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物価の文化史 100年の教訓




株式相場 100年の教訓



戦前の株式相場は、戦争による大相場で繁栄するとともに、その反動で戦後不況で暴落するという繰り返しであった。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦のブームでそれぞれ株成金が生まれた。

そんな戦前の株式相場における象徴的なスターが岩本栄之助と野村徳七の二人である。二人は幼馴染で親友であった。二人ともに後世に大きな大きな遺産を残してくれている。岩本栄之助は、大阪中之島にいまもある『大阪公会堂』を寄付により建てて大阪の近代を象徴する西洋建築となって今も市民の誇りになっている。野村徳七は、いわずもがなあの『野村証券』『野村(大和)銀行』の創設者である。どちらも『戦争は買い』という戦争特需相場での大儲けを事業や名建築として残した。

日露戦争特需からの、反動による反動不況で野村徳七は大損を抱えるが、幼馴染の岩本栄之助が助け窮地に一生を受ける。が、今度は第一次世界大戦ブームの売り方で岩本栄之助は大損を抱えピストル自殺する。大阪中之島の公開堂を残し世を去るという、なんとも悲しい結末。悲劇の英雄。

戦後は、市場は沈滞したムードだったが、神風が吹く。1950年6月25日朝鮮戦争が勃発し、朝鮮特需ブームが到来する。戦後もやはり日本株式市場は戦争は買いとなった。東京株式市場はなんと6倍にまで跳ね上がる。が、ソ連のスターリン重態のニュースで暴落。戦争終結を予感し株価は暴落となった。

その後、1964年1965年には証券不況が起こり、政府が株式市場を買い支える事態に。日本共同証券と日本証券保有組合という株式買い上げ機関を作らせて買い上げさせる。が、防衛ラインとした1200円も突破し1000円台にまで。。しかし、またもや神風が吹く。朝鮮特需のように、、今度は米国の戦争への日本経済特需によるベトナム戦争だ。またもや戦争は買いの状況だ。

そして時は過ぎ、1989年12月『平成バブル相場』最高値38,915円となり、さらに1990年1月4日から、その日から株価は暴落し『バブルは弾けた』。
戦争が起きたが、神風が吹くことはなかった。。日本は経済が強くなりすぎて親分の米国から見て厄介な子分の存在になっていたのだ。しかも、その頃には、大敵のソ連も崩壊し、ソ連への不沈空母の役割、防波堤の役割も日本には終わりかけていた。。もはや、用無しである。むしろ、経済的に米国に挑戦しうる危険な国となった。米国に擦り寄る中国と韓国を優遇し、日本を冷遇する時代が始まったのだ。





日本を代表する大メーカー達が次々と買収されていく、、

東芝の家電部門、シャープ、パイオニア、太平洋セメント、三洋アクア、NECのPC部門、NECのPC製造会社、富士通のPC部門、富士通のPC製造会社、ダイナブック、レナウン、タカタ、MSK(太陽電池の生産販売)、小売り大手ラオックス(家電小売りから免税店に業態切替)






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