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私の言葉の汲み取り方

『どうやら話し言葉の微妙な意味合いまで汲み取ってしまう癖がある。』

ここ数年のモヤモヤの原因が分かった今日この頃です。

日本語って同じような意味合いでも多種多様な表現が他言語よりもできるものだなと感じていまして、それは日本語ゆえの美徳だと思うのですが、誤った使い方をすると簡単にマイナスイメージを陰ながら含む強かなものにもなり得る気がしています。

これは個人的見解でしかありませんが、
場面場面でどの単語を使うか私は生きる上で慎重且つ暖かく、取捨選択をしていきたいと思っています。

具体例をお話ししますと、仮にお仕事でとても忙しい瞬間が1時間程度あったとしましょう。
その1時間を乗り越えたのち、皆で振り返り、コメントするならどちらがより明るいイメージを持てるでしょうか。



①「今の1時間はかなりばたついたね。」
②「今の1時間はかなりいそがしかったね。」

もちろん、これは個人差が出る回答だとは思いますが、私が発言するのであれば迷わず②を選びます。

①は、忙しかったと言う意味を含みながらもしかすると手際が良くなかったのか、段取りが取れておらず結果的にばたついた、と言うイメージがあります。

②は忙しかったねと乗り越えた状況だけを仲間と共有し努力を労う声掛けの様に聞こえます。

私ももちろんまだまだ人生経験が浅いので、私が必ず正しい!と言うわけではなく全く真逆の意見もあると思います。
世の中ってそれでこそいいとも思っています。

ただ、人より少し単語の持つ意味を深く考えてしまう癖はきっとどこかで誰かを救えたり、守れたり、有意義に使える力だと思っています。

みんなに共用するつもりもないけれど、
「こんな考えもあるんだな、自分のよく使う表現ってどんなオーラやイメージをまとっているかな」とたまに考えてみて欲しいです。

言葉の持つ力は大きいですからね。

2024/03/17 Wio

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