トリエンナーレと輸出規制
韓国との関係にまつわる報道が増えています。輸出規制は一見、問題化するほどの内容ではないように思えます。本来輸出入は規制の上で行われるもので、今回の措置は緩和されていた規制の水準を本来のチェックに厳格化するものだからです。しかし理由は安全保障上の措置で、輸出対象のホワイト国(兵器材料―今回の場合は北朝鮮へ流れる場合を含みます―への転用がないと見られる輸出優遇国)から韓国を外す措置を表明する事で意図を明確にした形です。
一方、愛知トリエンナーレでは韓国の慰安婦像を「思わせる」像の展示があったという事で現地市長が展示中止を要請、官房長官は補助の見直しを表明する事態となりました(知事は展示への影響を否定)。
どちらもよく見ると物の見方を変えての措置となっています。
ナショナリズムなのか
現在、世界の多くの国・先進国が政権運営のための意思統一手段としてナショナリズムを掲げています。そしてしばしば国として自国第一の意思表明、対外的な対立を表面化させるなどの意思表示を行っています。
今回の日本の二つの処置は、根幹にナショナリズムがあるようにも思えます。韓国に対する外交上の立場もあると思いますが(現行の政府の考えに基づく)、前段階で日韓基本条約に背く日本企業への賠償請求権が発動されたことがある点から政治的対応と見られ、各報道機関の受け止めは最初から「事実上の制裁措置」としています。現行政府は事実と異なる報道に大変敏感ですが、公式に何ら反論・異議を唱えておりません。むしろ、韓国への制裁という認識を国民にアピールすることに、何も問題がないようです。その上でまるで計ったように冷静に安全保障上の問題という説明を強調しています。
また、安全保障上の措置と言うことですが、本件についてアメリカは難色を示しており、事実上、日韓共通の上位同盟国への了解のない行為であったというこです。そのため安全保障上の措置といいつつ、その優先度は不透明さが漂います。
愛知トリエンナーレについては逆に展示内容に対する様々な日本政府の姿勢への反論を含むのではないかという憶測が敏感に捉えられたようで、右寄りな姿勢の河村市長が声を上げ、次に官房長官の談話となりました。慰安婦問題は解決済みとする日本の立場に反する流れになりかねない(それがけしからん)という判断・訴えのようです。こちらは降って湧いたようなお話で根拠は乏しいものの、一連の韓国に対する厳しい姿勢に沿ったやや強硬な対応となりました。主催者も県も反対の立場を取っていますが、結果安全措置としての展示中止に至りました。FAXで「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」と京都アニメーションの放火を模倣した犯罪予告など脅迫が相次いだためですが、警察は発信者の特定困難としてまるで脅迫を擁護するかのような捜索放棄とも取れる対応の様子で異常な雰囲気となっています。
発端はネットの書き込みから一部の方々の抗議が炎上した事から、それを受けた市、そして政府が反応した形です。問題は「一部の方々」の判断・思想と政府、行政のスタンスが一致した流れであることでしょう。一般的にはアートですので行政とは独立した文化的な空間の中で完結する表現であるため、思想的な指導強制を行う対象ではないからです。この顛末はロイターにも報じられたということで海外からは日本のナショナリズム事件扱いになっているようです。
誰にとってのメリット?
一連の出来事を時系列で見ると
韓国での日本企業への賠償が本格化
参議院選挙でれいわ新撰組が突出し、野党が議席を増やし与党が減らした
輸出規制
トリエンナーレ展示中止
実は選挙が終わったにも関わらず、ネットの世界は山本太郎元議員のフィーバーとその批判が激しい勢いで戦わされています。TV局も選挙後れいわを取り上げる機会が増えており、当選議員の方が障害者ということもあって話題を集めています。
与党からすれば合計16議席を失いましたが、それ以上に一人で99万票を挙げてしまうゼロからの野党が誕生したことは脅威であると思われます。その勢いが野党の当選を牽引している事は明らかですし、そもそも同数票を取ることのできる議員が与党にはいないわけですから現在日本で一番カリスマのある政治家ということになります。以上を冷静に認めた結果、当然の如く自民党の威信と求心力の回復が必須、それを一年内にあると言われる衆議院選挙の前までに危機感を持って成し遂げなければならない情勢に追い込まれたと言えるのです。ネット・TVでの与党支持者・ナショナリズム論者・活動家の激しいアピールはその危機感の裏返しと言えます。
韓国に対し厳しい態度を取る、そこへ安全保障上の配慮も加わっている、日韓条約に関連して韓国が取った行動を燃料として、安全保障は自民党、というアピールをすることで、山本太郎議員に対抗しようとしているように見えます。
なにしろTVの話題もほとんどさらわれてしまっていますから、組織の強味もなくなっていて何もしなければ露出度自体が下がってしまいます。
最後に
トリエンナーレの展示は静観した方が、日本は異なる意見も受け入れる国という高評価と係争国との落差が印象づけられたと思います。例えば日本では「NO ABE」という運動がありますが、韓国には知る限り「NO MUN」という運動はありません。
現政権以前の日本は、韓国に対して大人の対応を取ってきましたが、麻生氏の「ナチスに学べ」発言以降、他国の評価が一変した事を感じています。ヨーロッパ諸国では経済圏で韓国と親密ながら日本寄りの立場を取っていた人たちが韓国寄りにスタンスを反転させました。
現在日本のナショナリズムは海外紙の話題として定着してしまいました。
慰安婦像の設置先は増え、日本は国連から謝罪勧告を受けています。これは日本の国連での地位が失墜し力をなくして行っていることを意味します。