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なぜ経済が伸びないのか~市場アルゴリズム~

 経済が傾いて成長軌道へ戻れない事について、年金問題一つ取ってもとりわけ歴代政府の責任は重いわけですが、国民も自己防衛のために経済活動を縮小しています。蓄えがないと自分の生活が守れないと思っているからです。
 一方で企業の自己防衛も相当にシビアに経営に切り込んでいますが、手段は多くの場合、人件費・間接費の圧縮と下請け・仕入れ圧力になるようです。
 消費がどのように縮小しているか経済活動の基本になっている販売の例から考えたいと思います。


新経営型店舗

 不景気の最前線と言えば販売、すなわち店舗です。店舗経営のリスクはほぼ立地で決まります。立地というのはとてもシビアで駅の一つ裏通り、距離は近いが町の中心地から少し外れただけで売り上げは激減しますが、不景気感がこれを加速しており、不動産価格の落差に表れてきています。
 もう一つは季節により決まります。例として観光を挙げると、長雨や台風が来ればキャンセルといった例でおわかりではないか思います。
 他にもあると思いますが分かりやすくこの二つでリスクを説明させて頂きました。
 季節や立地で不利な場所で販売を行うためには計画的に開発をしなければなりません。そこで頑張って頂ければ何も問題はないのですが、ご想像通り頑張りません。頭からリスクに悩みたくないと努力を放棄してしまう薄弱な経営が増えているのです。失敗例の方が増えているので仕方がない所もありますが、この傾向は急速に広がっており、最終的には好立地の販売店や一部の大手でもリスク排除の動きに傾倒するようになりました。問題の一つが自称委託販売と呼ばれる方式です。呼ばれると書きましたが「自称」は私が付けました。委託販売とは異なるからです。
 簡単に言えば、出品者(生産者・製造者など)の商品を並べ、売り上げた分だけを精算します。正確に言えば売り上げ精算方式といった言葉になると思います。メリットは在庫の損害は売る人間ではなく出品した人に行くということです。この時点ですでにおかしいのですが、売れないのは販売側が販売していないからなのです。販売力のない店舗が増えていると言えば分かりやすいと思いますが、売り上げは商品の魅力頼みです。こんな店舗が増えれば経済が下を向くのは当たり前と言えます。利益が頭打ちになるという予測から損害を減らすという考え方が極まるとこうなります。

 分業という点でもおかしく、客の見えない生産・製造側が商品の購買力を上げなくてはなりません。単にリスクから逃げたという以上に販売努力、つまり自分たちが受け持っている担当業務を放棄して製造努力に押しつけているのです。
 立地や開発の計画はとても甘いのですが、それだけに店舗施設には資産を注ぎ込む傾向があります。インフラとしての魅力はあるので店員の意識は高くなります。ただし、インフラの魅力と売り上げは全く別ですし、店員の意識と経営能力が比例しているわけではありません。むしろ内実が伴わないので、インフラの魅力に依存し、人は来るが買わない(無料利用と少額の消耗品・ウィンドゥショッピングのみ)、意識が高いのに成果が低く鼻持ちならない、リスクの感覚が乏しいので売り当てもないのに(損害が自分に来ないとなると途端に大雑把で楽観的な見通しになります)大量に商品を依頼して気分で在庫の損害を出させるなど、全体で見ると数値的に最悪な経済を作ります。

インフラの魅力

 施設的には新しく綺麗で、車利用者向けに駐車場を広く設けています。まずは立ち寄ってみたいと思わせる事には成功しています。しかしながら商品を買おうというモードではありません。興味が生じたので品揃えや中を覗いてみたい、ですとか休憩、珍しいもの見たさの好奇心、話題を拾おうとして立ち寄るのです。
 従来的な店舗であれば、ここから客を引き込んで商品の魅力を伝え購買意欲に働きかける「接客」を行うのですが、接客店員が受け身で、雑談をしたり雑事で客に注意を払いません。尋ねられた事には蘊蓄を披露しますが、距離感が購買メリットを外しています。中には好奇心で購入してくれる思想タイプの人もいますが、購買の80%以上は衝動買いと言われる通り、単刀直入に心に響くメリットを伝えなければなりません。ややもすると下品な金漁りになりかねない業務で、ニーズを的確に捉えて相手の気持ちに添ったアドバイスを行う極めて高度な接客技術です。会社員の方であれば販売が不在だと売り上げは相当に落ち込み、不誠実だと会社の印象は悪くなるため、質と利益を支えているパートであることはご理解頂けると思います。逃げの姿勢で身につくものではありません。少なくとも他の業務に投げていい内容ではありません。そういった誇りのようなものがないのです。商品知識を語って終わり、客とは友人感覚でサービスとしてお役に立ってはいないのです。
 しかし施設を作る資産力のある組織に属しています。販売競争もありません。こういった環境を自分の力と勘違いして堕落しない方がおかしいのです。人を育てる力のない職場、と言えるでしょう。
 百貨店などでは委託販売類似方式の仕入れは行わないそうです。立地が良いということは地代が高額で確実に収益を出さないと潰れてしまうため、このように一発資産を投じた後はのらりくらりとやって行く商売は論外なのです。


実は後付け―――大手だからはまり込む勘違い

 大手だから紳士的…とは言えない例は増えています。大企業病という言葉もあります。「自称」委託販売、「自称」消化仕入れなどと誤った言葉を用いている時点で、彼らの思考は独りよがりで人間的欠陥があることが分かります。基本となる言葉が正確でないので、その上に積み上げられたもの全てが誤っています。
 長くなるのでここではこの言葉を掘り下げませんが(解説すればどれだけ勘違いが酷いかという説明にはなりますが)、正確に言葉の意味を理解している人はほとんど見たことがありません。経産省・総務省(発刊物の中で引用されています)の中にも一人くらいしかいませんでした。法的な定義と異なり商習慣の言葉で、本に書いてある言葉ではないからです。
 大手だけに交流の幅から色々な言葉が流れてきます。その中に如何にも「専門的」な言葉が交じっていると、聞きかじった言葉を知った被りをして語りたくなるのが人間です。当然、意味は分かっていません。それらしく聞かせるために自分で勝手に肉付けします。こうなるともう元の定義から離れた言ったもの勝ちの空想になっています。本当に残念に感じるのは新経営型店舗の責任者にもこういった発想の人が多い事です。考えてみれば資産だけあるが下積みの苦労のない人が経営を任されるわけですから言葉の意味一つ調べる労を惜しむのは仕方ありませんし、軽薄に自己解釈を語るのも自然体なのでしょう(誰も言葉そのものや正しい意味を知らないと安心しているようです)。知らない言葉に衝撃を受け、カリスマを感じたので他人も感心してくれるだろうと思って多用します。言葉のカリスマに頼っているだけに、その単語を持ち出せばなんでも自分が通ると思っています。通してきたのでその傾向が執着的です。
 いろいろ語った所で翻訳すると「在庫リスクを抱えたくないという身勝手で脆弱な本音を体裁良く語る単語」という中身しかないのですが。
 さて、人の悪口が長くなりましたが、経営に振り返ってみると、これが現在の日本の経済循環を悪化させている思想なのです。
 先日、日本共産党のたつみコータロー議員がコンビニ改革の質疑を行った時、公正取引委員会は商習慣の常識から逸脱して加入者に不利益を与える行為は独占禁止法違反の対象となりうると認めました。
 まさにこれがコンビニ経営の核心だと思いますが、新経営型店舗とコンビニは思想的にかなりよく似ています。
 もう一つの問題として商習慣の常識という言葉が引き出された事があります。我が儘で自己満氣な人が適当な事を言っているだけだろうと思われたかもしりませんが、実害は今思いつくだけで「営業妨害」「虚偽会計文書作成」と言った犯罪行為にまで及びます(このノートに反響があれば後日詳しくご説明するかもしれません)。それに加えて商習慣の常識を踏み倒した行為は独占禁止法に違反するという見解まで出て来たのです。まともな経営者ならこのまま行こうとはしないと思いますがまともでないと思います。
 仮に組織内に賢明な人がいて忠言しようとしたとしても聞かないでしょう。おかしな事をしている人たちには自覚がないので事件化するまで自分では分かりません。そういった空気があるからこそコンビニの問題も出て来たのだと思いますが、どちらもやっていることは経営リスクの下層へのアウトソーシングです。元々の商業世界ではリスクを負うことでそれに見合った利益を出すという常識があったハズですが、そもそも責任を取るべき上流が真っ先に逃げて責任は下が取る、上流はこれをどうやって他人に押しつけるかということだけ考えて押しつけられた側の事は考えない。しかし相手はパートナーであって自身の商売に不可欠な市場循環の一部ですから経営環境は低迷します。直接目に見える損害が自分に来ないというだけです。

 安全地帯に引きこもって利益だけを吸い上げ、リスクは外部に押しつけるという不健全な考え方が大企業の経営の中心にあるということです。
 いやなものは自分から切り離して他人へ、という分断の考え方は差別とも同じですので、そこに格差も生じるわけなのです。


さらにすごい事が…憲法まで踏み倒す悪質経営

 見出しに驚かれたかもしれませんが、このくらい書いてもいいかなと思いました。独自解釈がまずい、という指摘にどこか危機感を感じていない方もいる(人間誰しも傾向としてありますし自身がそういう方もいらっしゃると思います)と思います。おそらく個人差の範疇で捉えられているからだと思いますが、それが実は憲法に違反する行為だとすると、どこかで組織的に行ってよい事なのか?といつか問題になってくるかもしれません。
 この新経営型店舗のもう一つの形態として、公共的な投資が行われた施設があり、その経営が外部業者に任されるというパターンがあります。例としてはコミュニティ施設や教育施設、道の駅などです。施設内で販売を行っているものやそうでないものもありますが、経営にパソナなどの大手企業が入っていってます。数年前から都市での市場が縮小し予算がつきにくくなったため、多くの企業が地域で手つかずの資産に目をつける地域流入の流れが生じました。不動産など物件の評価額が下落した事で営業先を都市から地方に求めて移動しています。
 こういった中で、当然国の天下り的な事業も参入してきます。自治体との繋がりがあるからです。省庁国家公務員が自治体の政策室などに数年おきに赴任しているのはご周知かと思います。都会に母体を持つ大手が入ってくるのはそういうワケです。
 さすがにこの辺りになると自己解釈一辺倒ではなく、綿密な契約書を交わして後々の問題化を防ぐ知恵を働かせる部署を持っています。一見不正や自己解釈の入り込む余地がないようですが、実はもっと巧妙で悪質な手口になっています。
 そのような契約書を知る人によると知識のない人には分からないかもしれませんが、知識がある人間から見ると暗文が張り巡らされた果てしなく黒い文書になっているそうです。
 どういう事かと言いますと、要するに「自己解釈」の「追認」を求めた上で問題点は「民事的に転嫁」させるための記述がぬかりなく配置されているのです。
 相当に意図的な悪意を感じますが、では何が問題になるのか考えてみました。さすがにここまでくるともう裁くものが憲法しかありません。直接的な罰則をことごとく避けているので書類上は民法刑法をかいくぐっているのです。相当に臆病でもあり、周到に手を回しています。
 一つは社会問題としてまだ明確になっていないケースもありますがハラスメントの問題があります。パワハラです。内容は組織の「自己解釈」で正しい商習慣の知識から逸脱したものなのですが、要は契約書の中で商習慣の伝統と異なるものを「再定義」しているのです。当然、事実と異なり一種の虚偽文書です。契約にサイン押印するということは、取引をさせてやるからここに書いてあることを鵜呑みにせよ、その証しを残せということになりますが、内容の分かる人なら相当な抵抗を感じるでしょう。闇の定義を受け入れたサインをしろというのですから完全な裏技です。契約上の立場を利用したハラスメントになりかねません。
 もう一つは憲法の「思想の自由」に反するのではないかという問題です。捏造された間違った商習慣の定義を受け入れろということは、正しい知識を捨てて、頭の中を歪んだ再定義に塗り替えろということです。取引をするだけなのに既に関係のない所で事実化している認識の宗教的浄化を強制するわけですから思想の自由を侵害することになります。契約書とは「お互いが」円滑に作業するために行うもので、思想的な支配関係を構築するツールではないのです。
 もちろん、どちらも契約を交わさなければよいのですが、逆にそれしか逃げ道がないということが人によっては致命的となります。ほとんどの製造側業者は知識がないこともあり、取引のためにサイン押印してしまっているでしょう。
 サインをする、その了解が違法性の高い操業への批判や指摘を封じ込めるために使われていることを考えると、実態として内部告発封じの牽制を狙ったものであり、契約書の民事的効力を考えると署名には相当に強迫性のある縛りを感じるハズです。


経済は溜めるものではなく「回すもの」

 各種の経済の問題として最後に結論として行き着くのは経済を回すという感覚の喪失だと思います。
 発想と結果のどちらも、根底には「資産・インフラ強者がプラス利益だけを独占する」という考えがあります。しかし、利益も少なく経済も停滞するというご説明を致しました。
 ここについては図で書いた方がよいと思いましたので添付します。この「循環」を作り、回転速度を上げて行くことで利益が生じます。仕入れが拡大することで原材料の生産量も上がりダンピング効果が生じエネルギー消費も底上げされます。
 今の経済がダメなのはこの循環を販売・インフラ側の企業が止めてしまっているからです。 

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後書き

 伝えるのが難しい内容があったと感じます。なかなか書き出せませんでした。最後まで読んで頂きありがとうございました。
 

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