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仏教哲学と宗教妄想

他で質問されたので、返信した内容です。
私も学者みたいにわかりませんから、あしからず🙏
🤓


👩
おはようございます。

🟠🟠グルさんの本を読みまして


自分だと思っている全ては自分では無いんですよね?そうは思ってはいましたが…

なんだか


感情も心も髪の毛も何もかも


そして

自分が誰かなど関係ない。

やるべき事をしない限り、求める人生は手に入らない。


自分の運命は自分で作る。


なのですが


自分が自分ではない。


んー 人間の全ての認識と経験は100パー自ら想像したものですよね?


思考も感情も自ら作り上げている。


だから

自分の思い通りにいくって解釈かなと


認識は全て内側ですし


なんだか解らなくて


🤓
おはよ♪(*´∀`)

宗教家が言っているのは空想だと思っていたほうがよいよ(笑)
有名なかたも、理解できなかったり、幻想妄想性になっているかたもたくさん。

空は実体がないとかあちこちで書いてあるが、不変の実体がないだから

ちゃんとした哲学者は、ちゃんと説明してるよ。

無我も我が無いじゃないから、非我と書いてあるのもある。

実際のものを、意識の自我は変えてしまっている。

他にも我や識や縁起などは、実在論からの哲学論理だから。

空論や唯識学を知って勉強してきて、現代科学や心理学をも知っているかたじゃなければ理解は困難だし、言語で説明はなかなかできない。

🟠🟠🟠🟠で仏教哲学をずっと語っている僧侶に、質問しても返ってきたことない。
教わったことを鵜呑みコピペなだけなんだよ。
わかっている気になっている妄想性かな?

妄想をwikipediaで調べてごらん。
宗教妄想も書いてあるから

現代科学や心理学もやっていると、本物と偽物の見分けもできるようになるよ。

お休みなさい
(-_-)zzz

🤓

仏教は、苦は執着や煩悩から出ると言っている。
インドヨーガも仏教と同じ教えと修行だよ。

精進の教えは、出家者は悟りの修行を精進。

社会人は、仕事を精進だよ。

それを、口だけ仏教の教えを言っていて、実際には関係ないことに執着や煩悩して苦を作りまくりして、悟りの修行なんか何にもしないで
だんだんと執着や煩悩がたまっているだけ

自分の観察から始めたらいかがですか?

👳

ナーガールジュナ(150頃-250頃、中国名「龍樹」)です。

彼は八宗の祖、つまり大乗仏教諸派全体の祖とされます。そして彼の思想の中心は『中論』で展開される「縁起・無自性・空」の「空の論理」です。

 縁起で「一切は縁起(原因)によって起こる」というブッダの縁起説を、ナーガールジュナは哲学的・論理的に徹底して考え抜きます。

縁起は、言葉の意味は永遠不変ではなく、変化しまた消滅してしまう事もあり得ます。

釈迦の諸行無常も同じです。
しょぎょうむじょう

【諸行無常】

仏教

万物はいつも流転(るてん)し、変化・消滅がたえないこと。

「諸法無我」とは、「すべての事象や存在は無我である」という意味を持ちます。 これは、私たちが日常で感じる「私」という意識や感覚も、さまざまな要因や条件によって形成されているものであり、不変の「私」や「自我」は存在しないという教えです。
我が無いではありません。



縁起によって成立している事物は、その縁起が変化すればその事物も変化し、縁起がほどけてしまえばその事物も消失してしまいます。これを事物の側から見れば、事物はある縁起によって仮に成立している、一時的に成立しているものという事になります。
それ自体では「本質」「意味」そして「自性」を持たない、「無自性」といいます。


言葉は人間が便利に生きていくための道具として発明したもの
そこには、人間の意識で真理や実在を変えてしまった世界が広がっています。

だとすれば、縁起や言葉以前の世界はどのような世界なのでしょうか。いかなる規定も意味もない、無規定・無意味の世界、つまり「空」です。しかし空は「無」ではありません。
人間では見えない、わからないこの宇宙の原初と同じ、量子の真の姿があふれています。
仏教は真の姿を悟る修行です。

言語は変えてしまうから、何にも言うなではない

何にも言わなければ、何にも伝わらない

智慧や妙観察智の修行をしていき、言語やこの世界の真理がわかるようになる修行
釈迦や仏教は、智慧をたくさん言っているのに理解できないかたがたくさん。

大乗仏教で説く悟りの彼岸(ひがん)に至るための六つの修行徳目。 六度とも。 布施(ふせ)(完全な恵み,施し),持戒(戒律を守り,自己反省する),忍辱(にんにく)(完全な忍耐),精進(しょうじん)(努力の実践),禅定(ぜんじょう)(心作用の完全な統一),智慧(ちえ)(真実の智慧を開現し,命そのものを把握する)の六つ。

🛐


👳

宗教妄想

「:en:Religious delusion」も参照

宗教妄想(しゅうきょう もうそう、英: religious delusion)は、誇大妄想の延長上、または、ひとつの症状として考えられている。自分自身に何か超次元的で特別なパワーがあると信じたり、霊界のような所から特別な預言や啓示を受けた、またはあらゆる病気を癒す力を授けられたなど、内容が極めて非日常的で壮大なものであり、訂正不能な強固な確信があることが特徴で、現実世界からは考え得ることのできない壮大なスケールによって描かれる妄想が大半であり自分自身を“神”の化身であると信じてしまう症例である。統合失調症のひとつの症状としても考えられているが、人格崩壊まで至るケースは稀であるが憑依妄想を共に発症するケースがある。これが極端になると宗教団体の教祖にまでなってしまうケースも見受けられる。中壮年層に多く発症するが、青年期に発症する例もある。

wikipedia参照



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