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ぶつからない視線と人生

2016年の春、今の家に越してきた。早いもので、2ヶ月後には3度目のクリスマスがやってくる。それが終わればあっという間に年越しだ。

道路を挟んで向かいのアパートに、男の人が住んでいる。それに気がついたのは、今年の春。とある日の夕方、トボトボとした足取りで家路についていると、干された洗濯物が視界に入ってきた。

やわらかな風にゆられる青のTシャツ。他にも干されていたような気がするが、それだけしか印象に残っていない。

なんとなく、男の人の部屋なのだろうな、と感じ取ったわたしはゆるりと視線を落とし、吸い込まれるようにして自宅のドアを開けた。


窓の外を眺めるのが好きだ。

夜になると部屋の電気を消し、すこし広めの窓台に腰かけ、下を歩く人たちや通る車をじっと眺める。

イヤフォンをしながら足早に歩く男性、缶チューハイを飲んで騒ぐカップル、タクシーで先に降りる女性。

当然のことだが、世の中には他人しかいない。自分と同じように人生を生きる他人が、目の下を歩く。見られているとも知らずに。

これまで、酒に酔った男女の口説き合いを幾度も聞いてきた。ヨーグルトの上澄み液のように白く濁り、輪郭がぼんやりとした言葉は、相手に届くはずもなく宙を舞ってぱちんと消える。


3時頃だろうか。

辺りがとっぷりと闇に包まれる時間になると、ただ合図を繰り返す信号だけが取り残される。その僅かな寂しさを噛みしめていると、ごくたまに、例の部屋の電気がパッと点くのだ。

カーテンの先には間違いなく人間がいて、自分と同じように生活を営んでいる。その事実がなぜだか嬉しくて、例の部屋の灯りを目にする日はいつも、何かに誘われるように眠ってしまう。


寝る前のほんのひととき、彼らの人生の目撃者となる瞬間。

わたしは、ぶつからない視線と人生、目の前を過ぎるという暴力に興味がある。



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