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ライラックの花とT.S.エリオットの「荒地」の詩

ライラックという花がどこにあるのだろうかとずっと探していました。ヨーロッパ原産で、フランスではリラと呼ばれています。春先に、紫や白の花をつけ、葉っぱはハート型をしており、ヨーロッパではお馴染みの植物です。

花屋の店先や、近所の公園などで、ずっとライラックを探していたのですが、なかなか見つかりませんでした。四月になってから、SNSで#ライラックを検索したら、何と東京の木場公園という投稿を発見しました。4月になって木場公園でライラックが咲き出したという投稿で、写真もついています。これはすぐに確認しなければと思いました。

私は、昨年の12月に長年住んでいたシンガポールから東京に戻ってきたのですが、木場公園は家から歩いていける近距離にあります。ウォーキングではよく行く場所だし、植物園のような場所もあります。しかし、すぐには見つかりませんでした。

木場公園は、葛西橋通りを挟んで北と南にわかれていて、北と南が歩行者専用の橋で繋がっています。最初見たのは、南側だったのですが、別の日に北側(東京現代美術館のある側)に行ってみました。

テニスコートの周辺で、白く咲き誇るライラックの花を見つけました。「ライラック」というプレートもあったので、それがまさしくライラックであるという確信を得ました。不思議なもので、一度発見すると、テニスコートの周辺にあるライラックが次々と見えてきます。ちょうど、ライラックが満開の時期だったので、こんなに沢山のライラックがここにあったのかと驚きました。

何度も通ったことのある道なのに、花が咲いていないと全く気付きませんでした。数日後の4月17日の日曜日に見たら、あんなに咲いていた白いライラックはほとんど散って無くなっていました。

しかし、この近所で発見したのは、白いライラックだけではありませんでした。木場公園の西側に三ツ目通りという通りがあるのですが、深川消防署の前あたりから北の道路沿いに、薄紫のライラックが咲いているのを発見しました。4月の17日の時点で満開で、白いライラックよりも1週間くらい開花がずれている感じです。

清澄白河の新大橋通りの建物入り口でもライラックを目撃
木場公園付近でのライラック目撃場所

ライラックの花が気になっていたのは、大学時代に英文学の授業で習ったT.S.エリオットの「荒地」という詩の冒頭の部分にライラックの花が登場するのですが、それが頭から離れなかったからです。

April is the cruellest month, breeding
Lilacs out of the dead land, mixing
Memory and desire, stirring
Dull roots with spring rain.
思潮社「エリオット詩集」の日本語訳を見ると、こんな風に書かれています。
「四月は残酷きわまる月で、
死んだ土地からライラックを育て、
記憶と欲望をまぜあわせ、
鈍重な根を春雨で刺激する」

そしてこちらが、T.S.エリオットの本人による朗読です。

この詩は難解な詩として有名で、日本で西脇順三郎などのモダニズム、ダダイズム、シュルレアリズムなどに大きな影響を与えた詩なのですが、ライラックの花を実際たらこの詩をより理解できるだろうかという漠然とした期待がありました。

結果としてはそういうことはなかったのですが、実際にライラックの花を見ることによって、T.S.エリオットが実際に見て、詩に込めた情報の一部を共有できた気がしました。花の名前ということはわかっていたのですが、実物を知ることによって、難解な詩を解読するための手がかりを得たと思ったのです。

T.S.エリオットが「荒地」を発表したのは1922年。ちょうど100年前で、2022年の今年は「荒地」の100周年となります。

100年前の1922年はどんな年だったのでしょうか?第一次世界大戦が終わったのが1918年11月11日ですが、第一次世界大戦末期の1918年の春先から世界に蔓延したのがスペイン風邪でした。欧米から世界中に拡大し、大正時代の日本でも多くの人の命を奪いました。当時の世界の人口の4分の1に相当する5億人が感染し、世界中で1,700万人から5千万人が死亡したと言われています。

現在のコロナ禍とロシアの侵攻によるウクライナの惨状を見ると、奇しくも100年前の状況と酷似しています。ワクチンはなかったのですが、マスク、手洗い、隔離などの対策は何ら変わりないし、人々の不安感も同じようなものだったのではないかと思われます。パンデミックが始まって2年を過ぎてやっと、アフターコロナへの動きが出てきましたが、100年前も蔓延期間は2、3年で非常に似ています。

さらに、ウクライナの状況を見ると、戦いの方法は100年前の第一次世界大戦の頃の戦いと酷似しています。兵器は進化したものの、戦いの方法は、戦車や鉄砲の陸上戦です。

100年前と同じように、地球上に疫病での死者が溢れ、ウクライナなどでの戦争の死者が溢れています。このような環境の中で、あらてめてT.S.エリオットの「荒地」を読んでみると、コロナ以前の時代とはまた違った印象が得られる気がします。詩や文学のリテラシーは時代の環境に左右されることを実感として感じます。

ライラックの花を見て、連日、コロナやウクライナの情報に取り囲まれた今は、かつて西脇順三郎氏が感じたのとは別の感覚でT.S.エリオットの詩とシンクロできているのではないかと感じています。それは錯覚なのかもしれませんが、何か時代の巡り合わせの不思議さを感じる今日この頃です。

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