見出し画像

釈迦の最後の言葉の自灯明と法灯明と手塚治虫のブッダ

自灯明と法灯明の正しい解釈は

自灯明 正しくは「自灯明・法灯明」といい、 釈尊の遺言として伝えられることば。 「自らを灯明として自らをたよりとして生きよ。 真理(法)を灯明として真理をよりどころとして生きよ」という意味
原始仏教経典の涅槃経に書かれていて、その後に付け足しをされた涅槃経がいくつもでています。

手塚治虫のブッダを読み、ブッダの言葉や人生を本物だと思っているかたは多いようですが
私が習った駒沢大学の教授もしているお坊様は、手塚治虫のブッダは、本当のブッダではない、そうかのために書いたブッダだと言ってました。
仏教会では、手塚治虫のブッダは批判されていました。
良いマンガですが、大乗仏教の法華経を意識したブッダですね。
大乗仏教経典のブッダは、伝説化されたブッダですから、仏教をよく研究していかないと、僧侶すらわからないことはたくさんです。


お坊さまに言われ調べたら、その頃いけださんは、出版社の編集者もやっていて有名な漫画家がたくさんいました。
手塚治虫ブッダや私の好きな漫画家や作家や絵師がたくさんでびっくりしました。

自燈明法灯明の話がづれてきたんで、今日はこの辺で
勉強研究の話や、自分の体験話はたくさんありますね。
テーマの話に入れながら語りますかね

👋
continue



🤓

文筆家への夢 昭和24年(1949年)1月、第二代会長戸田先生(当時理事長)が経営していた出版社・日本正学館に入社した池田大作青年は、少年雑誌(『冒険少年』のち『少年日本』と改称)の編集を任された。 企画から編集、原稿の依頼、校正などあらゆる作業を経験し、未来を担う子どもたちのための、良質な雑誌づくりに精魂を傾けた。

👳

ではアーナンダよ、比丘が自らを灯明とし…法を灯明として…(自灯明・法灯明)ということはどのようなことか?阿難よ、ここに比丘は、身体について…感覚について…心について…諸法について…(それらを)観察し(anupassī)、熱心につとめ(ātāpī)、明確に理解し(sampajāno)、よく気をつけていて(satimā)、世界における欲と憂いを捨て去るべきである。

アーナンダよ、このようにして、比丘は自らを灯明とし、自らをより処として、他のものをより処とせず、法を灯明とし、法をより処として、他のものをより処とせずにいるのである

として、いわゆる四念処(四念住)の修行を実践するように説いた。

これが有名な「自灯明・法灯明」の教え

Wikipedia参照
🤓

3代会長である池田大作は、1949年から2年ほど、日本正学館で少年誌『冒険少年』『少年日本』の編集長を務め、小松崎茂や山岡荘八の担当編集者だった。そのため、創価学会グループの出版活動拡大に伴い、学会員子弟(少年部員)向けの少年誌創刊が企画された。
主な連載漫画

手塚治虫:「ブッダ」「ルードウィヒ・B」

横山光輝:「水滸伝」「三国志」「項羽と劉邦」「殷周伝説」

藤子不二雄(藤本弘):「ポコニャン」「T・Pぼん」

藤子不二雄(安孫子素雄):「パーマンの指定席」 - 映画エッセイ

みなもと太郎:「レ・ミゼラブル」「風雲児たち」「雲竜奔馬」

星野之宣:「宗像教授伝奇考」シリーズ、「ヤマタイカ」

諸星大二郎:「無面目」「太公望伝」「西遊妖猿伝」など

坂口尚:「12色物語」「石の花」「VERSION」

倉多江美:「静粛に、天才只今勉強中!」

坂田靖子:「アジア変幻記」シリーズ

山岸凉子:「ツタンカーメン」「青青の時代」

安彦良和:「虹色のトロツキー」

その他たくさん

wikipedia参照


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?