選外なんて序の口 そう思うと楽だし
!Attention!
はじめに
なんだか今年に入ってから小説で書きたい内容がちっとも思いつかず、深い穴の底で「喜びがない~」と咽び泣いていた西野夏葉。まるで傍らには大量のブロン錠の空き瓶とストロングゼロが転がっているかのような惨たらしい状態で、ただゴロゴロと転がりながら、推しの音楽に救われていた。
そんな中、西野は脆衣はがねさんから「エッセイが久々に読みたいです」という希望の糸を垂らしてもらい――。
……などと他人を巻き込んで寝ぼけた前書きを記さざるを得ない程度には、最近何も浮かんでこない。
あー、隣の公園の地面掘ったら石油とか噴き出てこないかな(日清チャルメラを啜りながら)。
さて、エッセイとは言っても、特に功績を残したわけでもなければかっこいいわけでもかわいいわけでもない私は、一体何を書いたらいいものか皆目見当もつかず、例によってTwitterにて広く意見を募った。
そんなわけで、今回は創作に対するスタンスについて書くことにした。
冒頭にて書いたとおり、このnoteに書いてあるものが正義ではなく真理でもないことは百も承知だ。でも、私はこの内容は悪でもなく、夢幻でもないと思っている。
だから、誰にも言えないけれど同じように考えていて、いつも息苦しいと感じている人にとってのオアシスとか、寒い日のコンビニエンスストアとか、国ではなく地方自治体が独自に生活支援給付金を支給するという封書が届いた時のような、ほっとする気持ちになれる場所が作れたらいいなあと思いつつ、この記事を書いた。
以上、何卒何卒。
今も戦場に留まり続ける人々のはなし
そもそもが私を含め、webで小説を書いたり、公募に出したりしている皆々様が、全員等しく同じきっかけや志によって最初の一文字を書いたわけではないんだろうし、いま先に見据えている景色だってばらばらのはずだ。最低限自分で読んで面白けりゃ他の人が数人笑ってくれればいいと思っている人もいれば、本気で小説家としてペン一本で食っていきたいと思っている人もいるだろう。もしかしたらペン一本で異性の一人や二人つまみ食いしてやりたいとか、そういう邪な気持ちを持っている存在も混ざっているだろうけどさ。
それでもみんな「いいものが書けた!」「こりゃあ面白えや村上春樹より先にノーベル文学賞獲れそう」とか思うからこそ、インターネットという無数に枝分かれする川に作品という稚魚を放すわけであって。
皆、それがいずれは伝説の大魚となって、母なる川へ帰ってくるのを待っているのだ。
私は最近すっかり受賞なんてものから遠のいてしまって、今は化学工場から垂れ流された工業廃液のせいでヘドロ色になってしまった川を眺めながら、かつてこの場所が清流だったころに放した魚たちが、いつか大きくなって帰ってこないものかと願っている。たぶんこの水質が最悪になってしまった母なる川だって、成長した彼らがたちまち浄化してくれるはずだ。
私の生み出した結晶たちにはそのくらいの力があるはずだ……と今も信じている自分が、間違いなくここにいる。
……
おそらくその気持ちは、これを読んでいるあなたも、同じではありませんか?
でなきゃ他人の吉報を祝いこそすれ、なんだか悔しい気持ちを抱きもしないし、一回か二回コンテスト落選した段階でとっくに創作なんか辞めているのではないでしょうか。他人から優劣をつけられずに、心穏やかに楽しめる趣味なんて他にいくらでもありますしね。
それでも手放せないのは、あなたの中には「まだ捨てたくない希望」があるから。こんまりとか家事えもんの横っ面を張ってでも「うるせえこれだけは絶対取っておくんだよ!」と主張したいものがあるからなのだと思います。
私がどれだけ成果に結びつかなくても「西野夏葉」であることをやめないのも、そういう理由です。
だからこれからも西野の作品、読んでくれたらうれしいな。約束だよ♥(薄い水色のサインペンで書かれた丸文字)
言葉の受け取りかたは気を付けないとね、というはなし
「読まなくていいです」は「Twitterのフェイクニュースに感心してる暇あんなら読めや今すぐ」の裏返し。
「拙作」は「傑作」。
「おめでとうございます」はだいたいの場合「めでたいです/でも悔しいです」。
「もう書くのやめようかな」は「誰か引き留めてくれ」。
でも。
「面白かったです」と「ありがとう」はそのままの意味で受け取ればいいと思う。
だって自分にそう言ってきたあの人は誰にでも同じこと言ってるし……ってそんなん当たり前だしな。誰が作ろうが面白いものは面白いし、つまんないものはつまんないよ。それは現実だし、受け入れなければならない。どれだけ自分が好きなアーティストだって、好きな曲は耳が腐り落ちるくらい何度も聴くけど、たくさんある楽曲のうちいくつかは(そういえばほとんど聴いてないや)って曲があるんじゃないの?
だから、自身に対して向けられた「この作品面白かったです」「すごいです」「また次の作品を読みたいです」は、素直に五臓六腑すべてで味わっていいものだと思う。私も最初の頃は「でもあの時●●さんにも同じリプ送ってた……」みたく、ホスト狂いの地雷女みたいなこと思ってた時期あるけど。
でも仕方ないんだよな。嫌だなーって思うなら、他人より面白いもの書く努力を(適切なベクトルを保ちながらすぐに芽が出ずとも誘惑に負けず粛々と)重ねるしかないんだよ。
たぶんカッコの中が一番大事だ。知ってんだよそんなこと。その度合いが一人ひとり異なるだけで。500%くらいしないと結果がついてこない人もいれば、普通に100%でいい人もいるから。
難しいのは、どれくらいやればいいのかは実際に一度達成しないとわかんないところ。これは、カラオケのアンプみたいに少しずつ音量上げていかないといけないね。いきなり500%目指して力尽きたとき「一発屋」ってレッテル貼られちゃうしね。個人的には一発当ててるだけで十分すげーじゃんって思うけど、世の中謙虚さが大事らしくて。
天才と適当はちがうよな、というはなし
「突拍子もない面白さ」と「ただ無計画縦横無尽」は紙一重であって、ここを勘違いすると、ただ作者の独り善がりで、読者たちは口の端がピクリともしない作品が出来上がってしまう。
これって、大成した作家さんたちが、だいたいの場合
とか言っちゃうからダメなんだと思う。苦労したのなら苦労したって言うべきだし「まさかこれが通るとはねえ」なんて、スーパーで万引きして捕まった老人みたいなトボけたこと言うんじゃなくて「正直言って自信はなかったけど、結果的に受賞できて嬉しかったです」って素直に言えばいいのになあ。
そもそもそんな風に受賞した作品が「まあ、これでいっか」とかいう気軽さで出した作品だったなんて、たとえ本当はそうであったとしても、公の場で口にすべきではないんじゃないかな。イヤな言い方だけど、至るところから(あーはいはい私の全力は所詮アナタの片手間以下なんですね)って軽く木っ端が爆ぜる音が聞こえる気がするもの。キャバクラで目当ての女の子がいなかったからって「えー、サクラちゃんもサユリちゃんもいないの? じゃあ西野でいいや」とか適当に選ぶオッサンみたいなノリなら賞なんか応募しないでほしいよね。その枠をオレ様に寄越さんか。ダンブルドアは礼儀にはうるさかろう(闇の帝王)。
悔しかったら腕を磨けや、って話なのはわかる。ただ、必ずしも人間全員が挫折とか抑圧とか叱責だけで成長するわけじゃないしなあ。自衛官になるならさっき挙げたような手段で「ここは娑婆じゃねえんだよ」と骨身に理解させる必要があるけど、逆に創作がうまくなるためには本当にそんなもんしか要らんのか……とはよく思う。
努力の仕方も大切なのは間違いないが、モチベーションの維持が一番大変だなと思う日々が続いている。それの大きな助けとなっているのが、読んでくださった方々やいつもお付き合いいただいている皆々様のリプライDMほめて箱その他から寄せられるメッセージ。お世話になってます(ステージ上で一礼する)。
謎の法則について
とはいえ、変に肩肘張らずに書いた作品の方が良い結果を連れてくるっていうのは「創作あるある」ではないだろうか。
まあ、あれなんじゃないですか。恋と同じでさ。くっそー恋人欲しい欲しい……なんてダラダラと涎を垂らしながらマッチングアプリとか使ってる間は恋人どころかセフレすらできないのに、何か熱中できる趣味とか重要な仕事を任されて(恋愛はしばらくいいや)と思った瞬間にアプローチしてくる異性みたいなものであって。
なんで今なんだよ、他にすげえやりたいことあんのになー……と思いながらデートのスケジュールで休日ぜんぶ埋めてみたりするわけだろ。そして相手のために尽くしてる自分に対してなんだかんだ言いながらまんざらでもない感情を抱くわけだろ。最終的に相手から好意を寄せられて、どこにでもあるような判で押したみたいに仲睦まじい毎日を送るんだろ? 吐き気がするほど羨ましいわ。そういう可愛らしい赤ちゃんプールみたいな場所で水をかけあいながらキャイキャイしてた時代が私にもあったよ。思い出すたびにプールサイドから放尿してやりたくなるくらいむかつくけど。
色々と経験した今となっては、もっと自分のやりたいことをしっかり貫き通せるようになりたいと思っている。あの時やこの時、もっと真剣に創作と向き合っていたら、私だって今頃は単著でないにせよ、アンソロ本には毎回出てくる常連作家になっていたという根拠のない自信があるから。
話がずれたけど。
つまりはそういう「力を入れるほどうまくいかない」って状態は、自然体でいればそこそこ魅力的なのに、変に色気づいて頭をマッシュルームカットにしたら三秒に一回カツアゲに遭う真面目っ子みたいになっちゃったり、いつもよりアイメイクを濃くしたせいで、傍から見たら何かを勘違いしたインドカレー屋の店員みたいな顔になってしまう人と同じなのだ。あなたはあなたのままでよかったのにな、っていう感じ。登録者数が数百人の頃から応援してた庶民系YouTuberが、5万人超えたあたりから金にモノをいわせた案件動画とかばかり出すようになったら、なんとなく醒めるでしょ。そんな感じだよ。たぶん。知らんけど。
どっちにしたって「このほうがもっと良くなるだろう」「本当に書きたいこととは違っていても、こっちのほうが万人受けするだろう」「この状況からでも入れる保険があるんですか!?」って思ってそうしているわけだから素直には責められない。
ただ、そんなことしなくたって十分にかっこよかった/かわいかったのになあ……って思われてしまうのだから、なんとも勿体ない話だと思う。
というか、ここまで読んでてわかったでしょう? 私だって「これは響くだろうウヘヘヘ」と思って書いたフレーズがだだすべりして、いつも枕を濡らしているという事実。
変に力が入ってたら読者に伝わっちゃってシラケちゃうこともあるよね、ってことかな。
さいごに
初稿はもっと陸軍学校の教官みたいに激しいことを書いていたので、さすがにボツにした。まあ、だからってこの完成稿がマイルドになったとも思わないけども。
でもやっぱり「創作論」とかってなると、もっとしっかりしたこと書かれている人が多いじゃないですか。もちろん中には正しいことも書かれているけど、個人的にああいうの読むと若干引いちゃうんですよね。あー創作ってこれくらい高尚な気持ちがある人がやることなのかな、って思っちゃったりして。
ただ、そんなわけないよな、と思うので書いた。誰か言わないといけないのかもなーと思った。私には目に見えた成果があるわけでもないし、所詮は墓の下でドクロがカタカタ音を鳴らすくらいのことしかできないけど、それでもこの絶え間なく続く戦いの世界で、生き辛さを感じている人の助けになれたらいいなあと思う。
まあ、もっと楽な気持ちで書きたいよね。せめてweb小説の世界でくらい。
コンテストに落ちてもそれはその人自身の価値を示すものではないから、自分の好きなことを好きなように書けばいいし「もっとしっかりプロっぽく書きたい」という人はネット記事とか本とか参考にすればいいけど、私みたく(自分はそこまでやると嫌になっちゃうな……)と思うからって書くのをやめる必要もないんじゃないかなーと。そもそもやめさせる権利なんか誰にもないし。
但し、公募勢とかガチで小説家目指してるって人は、もう少しかっちりしたほうが未来に近づくと思うので、何卒。
お読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、創作活動やnoteでの活動のために使わせていただきます。ちょっと残ったらコンビニでうまい棒とかココアシガレットとか買っちゃうかもしれないですけど……へへ………