見出し画像

人生の夏休み

紫陽花

いつか鮮明に思い出せるようにここに記録しておこうと思う。

まずそもそも何で仕事を辞めようと思ったのか。
ずっと目標にしていた店長という仕事を、自分から退いたのは何故だったか。

26歳で店長になった。
早すぎると自分では感じていた。
年下の部下もいたけれど多くは年上の方で、いつも対応に苦慮していた。
年配のお客様にはなめられた。

20代前半で店長になる人はどのぐらいいるんだろう。
アパレルや飲食業の方はそうなのかな。
もしほとんどの人が20代後輩~30代前半で経験することなのであれば、26歳というのは早い。

だからなのかいつも自信がなかった。
その日その日が私にとっては辛かった。

「目標達成」
「部下指導」
「クレーム対応」

店長にとって当たり前の仕事が私には辛かった。
それでもひたむきに頑張ったと今では思えるけど、当時はそう思えなかった。

心無い言葉に傷ついてもそれを癒す時間がなかったのだ。
すり減っていくものを回復させる術も知らなかった。


ふと、肩の荷を下ろしたいと思った。
得体の知れない何かから逃げ切りたかった。

もう誰かの事を悪く言われるのも言うのも嫌だった。
人の話を聞くのも自分が話すのも嫌だった。
頑張ることには終わりがない。
どこまでも伸びて発展していけたらいいけれど、
それが理想だけれど、
ポキッと折れてしまった自分がいた。

辞めるしかなかった。


幸いにも貯金があったから、すぐに働くのではなく少し休む時間がとれた。

無職になることで再就職の不安がない訳ではなかったが、まずは傷ついた心を治そうと思った。


3月末に退職し7月半ばまで、この期間に会った人は皆良い人達だった。

誰も私が仕事を辞めた理由を責めたりしなかった。
理由すら聞かないでいてくれた人もいた。

「次は何も決めていない」と言うと「いいね!」とか「この機会に沢山休んでね!」「焦らないで、大丈夫!」と、皆口を揃えて言ってくれた。

友達や家族だけじゃなくて、飲食店の店員さんにも、行きつけの美容師さんやネイリストさんにも、本当に皆がそう言ってくれた。

その言葉に救われた。

私の周りで、私と過ごしてくれている人は、
私が店長として働いているから好きな訳でも
私が何かを達成するから好きな訳でもない。
私が失敗の責任を取るから好きな訳でも
私が何かの役にたつから好きな訳でもない。

私がただ私だから好きでいてくれるんだ。

ただ無職になって、毎日をぐうたら過ごしても、昼間からお酒を飲んでも関係ないのだ。

それどころか無職期間の思い出作りにと、一緒に旅行に行き、一緒にお酒を飲み、朝に眠って昼過ぎに起きても許してくれる。

…有難い。
ありがとう。


自分の身に起きたことも、特有の固執してしまった考え方もこの期間で分かった気がする。

私は真面目で不器用だ。
頑張る必要がある時にただ頑張るという方法しか知らない。生きていくには上手に生きる知恵が必要。

誰よりも結果を求めすぎて徒労にくれてしまう。
結果が全てじゃなく過程も同じぐらい大切なんだ。
これからもっと良くなるという感覚の欠如。

私は人に認められたかった。
頑張って、結果を出して、一人前と呼ばれたかった。
でも私の周りにいる人達はそんな事誰も望んでいない。

私が毎日健康で笑っている事が大切。

次は全力疾走じゃなく少しペースを落としてみよう。
流れる景色に目を向けられるぐらいの余裕を残そう。

全力で頑張る自分も、疲れて休んでしまう自分も、どちらが本当の自分という訳でもない。
どちらも大切な私の一部だ。
両方があって初めてバランスが取れるのだ。
それに気づいて初めて、本当の意味で自立なのかもしれない。

なんてこった!
気づけてよかった!

全力で頑張っていた自分どうもありがとう!
疲れたらまた休もう!
私は貴方が何よりも大切だから!
私は貴方を愛しているから!
人生の夏休み万歳!!!


この経験を私と私の愛する全ての人に。