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卒業

 タオルケットを、捨てた。

 ライナス症候群。スヌーピーでお馴染みのマンガ「ピーナッツ」に登場する、いつも水色の毛布を持っている男の子「ライナス」になぞらえた表現で、ブランケット症候群ともいう。幼少期に見られる、一種の依存行動のことだ。

 いつも同じブランケットが手元にないと、不安。匂いのついたブランケットの洗濯を嫌がる。ブランケットがないと眠れないなどの症状が当てはまる。依存はブランケットに限らず、タオルやぬいぐるみなどのこともある。

 私の場合は、タオルケットだった。手触りのいい毛布も好きだけど、断然タオルのほうが安心する。正確には医者にかかったことはないので、「症候群」というほどの依存なのかは分からないが、タオルケットにおいて上記の症状のほとんどが当てはまった。

 ライナス症候群は通常、大人になるにつれて治ると言われている。けれど私は、大人になってもタオルケットを手放せずにいた。起きているときは、平気。でも、夜寝るときはタオルケットがないと不安で眠れないのではないかと考え出し、その考えがずっと頭を巡るから余計に眠れなくなる。反対にタオルケットを頬に当てると、すんなりと入眠できることが多かった。

 だから、どんなにオンボロになっても、捨てられずにいたのだ。


 上京した頃から使っていたピンクのタオルケットは、ところどころが破け、ゴワゴワとして「肌触りがいい」とはもはや言えないものになっていた。端や破けたところからどんどん糸屑を排出し、掃除をしてもしても薄ピンクの糸屑が部屋に散らばる。

 冷静な私が、顔をしかめて語りかける。
「誰が見たって、そんな薄汚いの、もう捨てなさいって言うよ」

 不安な私が、口をすぼめて答える。
「でも、これがないと眠れないよ。夜は、怖いよ。それにずっと10年間、身をボロボロにして寄り添ってきてくれた子を捨てるなんて、できないよ」

 そうして、タオルケットを抱き枕のように抱えて眠る。


 だけど、本当は知っていた。自分はもう、タオルケットがなくても大丈夫だということを。

 修学旅行や友達との旅行では、タオルケットなんて持って行かない。ベトナムでの半年だって、タオルケットは使わなかった。この間だって、出張先のビジネスホテルでは、タオルケットなしで寝ていたじゃないか。

 本当はもう大丈夫なのに、それがないとダメだと思い込みたくて、そう思い込んでしがみついている。自分で依存を選んでいる。


 もう、やめよう。

 ふと、決めた。特に理由はない。11月、12月と変化があった。人間関係も、ちょっとした周囲の環境も、変わった。仕事でも、仕事の仕方や人への頼り方を変えていかないとねと、よく先輩と話すようになった。そういったことの積み重ねで、朝、コンビニからの帰り道、透き通った陽の光を見ながら「やめよう。手放そう。変えよう」と、ふと思ったのだ。


 触れ親しんだタオルケットを、そっとゴミ袋に入れる。寂しさは少しあったけれど、不思議と罪悪感はない。タオルケットからも悲しみは感じられなかった。むしろ、役目を全うした安心感を抱いているように思えた。

 いらなくなるんじゃ、ないよ。必要ないんじゃ、ないよ。これまでの私には、必要だった。いっぱい支えてくれて、ありがとう。自分は飛べないと思い込んでいた私が、本当は飛べるんだと気がつくまで、ボロボロになって待ってくれていて、ありがとう。もう、私の翼は折れていないよ。


 まだ気温が上がる前の朝日の下、タオルケットを包んだゴミ袋をゴミ捨て場に連れて行く。涙も悲しみも寂しさもいっぱい染み込んだ、タオルケット。10年分のそんな夜の想いと一緒に、燃え上がって空に舞い、星となって輝きますように。

 家に戻ると、部屋がいつもよりワントーン明るく感じられた。

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