サステイナブルな東海道行脚記録【東京・神奈川編】①<日本橋宿~戸塚宿>
お散歩が好きなので、東海道を歩いてみることにした。
体力も時間も無いので、ちょっとずつ。
【計画・目標】
・東京の日本橋から出発して、徒歩で京都の三条大橋まで辿り着く。
・一回で踏破するなんて到底できないので、無理のない距離を歩く。
歩き終わったら一旦セーブして帰宅。
次回はセーブ地点からまた歩き始める。
・暇な土日にじわじわと歩きます。あつい夏やさむい冬はとても歩いてられないので、春秋にがんばって進捗を出す予定。
ゴールまでは数年スパンでかかると思います。
・Q.何の意味があるの?
A.とくにないです。歩くのが好きだから……。
・実は去年の一月から開始しており、執筆現在、箱根宿まで踏破済みです。
もともと完全な自己満足で記事にしたりするつもりもなかったのだけど、せっかくだから記録を残しておくことにした次第。
【東京・神奈川編(前半)】
・東京在住なので、この辺は日帰りで難なく往復できる。特に前半は市街地が多く、本当にただのお散歩という感じ。
・……が、終盤には東海道屈指の難所・箱根の山越えが控えている。果たして運動不足の社会人に、箱根の関所は無事拝めるのか……。
日本橋~品川宿(8.6km)
・起点の日本橋。天気は曇り。首都高にずどんと覆い被さられ、影になった景観が相変わらず物悲しい。
・てくてくと歩いていきます。
・この辺のビル街の雰囲気はとてもよい。現代的でオシャレな建物たちばかりかと思えば、戦前からあるのだろうレトロなビルヂングが隙間隙間に建っていたりして、見渡すだけでそれなりに楽しめる。
・そして何といっても歩道が広い。歩きやすい!
・方向音痴なので細かく地図を見ていかないとな、と思っていたけど、わりと頻繁に「ここは旧東海道です」というアピールを見かけるので意外と迷わなかった。
・すっかり夜になったが、品川宿に到着。ちなみに「宿」と言っても要は宿場町なので、特定の建物があるわけではない。「この辺です」という位置に石碑や看板が残っているのみであることが多い。
・品川宿のまわりは今でも人の賑わう商店街になっていて、下町風情のあるよい道だった。
品川宿~川崎宿(11.2km)
・日を改めて再スタート。いざ川崎へ。
・この辺りは川が多く、しょっちゅう橋を渡った。江戸時代に水運が重要な交通網であったのも非常に頷ける。
・多摩川沿いは東京に越してきたばかりの頃、よく散歩した。河川敷が広大で、サッカーだの野球だのラクロスだの場所をとるスポーツがいつも行われている。大雨で増水したときはどこで練習をしているんだろう、彼らは。
・ということで、あっという間に東京編は終わり。神奈川へ。
・品川宿以上に何の面影もないが、川崎宿到着。
・「川崎宿由来の碑」と銘打たれた場所もただの雑居ビルに↑のような貼り出しがあるのみだったが、内容を読むとそれも仕方ないようだ。宝暦や文久の大火、安政大地震、そして東京大空襲といった度重なる憂き目で、当時の面影を残すものはすべて焼失してしまったらしい。南無。
・沿道のお寺は確かにたくさんあった気がする。もっと撮っておけばよかったな。
川崎宿~神奈川宿(11.1km)
・またまた日を改めてスタート。サステイナブルとはそういうことです。
・神社もお寺も沿道に沢山ある。ちょっと逸れたら曹洞宗大本山の総持寺もあったらしく、寄ればよかった。実家が曹洞宗なので。
・幕末の舞台となった辺りでもあり、生麦事件の記念碑があった。記念碑?
・生麦事件って名前聞いて、「生麦」がまさか地名だとは思わないよな最初。地主による生麦の取り立てに反発した農民が起こした事件っぽい。実際の生麦事件も同じくらいしょうもないけど。
・第一京浜に合流。ぶっとい道の傍らを歩く。
・そもそも第一京浜自体が東海道を基にして引かれた国道だけど、地図上の「旧東海道」は国道とは別に残っていることが意外と多い。
広い道はエンジン音がうるさいが、歩道も広くて歩きやすいのはいいことだ。
・そんなこんなで、神奈川宿に到着。横浜駅のほど近くだ。
・きつめの坂の中腹に看板があり、上るのに精いっぱいで見逃すところだった。相変わらずこの街はアップダウンが激しい。
神奈川宿~保土ヶ谷宿(3.8km)
・宿と宿の間はだいたい2里半(10㎞)くらいあるが、ここは急に間隔が短い。なんでだろう。
・程なくして保土ヶ谷宿到着。(だじゃれじゃないよ)
・4キロに満たない短距離だったが、次の戸塚宿までは若干距離があったのでここでセーブすることに。
人生は長い。死ぬまでにゴールすればよいのだ。
保土ヶ谷宿~戸塚宿(9.3km)
・戸塚宿へ。
・さっそくきつめの坂が。これでも昔よりはマシになったらしい。
・「権太坂」という名前の由来についての案内板があった。
坂の名前を旅人に聞かれたお爺さんが自分の名前を聞かれたと勘違いして「ごんたでございます」と答えたことが由来だとする説と、坂を切り開いた人の名前「権左衛門」からとって「権左坂」と名付けられたのがいつの間にか変化した、とする説の2つがあるらしい。
・「さて、あなたはどちらを信じますか?」と言われているが、どっちでもよすぎて面白い。というか、どちらを選んでも微妙にしっくり来ない。
旅人に対する年寄りの回答が本来の名前(そんなもの無かったのかもしれないが)を差し置いて定着した理由がよくわからないし、「いつのころか」とか言われたらもう何でもありだろ。
・でもこういう零れ話を目にできるのはとてもよいな。そういうのもっと頂戴!
・……と、東戸塚駅付近まで来たところで、雨が本降りになってきてしまった。
まともな傘を持っておらず濡れまくっていたため、一旦中断セーブすることに。
・現代の散歩中でもテンション下がりまくるのに、昔の人が行脚中に雨なんか食らったら嫌なんてもんじゃなかっただろうな。道も悪かっただろうし。
東海道沿いだったら至る所に宿屋があったから「今日はもうここまでにしよう」みたいになってたんだろうか。でも急ぎの用があったら進まなくちゃいけないよな。いやはや大変なことだ。
・日を改めて、東戸塚から再スタート。
・ということで戸塚宿到着。
・いったんここまでで記事を〆ます。
ここまでの距離だいたい44km。健脚な人なら1日で歩ける距離だろうけど、ぼくは5日に分けた。サステイナビリティが大事なのだ。
・まあ正直、この辺りは家からすぐ行ってすぐ戻れる距離だからというのが大きい。次回(東京・神奈川編②)まではそんな感じだけど、静岡編以降はそうもいかなくなるだろうから、1日あたりの進捗を伸ばしていかないといけなくなるだろう。がんばります。
・次回へ続く!
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