戦争が始まるのを、目の当たりにした日――9.11同時多発テロ あれから月日が経って
あっという間に夏が過ぎ、9月も半ば。ふとカレンダーを見ると、今日は9月11日だった。
9.11。毎年この数字を見るたびに、ため息が出るような暗澹とした気分になる。
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2001年の今日。ニューヨークで起きた同時多発テロ。当時の私はまだ8歳、小学校3年生だった。
いつも通り家に帰ると、テレビをつけて観ている母。それ自体はよくある事だったが、母の反応がいつもと違うことが気になった。
テレビ画面には、ワールドトレードセンターが真ん中で爆発し、ビルが粉塵をあげて崩れていく様子がずっと流れている。
最初は、母にしては珍しく激しい物を観ているなぁ、SFかなぁ、なんて思っていた。ビルが崩れていく様子が、ドミノ倒しのようであっけないなぁとも、ぼんやりと思った。
それがフィクションのドラマや映画ではないと理解したのは、どのタイミングだったか……。
泣き叫ぶ人たちの映像がリアルだったからか、日本人の生存確認が流れていたからか、どのチャンネルを回しても同じ映像だったからか。もう、そこまでの記憶は残っていない。
「あのアメリカが、あのニューヨークが、あの強靭な世界の中心のような高いビルが、攻撃されていとも簡単に崩れている」
衝撃だった。怖いと思ったのかどうかすら、覚えていない。
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当時まだ“内戦”や“民族問題”についてほとんど知らなかった私は、それまで「戦争は過去のもの、第二次世界大戦が終わって世界から戦争はなくなった」と思っていた。
人間や世界は、第二次世界大戦から、広島・長崎の原爆から学んだのだと。仲の良い国・悪い国はあるけれど、みんな一緒に平和を創ろうと進んでいるのだと。そして、その中心がアメリカなのだと。そう、信じていた。
そのはずなのに、そのアメリカが、もろく崩れ去っている。どこの誰か分からない人たちに攻撃を受けている。
今まで、私は何を教わってきたのか。なぜ、そんなことが起こり得ると微塵も思ったことがなかったのか。疑問がいっぱいだ。
「目を疑った」「まさかこんなことが起こるなんて」「大変なことになった」
そう話す大人たちを見て、「大人もそうなのか、大人も全てを知っているわけではないのか」と感じたことは覚えている。
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そうは言っても、アメリカ。きっと権威と力ですぐに解決するだろう。最初はそう思っていた。ところが、事は思っていた以上に組織的で、相手は思っていた以上に強かった。
1カ月後、「テロとの戦い」としてアフガニスタン戦争が始まった。
まさか自分が生きている間に、戦争が始まる瞬間を目の当たりにするなんて。
世界から戦争はなくなったのではなかったのか? 戦争はいけないことで、もうやらないようにするために世界中で取り組んできたのではなかったのか?
「……戦争が、始まっちゃったよ」
母のボソリとこぼした言葉に、何か信じていたものが崩れ去っていった。
日本も戦争に巻き込まれていくのだろうか。私の生活はどうなるのだろうか。普通に外を歩いて学校へ通っていていいのだろうか。
世界がどう変わっていくのか、不安になった。
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それまで信じてきた平和を、乱した者。みんなで創ってきたものを、壊した者。だから、テロリストたちは絶対的に悪者だと、最初は思っていた。実際、テロリストを匿っているだとか、兵器があるだとか言われて、アメリカは軍を進行していた。
ところが、攻撃するたびに「誤報だった」と流れてくる。本当は兵器なんてなかった、と。
成果のないまま、関係の無い命や、関係の無い人たちの住処が奪われていく。
本当に相手は悪者なのだろうか。それとも、怒りのやり場がなく、悪者を作り上げて攻撃しているのだろうか。
分からなくなった。
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そんな中でも、私たちの生活は“いつも通り”だった。少しずつ感覚が麻痺し、中東地域の状況を伝える報道も減り、知識としては知っていても戦争はどこか別の世界の出来事になっていった。
そのうち、アフガニスタン戦争はイラク戦争へと変わる。自衛隊派遣が議論され、非戦闘地域へ送り出されたのもこの頃だ。
それでも、生活は変わらなかった。ニュースもほとんど変わらなかった。非戦闘地域とはいえ戦争に日本の自衛隊も近づいてるいるのだと実感することは、ほとんどなかった。
中学、高校と上がり、歴史や世界情勢を少しは勉強するようになった。勉強すればするほど、なぜあのとき世界は、テロなんて起きないものと思っていたのだろう、なぜ平和だと思っていたのだろうと不思議になった。
勉強すればするほど、テロリストは本当に悪者なのか、権力と同調という暴力に潰された声だったのか、分からなくなった。
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2017年初夏。LINEニュース速報に、一通の写真が流れてきた。
ISISの象徴であるモスクを制圧したというニュース。その写真は、制圧ではなく、破壊だった。周りの家も何もかも、ことごとく瓦礫だった。
制圧して、何がいいのだろう。
きっとここには人が住んでいた。このモスクが心の拠り所だった人もいた。そこには、文化も生活もあったはずなのに。
破壊して、制圧と言って喜ぶのか。
たった1枚の写真に、悲しさと、苦しさと、怒りが込み上げた。
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「テロとの戦争」が始まったあの日から、16年。
社会ではテクノロジーが発達し、グローバルのつながりがますます進んでいる。グローバルリーダーや異文化交流という言葉が、一般に使われるようになった。NPOやソーシャルビジネスといわれる分野にも光が当たるようになってきた。
けれど、イラク戦争は終結したものの、同じ中東地域にISISが出現。世界では今なおテロが起き続けている。
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最初は、アメリカの強靭な力ですぐに解決できると思っていた。その次は、ジャーナリズムや草の根運動に可能性を感じ、きっとこのエネルギーが争いをおさめてくれると期待した。大学の5年間は「平和で人々の可能性が最大限発揮された社会」をビジョンに掲げるAIESECで活動した。
でも、争いは一向になくならない。
この16年、特に大学の5年で感じてきたことは「一発逆転で衝突を解消して世界を平和にできる方法も、取組も、力もどこにもない」ということ。そして、私は世界なんて変えられなくて、自分の両手いっぱいの範囲を変えるだけで精一杯だということ。
いや、自分の両手の範囲であったって、変えることはおろか、守ることさえ難しい。だからもう、私は自分自身の手で大きな平和に取り組もうとは考えていない。だからこそ、自分の両手の届く範囲としっかり向き合おうと思うようになった。
私が向き合えるのは、両手の届く範囲で精一杯。だけど、みんながそれぞれの両手が届く範囲と本気で向き合えば、それが少しずつ呼応しつながって、いつしか大きな和になるはずだから。
だから、身近なところからしっかり向き合って、感じて、手を伸ばしたい。
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例年は、9.11でも「あぁ、もう〇年か」と思うだけで何も書いてこなかった。
なぜ、今年は書いているのか。
それは、今、妹がニューヨークでホームステイをしながらインターンシップに励んでいるから。
ここ数年でものすごく治安が良くなったと聞くニューヨーク。妹はミュージカルも観に行ったりして楽しんでいる様子。
けれど、16年前の今日だって、みんなニューヨークは世界の中心だと思っていた。そうしてブロードウェイやカフェを楽しんでいた。
普段は妹に対して特に何も言わないけれど、今日ばかりは、それなりに気を付けて過ごし、笑顔で帰ってきてほしいなと願う。
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同時に、当たり前のようなこの言葉が、罠だなと気づく。
ここまで、まるで私は世界をちゃんと見て感じ考えてきたような顔をして書いてきたけれど、この妹へ思うことこそが、心のどこか奥底で「日本の方が安心」「日本の私たちの生活圏は大丈夫」と思っていることの表れなのだから……。
本当の意味で、世界のことを自分事として捉えるのは、難しい。
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