落語の師弟。私見
私が思ってるより世間の方は落語の師弟についてご存知ないようなので、わかってもらうため(誤解を解くため?)の文章を書いてみる。「落語の師弟」と言ったって、いつも言っているが私と師匠の関係が基本線で(私はお弟子をとったことがない)、普段付き合いのある落語協会の師弟のことしか私は知らない。他の団体や大阪の皆さんや江戸時代や明治時代のことについては、当てはまらない部分もあると思う。それが前提。あと、今までは触れてこなかったけど、今回は「実の親子の師弟も当てはまらないかもですよ」と前置きしておく必要がありそうだ。破門ってことがあり得ないわけだからね。
さて。どうやってわかってもらうか。他の業界の師弟とは微妙に違うし、また他の業界の師弟を例に挙げて「見習いなさい」と言われても困る部分もある。だいたいの業界で弟子は月謝を納めるのだろうが、我々にはそれがないし、「入団したら指導係がこの人だった」ってタイプの師弟関係でもない。
1、個人が個人に願い出て入門する。契約書はない。
1、雇用ではないから給料などは発生しない。月謝も不要。
1、身元引受け人的な関係になる。
などなど、師弟によっても違うが、かなり独特な関係である。
そうやって考えていると、落語の弟子になるのはヒッチハイクで乗せてもらうのに似ていることに気づいた。と言ってもヒッチハイクしたことがないから想像するだけだが、実態もかけはなれていないと思うから例えてみる。もともとの運転手の目的地があって、便乗させてもらう。お金はいらない。うん、似てる。ヒッチハイクってものがわかる方なら、乗ってやる立場じゃないこと、運転手はこれといった得はないが善意で乗せてあげるってことはわかるだろう。だから、運転の仕方が悪いとか、あっちの道から行ってほしいとか、乗せてもらっといてとてもじゃないけど言えない。隣で寝たり漫画を読んでるわけにもきっといかない。運転手の話に合わせたり顔色を伺ったりするんじゃないだろうか。運転手側がもしあまりに不快なら降りてもらうぐらいの権利はあるだろう。「ここで降ろされても困ります」とアピールされても運転手にはそれは別の話だ。「乗せてほしいと言ったのはそっちだろう。ヒッチハイクするなら、どこで降ろされても仕方ないぐらいの気持ちでしろ。」ってなところか(もちろん心ある運転手なら命に関わるような場所では降ろさないだろうけど)。乗せてもらってる方は、あまりにも我慢できなければ体調が悪いとか何か理由をつけてどこかのドライブイン(古いー)で降りるとかするしかない。その運転手を自分に合わせさせることはできないからだ。そういう意味で落語の師弟も似ている。
もちろん乗せてもらった側にも人権はあるから、運転手に理由もなく罵倒されるものではない。運転手も「こいつ変な奴だな。乗せた俺が馬鹿だった」ということもあり得るだろう。約束や決まりを文章にしたものなどない、何となく2人が合意して始めた関係だから、ほころびもいろいろ出てくるが、折り合いをつけながら目的地を目指す。視線は同じ方向を向いているのだ。
そして、弟子もいずれ独り立ちするが師弟関係は解消されない。そのまま、師匠は師匠だ。乗せてもらった感謝や恩は消えない。落語家として心の中で優先するのは師匠のこと、となる。良心のある落語家なら、仮に自分の師匠と寄席の席亭の葬式の日が重なった場合、師匠の葬儀に出るのが当たり前だ。これが、肉親の葬式となると身体が二つほしくなるわけだけどね。もちろん落語家としての良心のない方もいるが、具体名を出すのはやめておく。
以上、私の師弟観をざっと書いてみたが、いかがでしょうか(ざっとと言っても3週間は費やしているのだが)。もちろんこれからの時代において変わっていくことも十二分に考えられるし、もし私に弟子ができたら変わるかもしれないけれど。
それから、師匠円菊に辛くあたられていた時期のことをXに投稿したら、まるで良いとこがない師匠のように読んだ方がいた。そんなはずないのだが、私も文章が巧い方ではないし、まあそれは仕方ない。けど師匠円菊について誤解されたままなのは不本意なので、良い思い出や師匠の良いところや私が個人的に真似してる箇所などは、また機会をあらためたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?