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愛染明王と密教の欲と自慢も菩薩

仏教や密教やヨーガやインド哲学をやってきて

神仏を拝まない、偶像崇拝しない釈迦仏教から

大乗仏教は思想が変わっていき、密教も思想が変わっていきました。

釈迦仏教じゃないのもわからないかたがたくさん


自慢も菩薩の境地の密教の教えだと経典の言葉を出して言ってもきました。

これは、説明や意味や境地は説明できるものではないから、わからないでしょうが
中期密教までしか伝わっていない真言宗は、説明経典までだが

インド密教やインド密教の後期密教まで伝わっているチベット密教は、実践法が書いてある経典があります。

釈迦の仏教、大乗の仏教、密教の仏教をよく研究しないと仏教は理解できないと思ってますが

これからnoteでいろいろ話していきます。

社会で生きているかたたちは、仕事したり、恋愛したり、家族をもったり
欲の世界で生きています。
よく考えていけば
自分を高める良い欲と自分を駄目にする悪い欲があるんですが

良い欲になり、悪い欲を無くそうとの教え。

人のことを何だかんだと言う前に、仏教や密教の教えを覚え、理解していくほうが先だと思います。

私は、何でも黙ってやってきました。
親にも、誰にも、何にも話してきませんでした。
何故だか、いろいろやってきたことは無意識でやってきたんですよね。
合気道で、正月に山の川で水行したり
テニスの試合に出て動き回るんで、15キロ以上減量したり
たくさんの苦行
苦行だったんですが、苦行に感じたことはありませんでした。
楽しかったです。

これらは、いま思えば、修行者の修行なんだなと思いました。

釈迦や仏教の教えの多くは、出家修行者に説いているのがたくさんだなとわかりましたよ。

理解できなく、鵜呑みコピペのかたがたくさんじゃないんでしょうか?

独り言だから絡まないでね。 
今日はこのへんで

👋
continue

🛐

愛染明王(あいぜんみょうおう)   
 愛染明王は、頭に獅子冠をかぶり、髪を逆立て、三目で、牙をむき出して□をカッと開き 6本の腕を持った恐ろしい姿の忍怒(ふんぬ)尊です。

 愛染という名前のとおり、愛情・情欲をつかさどり、愛欲貪染をそのまま浄菩提心 (悟りの心)にかえる力をもち、煩悩即菩提を象徴した明王です。すなわち、 人間にはさまざまな欲望がありますが、この欲望は人間には滅亡へとかりたてる力を持つとともに、 時には生きて行くうえでの活力源となり、より多くのものを可能にし、高める力を持っています。 この両刃の剣である力強い欲望の工ネルギーを、悟りを求め自らを高めようとする積極的なエネ ルギーに浄化しようというのが愛染明王の教えです。

 弘法大師によって日本に伝えられた愛染明王は、愛情などの敬愛を祈るほか、息災・増益・ 調伏を祈る本尊として、特に鎌倉時代以降に広く信仰されるようになりました。

 また愛染明王には、天に向かって矢を射る姿の「天弓愛染明王」や不動明王と愛染明王の 二つの顔を持った「両頭愛染明王」などの名称をもつ異形の像があり、高野山にもこれらの 異形像が伝わっています。

 愛染明王は、胎蔵・金剛界の両部曼荼羅にその姿は描かれていません。しかし、弘法大師が 中国より請来された『瑜祇経(ゆぎきょう)』に説かれています

愛染明王
古来、貴族や武家に篤く信仰され『戦の神』として崇められました。元寇の襲来を暴風で退散させたのも愛染明王さまです。
上杉謙信の直臣、直江兼続が深く帰依し、カブトに『愛』の文字を掲げていたのは有名な話で、大河ドラマなどでご覧になった方も多いと思います。
愛染明王さまは霊験が強く、無礼をはたらく者に容赦しないため、仏師は仕上がりが気に入らないと命を取られると言って、彫るのを大変嫌がったといいます。
戦の無い時代には、その霊験の強さにあやかり、高嶺の花との恋愛さへも成就させてもらえるといわれ、恋愛成就の神として信仰が集まるようになりました。
ところで、愛染明王さまの6本の手に、何も持っておられない手が1本見えますか?
これは衆生の願いをすくい取るために空けておられるのです

まずは、ご真言を覚え、お唱えしましょう。

おん、まから、ぎゃ、ばさろ、しゅにしゃ、ばざら、

さとば、じゃく、うん、ばん、こく

愛染明王を本尊とした愛染法である。
煩悩即菩提という真言密教の奥義をそのまま体現するのが愛染明王である。
愛染の「染」は「愛に染まる」ことを表すのではなく「愛という煩悩」を表す。
本来仏教では愛という煩悩は捨てるべきものであるが、その愛という煩悩を人々を愛し救うという願いに変化させる。
求めるという行為を煩悩とすれば、悟りを求めることも煩悩と言えてしまう。
しかし求める先が悟りであるのか自己中心的な愛なのかで求める行為自体も清浄となり、また汚れもする。
このような深義を有する修法であるので実践には必ず師の教えが必要である。
ただし中院流は愛染明王の奥伝を伝えておらず、如法愛染など深秘は他の法流に依らねばならないことを付言しておきたい。

内縛して忍願の指を交え右にて左を押す 真言 大呪 オンマカラギャバゾロウシュニシャバザラサトバジャクウンバンコク 次三昧耶一字印 外五鈷印を用うす

ネット記事参照

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理趣経

見淸淨句是菩薩位 - 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
適悦淸淨句是菩薩位 - 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
愛淸淨句是菩薩位 - 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
慢淸淨句是菩薩位 - 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
莊嚴淸淨句是菩薩位 - ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である

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不動明王

密教では三輪身といって、一つの「ほとけ」が「自性輪身」(じしょうりんじん)、「正法輪身」(しょうぼうりんじん)、「教令輪身」(きょうりょうりんじん)という3つの姿で現れるとする。「自性輪身」(如来)は、宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿を指し、「正法輪身」(菩薩)は、宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く姿を指す。これらに対し「教令輪身」は、仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる、外道に進もうとする者はとらえて内道に戻すなど、極めて積極的な介入を行う姿である。不動明王は大日如来の教令輪身とされる。煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。

Wikipedia参照


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