たとえば『Ladies’ Mask:2020秋の新作Collection』とかそんなん(.⌒.)
本記事は、新型コロナウイルスについてごく一般的な知識しか持たない素人が感じたことをだらだらと書き連ねたものです。念のため。
あと、ひとまずこの記事では、「自分が他人からうつされないように防ぐこと」を「(感染)防御」、「自分が他人にうつさないように防ぐこと」を「(感染)防止」と表現することにします。
マスクについての素人考えだが、サージカルマスクでも布マスクでも、新コロを防御する効果はあまり頼りにならないが防止する効果はかなり高いのではないかと思っている。
新コロは飛沫感染もしくは接触感染で感染すると言われている。このうち飛沫感染に関して言えば、マスクを着用することでたいがい防止できそうな気がする。マスクと顔面との間には隙間があり、呼気そのものはマスクの内側に当たってその隙間から出ていくだろうが、ほとんどの飛沫はマスクが捕獲してくれるのではないだろうか。
(先日のNHKスペシャルでは「マイクロ飛沫」が問題視されていたが、これについては後述)
他方、接触感染は、ウイルスが付着した物に触れた手で目・鼻・口などに触れることで発生する。手洗いの励行や、複数の人が共通して触れる物の消毒が有効な対策になるが、物にウイルスが付着していなければそもそも心配は要らないわけだ。
で、ウイルスはどうやって物に付着するかというと、やっぱり人が発する飛沫に由来するのではないかと思うのである。皮膚からウイルスが浸潤するわけではあるまい。
結局のところ、そもそも人が飛沫を出さなければよいわけで、その飛沫をマスクによって捕捉できるのであれば、理屈の上では、「全ての人がマスクをすれば、感染対策は他に何も要らない」ということになるのではないか?
日常生活において、数分間以上にわたってマスクを外さざるを得ないのは、
▼飲食
▼歯磨き、メイク、髭剃り等
▼入浴
▼性行為等の肉体的接触
▼睡眠中
ぐらいのものだろう。もしかしたら睡眠は着用したままでも可能かもしれない。
日常的ではないが人と時と場合によっては発生する場面としては、
▼喫煙
▼歌唱、管楽器の演奏
▼歯科・耳鼻咽喉科等の受診
▼理美容店の利用
といったところだろうか。
これら以外の時はいっさいマスクを外さない、ということにしておけば、ほぼ防止可能なのではないか?
マイクロ飛沫については不安が残る。大きさは1マイクロメートルというから、不織布マスクですら透過してしまう。まして布マスクにおいてをや、である。
しかし、これは実験で確かめる必要があるが、咳・くしゃみ・大声での発話または歌唱さえしなければ、感染に必要な量のウイルスを含んだマイクロ飛沫は、そもそも発生しないのではないだろうか。
咳・くしゃみはいわゆる「咳エチケット」で無効化が可能だろう。大声は出さなければいい。一般的な音量での発話や、通常の呼吸で、どれだけのマイクロ飛沫が発生するだろうか? さしたる量ではなく、それによって感染が発生する可能性は、ゼロではないが極小ではないか?
ゼロリスクを担保せねばならないというのなら、いわゆる「ソーシャルディスタンス」だってゼロリスクではないだろう。マスクなしで2メートル空けるのと、マスク着用で1メートル空けるのと、どちらが安全だろうか(もちろんマスク着用で2メートルが最も安全なことは言を俟たないが)。
以前の記事にも書いたが、俺は従来、マスクをしていなかった。メンドウだし、鬱陶しいし、防御効果は心もとないし、それに加えて品不足で医療関係者などですら逼迫しているというのであれば、俺がマスクを買い漁って着用する理由など何ひとつない。
しかし、「無症状感染者からの感染」を防止する必要性が指摘されたのでは、着用しないわけにはいくまい。新コロは普通のインフルエンザなどより潜伏期間が長いと言うし、何の根拠もないが俺は新コロに感染しても無症状もしくは著しく軽症のまま終わるような気がするのである。何しろ物心ついてからこの方、インフルに罹った記憶が一度もないからな。
ということで、宗旨替えをしてマスクを着用することにしたのだが、俺の手もとには保険屋さんのノベルティでもらった物が10個余りあるだけで、これを使い始めたらたちまち底をついてしまう。
さりとて市中で購入することも難しい。いやホントどこにも売ってないのである。いま世の中で使い捨てマスクをしている人はどうやって入手しているのだろうか。
しかし捨てる神あれば拾う神ありで、さるルートから手作りの布製マスクを複数入手することができた。嬉々としてそのマスクを着用して生活している。
これに世間で話題の「アベノマスク」が2枚来てくれれば、当面は安泰である。市販のマスクが手に入らなくても痛くも痒くもない。「マスクが買えなくて……」等と嘆く人を横目で見ながら左団扇である。ふっふっふ。
そして、この生活を始めて半月ほど経って、思うことがある。
新コロがいつ終息するかは分からない。緊急事態宣言はさしあたり5月6日までということになっているが、それまでに終息するとは考えられない。半年とか、場合によっては年単位の期間を要するかもしれない。
ニュースを漁っていると、感染症から回復した人でも抗体が出来ていない場合があるとか、いったん陰性になった人が再度感染したとか、そういう不穏な記事を見かける。新型インフルエンザがフツーのインフルエンザに型落ちしたように新コロもフツーの風邪に型落ちするだろうと簡単に考えていたが、もしかしたらもっと深刻かつ長期のつき合いを強いられることになるのかもしれない。
となると、マスク生活もそれだけ長引くことになる。
いや、それだけでは済まないかもしれない。新コロ以前と新コロ以後とでは、世の中のあり方が大きく変わってしまうのではないだろうか。
たとえば大きな括りでいえば、新コロへの対処で世界各国は半ば鎖国のような状態に陥った。いわゆる「グローバル社会」が瓦解しつつあると言っていい。この瓦解は、新コロが終息した後も完全には回復しないだろうと思う。
もっと身近な例でいえば、新コロが終息した後も、マスクを着用する習慣はなくならないかもしれない。外出する際にはマスクをするのがアタリマエの世界になるのかもしれない。
周囲を観察していると、日を追うにつれて手作りマスクと思しきマスクをつけた人の数が、僅かずつながら増えてきているように感じられる。いろんな色や柄があって、見ていて楽しい。
この先、世の中にマスク習慣が定着していくのなら、オシャレなマスクやカッコいいマスクを作る人や、それを求める人が増えていくだろうと思う。
それがさらに進めば、ちゃんとしたメーカーやブランドが、ファッション性を帯びたマスクの製造販売を始めるかもしれない。
そのうち、マスクというのはドラッグストアではなく洋品店やブティックで買うものである、というのが世間の常識になるかもしれない。そして、特に女性は、洋服や靴やバッグやアクセサリーと同じように、マスクのファッションコーディネートを工夫するようになるかもしれない。
それはそれで楽しい世の中であるような気がします(.⌒.)
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