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怖がっていたのは、自分の弱さだったのかもしれない

ずっと、人付き合いが苦手だった。

そう言うと、驚かれることがある。表面上の会話や社交辞令は熟せるからだろう。私の中の“責任感”と“常識”がそうさせる。だから、最初の人当たりはいい方なのだと思う。

ただ、その先がない。

なんでも相談できる友人、寄りかかれる同志、一緒に何かを作る仲間、課題を共に背負える人。肩書きではなく、心理的にその距離感にある人をなかなか作れなかった。

私は、ずっと「一定以上、人に近づくこと」を恐れてきた。

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中学、高校とどちらでも、友人関係で上手くいかないことがあった。自分だけ蚊帳の外だったり、事前に相談してくれると思っていた人から一言もなかったり。

どちらも、相手は裏切りたくて裏切っているわけではないことはわかっている。言いにくかったり、そんな余裕がなかったり。それぞれに必死なのも、悪気はないことも、頭ではわかっている。

けれど、頭ではわかっていても、感情はそう上手くいかなかった。

相手は裏切ろうとしたわけではないのに、一人で裏切られたと感じて、落ち込んで、悲しんで。なんだかすごく、虚しい。どうして、一人勝手に「裏切られた」と傷ついてしまうのか。

それは、私が相手に期待しているからだ。相手を信じているからだ。

ならば。

最初から人になんか期待しなければいい。人は、その気なく結果的に私を裏切ることがあるのだから。でも、期待をしなければ裏切られることだってない。

「期待」できないから、人に近づくこともできなくなっていった。

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そんな私を打ち崩してくれたのが、大学1年の春休みに参加したアイセックの海外インターンシップだった。

「海外インターンシップで変わった」と言うと、多くの人が海外経験が私を変えたのだと考える。けれど、それ以上についてくれたマネージャーの影響が大きかった。

謎だった。なぜ彼はそんなに時間も労力も割いて向き合おうとしてくれるのか。

最初は、すごく嫌だった。勝手にズカズカと私の中に土足で入ってくるなと。他人に期待しない私は、自分の内を他人に見せるのも嫌だったのだ。

そして、自分でも気が付いていなかってけれど、人に期待できないから自分にも期待できなくなっていた。

そんな私に、適当にあしらえばいいのに、適当にせずに向き合おうとしてくれる人がいる(担当マネージャーという、その立場だったからかもしれないけども)。不思議だった。

なんとなく、この人は信用してもいいのかなと思うようになった。

同時に、誰にも期待しないというのは、傷つかないように最低限は身を守れるかもしれないけれど、感動もなくて貧しいのではないかと考えるようになった。ずっとどこか寂しかったのは、期待すらしていなかったからではないかと。

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それからは人と近づけるようになったのかと言うと、実はそんなこともない。こびりついていた恐怖は、そうそう簡単には剥がれなかった。何より、人との距離の測り方がわからなかった。自信がなかった。

それでも、少しずつ、少しずつ、周囲との距離は近づけるようになった……はずだった。

その時の私は、近づくのと依存するのを履き違えていた。

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依存に嵌ると、周囲が見えなくなる。自分が見えなくなる。すがりつくようになる。そうして、相手を消耗させ、自分も寂しくなり、気が付いたら色んなものが壊れていた。

一定以上近づくと盲目的になり、依存してしまう自分の弱さが、怖くなった。

ちょうど、2年前から1年前だ。

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年末年始でこれまでを振り返って、ふと不思議に思った。

大学までの恐怖の矛先は、“周囲”だった。周囲に裏切られるのが怖くて、期待することを諦め、人に近づけなかった。

ここ数年の恐怖の矛先は、“自分”の中だ。自分の弱さと脆さと盲目さが怖くて、近づけなかった。

矛先は違うのに、「一定以上、人に近づくのが怖い」という結果は同じだ。

その理由に、年明けに2日間連続でインプロワークショップへ参加して、なんとなく気が付いた。

私は、最初から自分の弱さが怖かったのではないか、と。

裏切る周囲が怖かったのではない。裏切られることで傷つく自分の弱さと影響の受けやすさ、盲目的に信頼する自分の視野の狭さが怖かったのではないか。そして、その怖さと原因が自分の中にあると認められないぐらいに自分が弱かったのではないか。

そう気が付いたら、なんだかすごく楽になった。「なーんだ」と、笑いが出るほどに呼吸が楽になった。

怖さの原因が自分にあるのなら、いくらでも変えていけるのだから。他人は変えられないけれど、自分は解釈や成長でいくらでも変えていけるのだから。

周囲が自分を傷つけるものではなくなったことで、その成長を手助けしてくれる仲間に変換されたから。

そして、ちょっとだけ自分を褒めてあげたいと思った。

怖がっているものは自分の中にあると、よく認められるようになったね、と。以前よりもちゃんと自分の弱さを見れるくらい、強くなったね、と。

強くなれたのは、きっと依存先も依存のスタイルも増やしてきたから。インプロワークショップ、読書、ライティングを学び合うコミュニティ、SNS、Webメディア……

きっと私は、この後もみんなの力を借りながら変化していく。今度は、どんなしなやかさを身に付けて、どんな私になっていくのだろう? 私にもわからないけれど、脱皮するように一つずつ重い荷物をおろして、自由になっていきたい。

アイキャッチ写真:
Photo AC まぽさんの作品を利用させていただきました。

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