。何かが私の生活には足りない。それを求めてさまよう私もゾンビみたいなもんだな―
思えば学生時代から生活に刺激を求めて散々手を広げてきた。
高校生の時といえば勉強はほどほどに、放課後を待たずに学校を抜け出し、見た目を派手に着飾ってのカラオケざんまい。大学生になると遊びの幅を広げてみた。一回しか使っていないスノーボード用具一式を揃えてみたり、沖縄旅行を兼ねてダイビングの免許を取得したり、山や海の近くでキャンプも経験した。釣りが好きな彼氏ができた時は、イカを釣るために真っ暗な海に繰り出したこともある。決して不良ではなかったと思う。未成年のうちにタバコや酒、まして薬なんかに走ることはなかった。求めているのはそんな表層的で単純で、人生を天秤にかけるような馬鹿らしい刺激ではないのだ。
珍しいバイトを端から経験してみた時期もあった。最初は女子大生バイトの定番であるカフェ店員から始まり、居酒屋、カラオケ、牛丼屋などを転々としていた。そのかたわら、派遣のバイトで有名ミュージシャンのライブスタッフを経験した。その時に知り合ったバイト仲間に誘われ、愛媛のみかん農家に一カ月住み込みで収穫を手伝った。夏の終わり、黄金色に輝くみかんに囲まれた空間はどこまでも穏やかだった。それは都会で暮らす日々では味わえない非日常を楽しめる刺激的な時間だった。一方向からの刺激ではなく、五感から、全身から味わえるエンターテインメントだと感じた。
味をしめた私はそのまま横浜に戻ることなく、さらに日本列島を南下して福岡でいちごの収穫バイトに申し込み、それが終わると沖縄まで飛んでサトウキビ農家でお世話になった。レースのついた下着が全てユニクロのシンプルで機能的な素材のものに変わった。
住み込みのバイト先には様々なバックグラウンドを持った人達が集まっていた。「株で大儲けしてお金には困っていないが、この地球で生きているという実感を持ちたくて応募した」と語っていた三十台半ばと思しきオジサンの話は嘘か真か、今となっては確かめる術もないが、当時の私には浮世離れした人達と接することも、そのオジサンが言うのと同じように生きていることを実感できる瞬間だったのだろう。
「まだ、足(た)るを知らないんだよね」
口癖のようにそう言っていたオジサンは今どこで何をしているのか。
横浜に戻ってきてからも「珍しい バイト 関東」と調べて非日常を求めて活き活きとしたゾンビを続けた。
そんな生活をしながらも留年することなく大学を卒業した。自分の要領の良さだけは褒めたい。
***
年が明け、花粉症に苦しみ、寒さが和らぎ、五月病を発症し始める頃。社会人四年目の生活を送っている私にも後輩ができた。新入社員が配属されてきた。
須賀ちはる。趣味は読書と美術館巡りらしい。最初に挨拶した時から、この子と私は違う人種だという直感があった。たぶんこの子は「足る」を知っている。
第一印象の力は強く、私は須賀さんに仕事を教えながらも、プライベートな部分には踏み込まないし、踏み込ませないように、一定の距離を取って生活していた。
今年も夏の終わりが近づいてくる。愛媛のみかん農家が懐かしい。あの頃すでにお爺さんやお婆さんだった農家の方々は元気にしているだろうか。愛犬にも柑橘系を思わせるポン吉と名前をつける温かいユーモアを持った人達だった。
ランチ休憩中に会社近くにある、コンビニとスーパーの中間というようなタイプの商店で、昼食を買おうとしていると、ネットに入ったミカンが目に付いた。八個入りで三百九十円。色づきも良く美味しそうだ。そして安い。買って帰ってオフィスでデザート代わりに食べるか。でも、こんなに食べられるだろうか。逡巡していると、横から声をかけられた。
「安いですね!見た目も変じゃないのに」
須賀さんが横から八個入りみかんの束に手を伸ばしながら口にする。
「安いんだけど、八個ってまた微妙なサイズじゃない?食べきれないし、重たいし、かさばるし」
ミカンの量と値段に目を奪われ、心は愛媛の農家に移っていた私は、突然の声かけに正直驚いていた。しかし、その様子を表には出さず、ミカンから視線を外さないで答えた。
「でも、安いですね。育てるのも収穫するのも大変だと思うんですけどね」
と、須賀さんは私の言葉を受け取って続ける。「ホント、重労働だよね」
自然と彼女の言葉を受け取って答える私に対して、
「え、もしかして加藤さん家ってミカン農家だったりするんですか!」
向けていた笑顔をミカンから私の顔に移した須賀さんが尋ねる。
「いやー、実家は神奈川だし、農家でもないんだけどね。バイトでやったことがあって」
「バイトですか?住み込みで収穫体験する、みたいなやつですか?私もサトウキビ畑でやったことはあるんですけど。あ、すみません、違いました?」
須賀さんは早口で言い切ってから、見当違いのことを言ってしまったのではないかと思ったのか、慌てて視線をミカンの束に戻す。
「そうなの、そうなの。住み込みでミカン農家に一ヶ月くらいね。ってか、サトウキビ畑もやったんだけど」
と、今度は私が視線をミカンから須賀さんに移して笑う。
意外にも、読書と美術館巡りが好きだと自己紹介していた須賀さんも、私と同じような学生時代を送っていた。
オフィスに戻り、八個入りのミカンを二人で分けて食べながら話した。そもそも読書や美術館という空間も非日常感が味わえるところを魅力に思っているらしい。さらに、「いきなり『なんか楽しいことないかな、と思って色々なバイト経験してきました』って自己紹介するのは攻め過ぎじゃないすか」とくだけた調子で話してくれた。
須賀さんに活き活きゾンビの影をうっすらと感じていると、
「それにしても、このミカン安過ぎじゃないですか?」
彼女が改まった顔で口にする。たしかに、ちょっと酸っぱい味も覚悟していたのだが、想像以上に甘い。
「メルカリで売ったら利益出せそうですけど、さすがに食べ物は出品できないか。ん、できないのかな、あー!出品されてますよ!これいいのかな。あんまり売れてはいないですけど」
と言ってスマホの画面を見せてくれる。
そこには『みかん 10キログラム わけあり 2000円』などと書かれた写真がいくつも並んでいた。
「へー。こういうのって食品も大丈夫なんだ?」
フリマアプリで売られているミカンはちょっと買いたくないという敬遠する気持ちが声色に現れていたかもしれない。
「そうなんですね。私も知りませんでした!けっこう購入も出品もするんですけど、食品は、んー、やっぱりちょっと怖いですねぇ」
須賀さんも私の心情を察してか同意する言葉を続けるが声に弾みを感じる。ミカンを口に運ぶ手も止めない。
どうやら、彼女は私と同じように数々の小遣い稼ぎを経験する過程で、フリマアプリを使って、不用品をお金に変えることに快感を覚えたらしい。それからは、目に付く物がフリマアプリだといくらで値付けされているのか?ということが気になってしまうらしい。
その場で私もアプリをダウンロードして、買い方から売り方まで、一通りの操作を教えてもらい、とりあえず使える状態にしてくれた。
熱っぽく語る須賀さんは「背景は白い布にしたり、洋服は吊るした状態の方が売れやすかったりする」というちょっとしたコツまで教えてくれた。
私はその話を聞きながら「家に帰って要らないものを出品してみよう」と思う。一方で「長く続かなくても無料だからいいな」と早くもアプリを放置する自分を想像してリスクがないことに安心していた。
帰宅して最初に目についたのは実家から連れてきた〈たまごっち〉だった。こんなもの売れるのかな。試しにメルカリのアプリを起動させて検索してみる。私が持っているのは当時人気だった白色の機種だ。
ある。
大量に売りに出されている。機種のバージョンにもよるが数万円で売れている商品もあるようだ。商品棚に一つ追加するイメージで手元のたまごっちを出品する。まずは経験だと思い、無地の机の上で撮った写真を掲載して、商品の状態を選ぶ。『多少の傷、汚れがある』。
いくらに設定すればいいのかよく分からなかったので、売れている類似商品の金額を調べる。八千円前後が多い印象を受けた。それらを参考にしつつ、相場より五百円程低く設定してみる。売れるかな。こんな高くしたら売れないかな。
出品を完了し、ふぅっと一息つく。スマホがブルっと震える。
売れていた。
値下げを希望するコメントもついていたが、同時に別の人が購入してくれていたようだった。
想像以上に嬉しかった。実家にあった昔のおもちゃが出品してすぐに七千円以上のお金に変わった。
これは面白い。嬉しいというよりも面白いという方が、自分の気持ちには近い。
他に出品できそうなものがないか六畳の部屋の中を見回す。しばらく読んでいない本や、古くなって着ることはなくなったが高級ブランドという理由で捨てるのを躊躇してきた衣服。
いくらで出品しようか。値段を自分で決めると、売れる前からその金額が手に入るような気がしてワクワクする。
本棚に見えたマンガ本の最新刊を出品してみる。高ければ値下げのコメントがつくだろうと、ほとんど定価で出品してみた。これもそのままの金額で、すぐに売れた。定価と数十円しか変わらないのに。どんな人が買っているのだろう。
面白い。繰り返し思う。
翌日からも部屋の中にあるものを片端から出品していった。
いままでやってきたバイトやポイ活とは脳汁の出方がまるで違う。
自分で値段を決めて販売して、欲しいと思う人が買う。この工程が、定期的に振り込まれる会社からの給料とも、お金と同程度だけどお金ではない〈ポイント〉を与えられるのとも違う、全く別の刺激がある。
この刺激の正体はなんだろうか。
***
出品できそうなものをあらかた登録して三ヶ月ほど経つと、かつてないほど部屋がすっきりした。頭の中も整理されたような気がする。安易な刺激を求めて大して着ない服を買うことはなくなり、元々遊ぶためのお金が欲しかったのに、遊び歩くことが減った。小さな商売をすることが面白くてたまらず、休日に実家まで行って売れそうなものを漁ってくるくらい、新しく見つけた楽しみに夢中になっていた。
一年が経っても熱は冷めなかった。古着屋やリサイクルショップが目に入ると、売れそうなものがないか覗いてみるようになっていた。
安く仕入れて高く売る。“せどり”というらしい。
生活に楽しみができると良い風が吹き、命に良い循環がもたらされる。彼氏ができた。後に夫となる大輔との交際はこの時に始まった。
年末にポイ活を始めて、年始に放り出した激動の一週間から、激動という言葉史上最もしょうもない使われ方かもしれないが、あっという間に二年が経った。
フリマアプリは自分の中で最も長く続く趣味になった。趣味=『フリマアプリ』の私はいつもの年末より数日早く実家に帰省していた。帰るなり大掃除さながらの勢いで、家のあらゆるところに目をつけると、
「これ使ってないよね?出品していい?」
と聞いて回る。
両親は最初こそ吟味して答えてくれたが、あまりに何度も尋ねられるので観念したのか、途中から「適当にやってくれ」としか言わなくなった。
東奔西走。師走。走り回る僧侶のようにバタバタとしている人間が家の中に一人いると、他の家族もなんだかノンビリできないのだろう。例年と違い大晦日を待たずして、早めに大掃除のカタがついた。
いつになく清々しい気持ちで迎えた大晦日。恒例行事である同級生との忘年会に行く足取りも軽い。
しかし、その席での会話によって、魚の小骨が刺さったような気持ちを引きずって年を越すことになる。
「あー、つまり転売ってやつだ!転売屋だ!」
と、笑いながら高校の同級生が囃し立ててきた。
年末に顔を会わせれば、当然一年間の出来事を振り返る場になる。
私からもフリマアプリが面白いということを話していた。その会話の流れで、「けっきょくいくら稼いだのか」という話題になった。振り返ってみると、二十万円以上を売り上げていた。素人から始めて一年半での稼ぎとしては上出来だろうと、多少得意になっていた私の声は弾んでいたと思う。
そんな私の鼻孔の膨らみを見たのか、興奮が伝染したようで、友人達は口々に「やるねー店長じゃん」「ひゅー」「よっ商人(あきんど)!商売人!」などと盛り上げた。それらの言葉の一つに「転売屋」という言葉が混ざっていた。若干オタク気味な友人が発したその言葉は、決して悪意を含んだわけではないと分かっているのだが、何だか心に引っかかった。
***
その後、すぐに世界中が新型コロナウィルスの蔓延により、真の非日常といえる期間が訪れた。非日常や刺激を求めてさまよっていたゾンビの私だが、この時は日常が戻って欲しいと素直に感じた。
日常に訪れた変化はもう一つあった。コロナ禍を機に、大輔から一緒に住もうと言われ、一緒に住むなら結婚してしまった方が良いという両実家の意見に従い、あっという間に籍を入れることになった。そして双子の子どもができた。
出産からしばらくは、目の前の幼子を中心に回る世界の動きについていくのに必死で、フリマアプリから離れていた。
育休期間も一年が経つ頃になり、やっと子育てのリズムを掴めてきたので、フリマアプリを再開することにした。
コロナ禍前の世界とコロナ禍後の世界の変化は、フリマアプリの世界にも影響していた。転売に対する視線が明らかに厳しいものへと変わっていた。
マスクが品薄となり、なかなか手に入れられない時に、箱入りのマスクに法外な値段がつけられて売りに出された。時の首相が全家庭に無料で配布したマスクにも値段がつけられて売りに出されていた。需要と供給の割合で価格が決まるのが資本主義なのであれば、自然な出来事ではあるのだが、必需品の値段を不当に釣りあげる存在に対して世間の風当たりは厳しく、マスコミも度々その状況を社会問題として取り上げた。
マスクの買占めや転売が問題視されたのをきっかけに〈転売〉への印象は急激に悪化していた。人気ゲーム機や数が限られる嗜好品を買うためには整理券が配られる。その整理券がもはや金券と同じものになっていた。
フリマアプリを休止していた時期に、家の中に蓄えていた商品候補の品々を見る。
―つまり転売ってやつだ!転売屋だ!―
同級生の笑い声がよぎる。
双子用に買った赤ちゃんグッズを使うことがなかったので、未使用のまま出品すると、コメント欄に「転売はやめてください」と書き込まれたことがあった。
双子の可愛らしい顔を見て浮かべた自然な笑顔は、コメントを見た途端、急に不自然なもののように感じてしまった。口角を上げながら、目は上げるんだっけ、下げるんだっけ……と、考え込んだ。
私がやっているのは転売ではないと思っている。買い占めて、値段を釣り上げて、大儲けしてやろうと考えているわけではない。フリマアプリで不用品を売る。自分で値決めをして売っていくという活動が面白いと思っていただけなのだ。仕入れて価値を決めて売る。どんな商売だって同じプロセスではないか。
そんな私自身の心持や主張は、決して自分の中から外に向かって発信されることはないので、何も意味を持たないのかもしれない。いや、外に向かって発信したとしても意味はないと思う。批判する人達が見ているのは、違法かどうかを判断しているのではなく、もっとウェットな問題として捉えているからだ。学生時代の恋愛で同じことを考えたことがある。恋愛には違法というものは存在しない。もちろん結婚という書面をかわした関係なら罰せられることはある。しかし、心と心の問題という段階の恋愛においてはマナーこそあれど、ルールは存在しない。マナーが非常に重視される。
転売かどうかという判断においても、おそらくルールとマナーの範囲が曖昧な世界の話なのである。それぞれの人が、それぞれのモノサシで動くしかない。
私は悪質な転売はしていないと思う。だからこのまま堂々と続けるつもりだ。間違えないように気をつけながら。
うん、やっぱりそう思う。
一人目の話と続きはこちら…
一人目:
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三人目:
https://note.com/preview/nf01c83df1fe2?prev_access_key=17b8cb0d9032399990534626f81af60d
四人目:
https://note.com/preview/ncbd0c7bda024?prev_access_key=a6dd2cff405d206054f7d1b1a83557c1
五人目(完):
https://note.com/preview/nd2de123d58f9?prev_access_key=d04b5f906836a869da85b412e0caa792
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