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「生きる」「おてがみ」...


素敵な文章、物語、言葉を


■谷川俊太郎さんの『ここ』


ここ がどこかになっていく。。幸せな二人のかけあい。


ここ

どっかに行こうと私が言う
どこ行こうかとあなたが言う
ここもいいなと私が言う
ここでもいいねとあなたが言う
言ってるうちに日が暮れて
ここがどこかになっていく



■谷川俊太郎さんの「生きる」


生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木漏れ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

あなたと手をつなぐこと

生きているということ

いま生きているということ

それはミニスカート

それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス

それはピカソ

それはアルプス

すべての美しいものに出会うということ

そしてかくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ

生きているということ

いま生きているということ

いま遠くで犬が吠えるということ

いま地球が廻っているということ

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ

いまいまがすぎてゆくこと

生きているということ

いま生きてるということ

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

あなたの手のぬくみ

いのちということ

※谷川俊太郎さんの「生きる」

※谷川俊太郎詩集「地球へのピクニック」より


■ふたりはともだち「おてがみ」のあらすじ

がまくんは、玄関の前に座っていました。
そこへかえるくんが、「どうしたんだい?」とやってきます。

悲しそうな様子のがまくんを心配したかえるくんは、がまくんの話を聞くことに。

お手紙を一度ももらったことがないがまくんは、お手紙を待つ時が一番不幸せになるそう。

その話を聞いたかえるくんは、「いえへ かえらなくっちゃ」と大急ぎで帰ります。
そして、「がまがえるくんへ」と手紙を書き始めます。
手紙を書き終えたかえるくんは、かたつむりくんに手紙を渡し、
がまくんのお家の郵便受けに入れてきてくれないか頼みました。

そして、かえるくんはがまくんの家へ戻ります。

「ひょっとして だれかが きみに てがみをくれるかもしれないだろう」
と伝え、一緒に待つことにします。

そしてかえるくんは、手紙を書いたのは自分であること、そして書いた内容を伝えます。

それを聞いたがまくんは、とても幸せな気持ちになります。

お手紙は届くのでしょうか?

※アーノルド ・ローベルの「おてがみ」
※アーノルド・ローベルの「ふたりはともだち」より


惑星の詩

恋をした女の子が嫌いだ
どんな悪意もきれいな言葉にできるから、
人間はまともな世界を手に入れられない。
春が去り台風が薙ぎ倒した命たちが
夏の日差しにさらされている。
緑。きみがまた美しいふりをして、
嫌いな人を傷つける。
四季にすらなれない感情に、何の意味もないよ。


24時間

純度が高い言葉と、糖度が高い言葉と、
瀕死の文脈でできあがる夜景。
才能のある人が作った欲望の歌を聴いている。どんな悪意も天才なら、肯定できるってみんな知って、だから美術館に行くの?

夜と朝の一ミリの隙間みたいな顔。
ピンク色の星空兼朝焼けは、死ぬ寸前のためいきみたいだ。



■だまされませんよ
カズ サッカー人として(日本経済新聞) 

「うまい話は信用するな」。ブラジルへ渡る際に言いつけられて以来、このスタンスが癖になってしまっている。信頼に足る大手銀行から金融商品を提案されても「そんなに利益が出るなら、あなたがされればいいのでは?」と警戒してしまう。不動産業の方に会う度に「僕をだまそうとしていませんか」と応じていたら、「そろそろ信用してくれませんか」とあきれられた。

 でも人間は弱いから、選手を悩ませる体の痛みが「完治しますよ」と言葉巧みに持ちかけられれば、尋常でない額であっても僕もだまされてしまうかもね。大事なのは、負ったリスクの責任はすべて自分自身にあるということ。僕が購入したマンションが値崩れしても、売った人は恨めない。誰かのせいにもできない。投資した自分の責任だ。でなければサインもハンコもすべきでないんだ。

 「生きたカネを使え」とも教えられた。社交の一晩に何十万円も費やしても、そこでの時間や人間関係がより高い価値に転じることがある。思い返せば、人付き合いに関して「使いすぎた」と悔やむ出費は不思議と少ない。ただ、そう振り返られるのは充実した今を送れていればこそだろう。

 未来を生み出すものは過去の積み重ねしかなく、過去が未来をつくる。でも僕は逆も真なりと思う。いわば“未来が過去をつくる”。貧しく苦しい時期を過ごしても、後に幸福になれれば美談として語られる。昔の手痛い失敗も、今が上々なら笑い話に変わる。一方で輝かしい偉業をなした人でも、あすに事件を起こせば、その過去は一転して灰色に寂れていってしまう。

 人の羨む実績や功績などは、僕に言わせれば、すぐ忘れ去られる薄っぺらいものだ。代わりに僕のそばに常にあったのは危機感でしかない。過去が膨らんでいく年ごろになるほど、それを輝かせるのは未来なのだとより強く感じるようになった。だからこそ、あらん限り今を頑張るのだと。

 過去が未来を約束するという発想に“だまされてはいけない”のかもね。おいしい食べ物はえてして脂肪分やカロリーが高めで害にもなり、「これで天才になれる」とうたう練習法には怪しいにおいがする。何事もうまい話には裏があり、美しい異性にもある種のワナが――。

 いや待てよ。女性には、むしろだまされたいね。



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