Epi;5 10月の雨は終わらない【死時計シリーズ】
~introduction5~
「シロ様!」
手毬が勢いよく庵に飛び込んできた。
珍しく怒っている。表情が鋭い。
彼がそんな顔をするときは大概、僕の事で何か追い詰められた考えに至っている。多分、あのことだろうと予測はついているが、すでにやらかした後なので、弁明もできない。
手当のあと、庵に直帰したので、『空虚』で後処理をしていた彼とすれ違いになったのも、ここまで怒りが膨らんだ理由だろう。
「すまない」
「シロ様はずるいです。そんな言い方されたら怒れないじゃないですか」
事態をモニタリングしていた彼は、経緯のすべてを知っていて、モニターごしに不安と苛立ちを募らせていたと思う。
「本当に、心配ばかりかけてしまう、悪い上司だな」
手毬は顔を真っ赤にして、掴みかかるように懐に飛び込んできた。僕はといえば、そんな彼をぎゅぅっと抱きしめてみた。
どれくらいの時間、そうしていただろう。
庵の窓辺の霞人も、心配そうにこちらをうかがっている。
「手毬、僕は思うんだ」
胸元にある手毬の頭を左手で撫でてみる。
「魂に刻まれた記憶は浄化されるべきだという考え方に異論を唱えるつもりはないが、浄化するかどうかを択|《えら》べないことも、システムの一部なんじゃないかなって」
「?どういう、意味ですか?」
手毬が顔を上げる。視線が近い。
「僕だけでなく、『玉人』の多くは『現界』での記憶を宿している。これは『玉人《たまびと》』特有の性質という訳ではなく、記憶を構築してきた過程が既にほかの魂と違うんじゃないかと考えている。『|仙人』も然り、『空居』の運営に関わる『天人』も然り、そして、お前も然り」
「…私には、難しくてわかりません」
「手毬…」
「シロ様はそうやって、難しい話をして、私を煙に巻こうとしてませんか?」
しまった、逆に拗ねてしまった。それもそうか、感情でぶつかってきている相手に理論で返しても嚙み合わない。でも、こう直球でこられると照れくさくもある。僕の事を心配して怒ってくれる者がいるという事実。そう、まるで家族のような。
「ありがとう」
改めて、きゅぅっと抱きしめる。手毬ははっと顔を上げようとして、けれど、抱擁のど真ん中の幸福を確かめるように、僕の腕の中に納まっていた。ついうっかり、痛めた右手で彼の頭を撫でてしまい、苦痛の声を挙げるまでは。
「シロ様!」
手毬は勢いよく僕の腕から飛び出した。ここに来た目的を思い出した!と顔に書いてある。
「休んで下さい、すぐに!」
「いや、『玉人会』への報告もあるし…」
「そんなもの、待たせておけばいいんです」
「そんなものって、お前…」
見れば庵の入り口に、大きな麻袋が3つある。食材の類、そして複数の『仙人』の気配を感じる。小袋は薬袋だろう、これも10数個。
「治るまで、一切、お仕事は控えていただきます」
どうやら恐ろしいほどの短時間で、僕を看病するための何某を収集してきたのだろう。治ったらあちこちに挨拶周りが必要そうだ。
「先ほどの難解な謎かけも、ゆ~っくり、聞かせてくださいね」
笑顔が笑っていない。どうやら手毬の手厚い看病に、しばらくの間お世話になることになりそうだった。
Mirror’s LoverS Presents
【死時計シリーズ】
Episode;5 「10月の雨は終わらない」
ここ数年特に、天気の移り変わりが激しいよな。季節外れの暑さや冷え込み、梅雨でもないのに長雨や湿気。寺も敷地も、無駄にだだっ広いから、体調を崩しやすくて困る。
その日も雨だった。
容赦なく降り続く、大粒の雨。夜の雨。
10月になると流石に、夜は寒い。
打ち付ける雨が、俺の身体から熱を奪っていく。
「蕉、あなたがどのように動くのかは、干渉しません。あなたがこの瞬間、ここに現れた事も、自然の摂理。だから、あなたが思うように、行動して良いのですよ」
なんだ、銀山のやつ、こうなることを知ってたんじゃないか。
その夜、俺、松本蕉は死んだ。
初めて銀山を見たのは、4歳の時だった。その日も雨だった。
父方の親戚が寺の住職をしていて、ご先祖様の墓がその境内にある。8月初旬のことで、予報通りの激しい雨に、自分を連れる父も母も、出来ればごめんこうむりたいという顔で、墓参りに来ていた。
「美佐子、団子がないぞ?」
「お花だけでいいじゃない?雨、降ってるんだし」
「俺達が食うために買った訳じゃないだろ?罰が当たるぞ」
「はいはい」
母は立ち上がり、ぬれる足元を気にしながら、駐車場へ向かった。
団子、と聞いて、後部座席で見失ったチョコボールの事を思いたした。車に向かう母を追いかける。父に云ったら怒られるが、母なら一緒に捜してくれるだろう。幼心に、それくらいは判別していたと思う。父が自分に厳しいのは、後取り息子には厳しく、といった一辺倒の理由ではない。
「蕉ちゃん?」
俺の名前は蕉、松本蕉。「ショウ」は松尾芭蕉の蕉と書く。
名づけたのは父方の曾祖母だった。曾祖母は、見えないはずのものがいろいろと見える人だったらしい。生前は、宗教じみた決まり事を子供たちに強要して、曾祖父によく怒られていたらしい。そして亡くなるとき、「お前の息子は蕉と名付けなさい」と父に云っていたそうで、親戚達が気味悪がって、反対する父を説得し、この名になったと聞かされている。父は酒に酔うと、よく、嫌そうにその話をする。
「パパと一緒に待ってなさい」
「あのね、ママ。さっき車降りるときにね」
「蕉ちゃん、早く帰りたいでしょ?雨も酷いし、ぱっぱと済ませて帰りましょ?ね、ママ、やることがあるから、パパと待ってて」
駐車場は遠いし、早く帰りたいのは自分も同じ。ここは薄気味悪い。ざわつく気配があちらこちらに在って、居心地が悪かった。
母の背中を見送り、仕方なく元の場所へ戻ろうとしたとき、その声が聞こえてきた
「あなたは、輪廻転生という概念はわかりますか?」
とても不思議な響きだった。
なんだろう?リンネ…テンセイ?
「よろしい。では、それをふまえてお聞きください。
これからさせていただくのは、あなたがどこからやって来て、どこへ逝くのか、というお話です。キーワードは『輪廻転生』そして、『生時計』と『死時計』。
あなたご自身は、魂という存在です。本来、天界という美しい世界に生まれるはずだったのですが、魂には幾ばくかの穢れがあり、穢れを払うまでは、天界に生まれることが出来ません。穢れを払うため、肉体をまとい、ここ、現界で何度か生まれ変わる、それが輪廻転生と呼ばれる、魂の浄化システムです。
生まれ変わるたび、記憶はリセットされますが、体験や経験、功績は「徳」として上書きされていきます。
天界に転生するにはある一定の徳を積む必要があり、一度の生涯では積み切れず、何度か生まれ変わるのがセオリーです。この繰り返す転生の運営を円滑に行うため、現界に誕生するとき、魂はその中に『生時計』と『死時計』という、ふたつの時計を持って生まれてきます」
声のする方向に、男が立っていた。
黒い髪に、黒い服。ひどい土砂降りなのに、全然濡れてない。
誰かと話している素振りで、よくよく目を凝らすと、白っぽいシャツに柄ネクタイの、半透明に透けた男の姿が見えた。
連なる墓に隠れて、見えたのはそこだけ。
シャツの男の声は聞こえない。切羽詰った様子で、何度も首を振っている。「私は、どちらでも構いませんよ。あ、あと、このお取引が成立してもしなくても、事が済んだ暁には、わたくしとのやり取りは記憶の方から抹消させていただきますので、ご了承ください」
黒い男の台詞が終るのと、ほぼ同時だった。
車のブレーキ音、立て続けに激しい衝突音が響いた。墓地の向こうの土手の下から、灰色の煙が上がっる。
黒男は土手の下をじっと見ていた。白シャツの男は、姿がなかった。
「蕉、お前…いなくなるから…、何だ?事故か?」
俺を見止めて渋い表情の父だったが、すぐ、土手の方を振り返った。
「何かあった?すごい音がしたけど…」
「土手の下だな?ぶつかったような音だったが」
「下は確か急カーブの坂だったわよね」
「蕉、お前は墓に戻ってろ。迎えに行くから、墓の前にいるんだぞ」
俺に大きな傘を持たせて、父も母も、他の大人たちと同じように、土手の方へ駆けて行った。集まる大人たちとは反対に、先程の黒い服の男がこちらに歩いてくる。
多分、見つめすぎたのだろう。俺の視線に気づいて、男は涼しげな顔を少し歪ませた。俺の目の前で立ち止まり、視線を合わせるように、しゃがんだ。
「私が、見えていますか?」
表情は笑顔、でも、つくりものみたいだった。
音なくコクリとうなずくと、男は手袋をはめた両手で、俺の顔を包み込むように持った。じ~っと、俺の眼の奥を覗いている。
「成程。輪廻終盤の魂には久しぶりに逢いましたよ」
「え?」
「いえ、失言です。今、見た事も、私と逢った事も、忘れてしまいなさい」
「あの、…あの人、大丈夫?」
尋ねると、黒い男は一瞬、表情を詰まらせて、けれどすぐさま、薄っぺらい唇で笑った。
「ええ、多分ね」
男は着ているコートだけでなく、シャツも、ズボンも、靴も、全て真っ黒だった。ネクタイは銀色。眼鏡をかけていて、瞳は紫。
スッと立ち上がると、俺の左側を、風が通り過ぎるように去っていく。
恐る恐る振り返ってみたが、まるで何もなかったかのように、勢いを増す雨が降りしきるだけだった。
物心ついた時には、もう、見えていたと思う。生きているものとは気配が違う。意志あるもの、意志なく漂うもの。人間のようなもの、動物のようなもの、それ以外の不思議な形のもの。人外のものは、自分を見ると、逃げるように消えることが多かった。
自分が見ている世界の話をすると、母は困ったような顔をし、父は絶句した。「ばあさんの血だ…」と嫌そうに云った。子供心に、それが見えることが「普通」ではないことがわかった。
しかし、見えてしまうものは見えてしまう。うまく隠すことができず、学校で孤立するようになった。小学3年に上がる頃、心配した両親に連れられ、親戚筋にあたるこの寺に預けられる事になった。
「たった2秒に残りの寿命10年?なんなのよ、その比率!」
「比率に関しましては、既に決定事項なので。この瞬間を逃すと、あと5秒、ですしね」
中学に上がるころには、黒い男だけでなく、相手の霊の声も聞こえるようになっていた。霊、といってよいと思う。その足元には肉体があって、肉体から抜け出たらしい霊と、黒の男が話している。なにかの取引のような。
「のぞき見はよくないなぁ」
気づくと、黒男は目の前に立っていた。黒い出で立ち、紫の瞳。数年前と何も変わってない。
激しいブレーキ音、そして衝突音。状況さえ、あの日とデジャブする。
寺の周りは、事故が多い。墓参りに来る土地勘のないドライバーだったり、高齢者の飛び出しだったり。注意喚起の看板がうざいくらい立っている。
下校時、事故を見ることも結構ある。その現場に、この黒男がいることがある。
「ときどき、こちらを見ているな、とは思っていましたが。以前より見えるようになっていますね」
「さっきの人、大丈夫?」
「え?ああ…以前も、同じような事を訊かれました」
「そう、だっけ?」
「ええ。…今回も、大丈夫ですよ、多分ね」
「あんた、死神か何か?」
「何故です?」
「事故現場でよく見かけるから」
「いえ、むしろ救済する側なんですが」
黒男はやっぱり、妖しく笑う。
「その、黒男、というのはナンセンスですね」
え?俺の考えてること、わかるの?
「ええ、わかります。むしろ口を開かなくていい。周囲の人に、私は見えていませんよ?」
事故の音を聞きつけた大人たちが、ぞろぞろ集まってきた。確かに、周りには、俺がブツブツ独り言を云っているように見えてしまう。これ以上変な噂とか、困るし。
「申し遅れました、わたくし、死時計管理委員会・突然死救済係の、銀山魅羅緒と申します」
男は大げさに一礼した。
???し・どけい?
「場所を変えましょう」
銀山と名乗る男は、世話になっている寺に向けて歩き出した。
「魂は同じだけど、人間としては何度も生まれたり、死んだりするってこと?」
「はい。人間として生あるうちはこの世で修行をして、死んだ後は待機場所で次の誕生を待ちます。その繰り返しを『輪廻転生』といい、最終的に天界に転生します」
「へぇ~。でも何で何度も生まれ変わるの?」
「魂に穢れがあるからです」
「けがれ?」
「無色透明で生まれるはずが、誕生システムに支障をきたしていて、濁ってしまっている、という感じでわかりますか?」
「ん~、なんとなく?」
「その濁りは、人間の一生では払いきれないので、何度か生まれ変わって、綺麗にするのです」
「へぇ~」
「その生まれ変わりが上手く切り替えられるように、『生時計』『死時計』というシステムがあります。これは死生観を司る体内時計で、生まれる時は『生時計』を廻し、死を悟ると『死時計』に切り替わります」
「切り替わる?」
「ええ、自分がいつか死ぬことを意識すると、人生のカウントダウンを始める。死の覚悟が出来ている魂は、実際亡くなった時、順当に転生の準備に入れるのですが、覚悟が出来ていない魂、特に『生時計』のまま死を迎えると、心の準備が不足していて、転生の迷子になる事がある。私はその迷いそうな魂を救済するお仕事をしています」
ときどき見かける、お取引、というやつのことだろう。相手の霊の顔が辛そうに見えるので、どんな取引なのか、気にかかるところではあるけれど。
あれ、そういえば、俺のこと、輪廻終盤って云ってなかったっけ?
「よく、覚えていますね」
「そりゃ、耳に残るワードだったから。リンネ、とか、シツゲン、とか。心地いい声だったし」
「それは、光栄」
銀山は、少しだけ、作りものではない顔をこぼした…ように見えた。
「にしてもこの辺、事故多いよね。お寺だから?」
「お寺だけでなく、人の想いが集まる場所は、事故が起こりやすいですね。…これでも以前よりはマシになりました」
「へぇ~。あ、ねぇ、俺に何かあったときも、助けてよ」
「それは無理ですね」
「なんで?」
「君の中ではもう、『死時計』が廻っていますから」
云われて、ドキリと鼓動を打った。
「おや、失言ですね。では、また」
消える時は、霧のように空気に溶けて行く。
銀山のいうことを、真に受けてよいかはわからないけれど。見えてしまう不可思議なものの中で、まともに会話できるのは、この黒い男だけ。
それからも、何度も銀山の姿を見かけた。彼のいうところの救済活動の最中のこともあったし、ときどき、墓地の一角でも。いつも同じ墓の前に居て、銀山が見つめる視線の先に何かの気配はあるけれど、見ることはできなかった。
そこで彼を見かける日は、決まって雨が降っていた。
また、雨だ。雨が降ると、つい、件の墓辺りを見廻りに出かけたくなる。別に銀山に逢いたい訳ではない。ただ何となく、気になるだけ。
「ああ、蕉さん、こんなところに」
散策ついでに、境内の施設を見回っていると、傘を差した友恵さんが駆けて来るのが見えた。友恵さんは住職の奥さんの親族で、寺に住み込みで身の回りのお世話をしてくださっている方だ。
「今日予定していた法事のほか、一件お通夜と葬儀が入るそうで、蕉さんに、列席と明日の繰り上げ初七日を担当してほしいって」
「判りました。戻ります」
「いつも、この辺りにいらっしゃいますよね?何かあるんですか?」
あると云えばあるし、ないと云えばない。うまく説明できず失笑すると、友恵さんはにっこり笑って、俺の背中をポンと叩いた。
「ほら、急いで戻りませんと」
寺の本堂に行くと、住職が僧侶や通いの職員たちに指示を飛ばしていた。
「ああ、蕉か。頼めるか?」
「はい」
「身を清めて来い。袈裟のほうは友恵さんに頼んであるから」
僧侶という職業も、もう8年になる。
門前の小僧、習わぬ経を読む。小学3年で寺に住み、僧侶たちと寝食を共にしていた。学生時代から手伝いで経を読んだりもした。一般就職もしたけれど、何故か勤め先が倒産や事業縮小で閉鎖が続いた。4回も繰り返せば、僧侶をやれと云われているような気もしてくる。
「あぁあぁ蕉さん、お袈裟はお部屋にお運びしましたけど、お仕度手伝いましょうか?」
「いえ、大丈夫です、ずいぶん、ばたばたしてますね」
「飛び込みの葬儀が、ほら、山根さんのところの大おじい様で」
「え!山根さんの」
「お若いころは地元の名士でしたしねぇ。結構な認知症で最後は…あれでしたけど、町内の皆様も集まるでしょうし」
もともと予定の法事は遠方からの利用客で、寺と続きになっている離れの宿泊部屋を利用していた。飛び込みの葬儀の方も遠方からの親戚が宿泊することになり、部屋の仕切りなど仕事が増えしまった。通夜の後、裏方も手伝う事になって、寝床にありついたのは、夜11時をまわってからだった。
静かな夜。雨は上がったようだ。
疲れている筈なのに、眠れない。何やら小さい音が聞こえる。女性がすすり泣く声のような。
気になって自室を出る。声らしきものは、泊り客の部屋の方から聞こえるらしい。故人を忍んで泣いている人がいるのだろうか。それならば…と、踵を返そうとしたが。
「10年を2秒?」
幼い子供の声がする。この数字には、聞き覚えがある。
「ええ。10年を2秒です。難しいお話ですみません」
「ううん、判るよ。2秒でお母さんから逃げられたら、ぼく、死ななくて済むかもしれないんでしょ?」
「はい」
「お母さんね、心の病気なんだって。お父さんが云ってた。だから、一緒の時はお父さんが気をつけてくれるけど、一人の時は自分で自分を護りなさいって、云われてたのにさ」
「そう、でしたか」
なんだ、この会話は!こらえきれず、襖をあける。そこにあったのは、男の子にまたがって首を絞めている女性。そして、女性の背に、後ろから覆いかぶさるように、霊らしき黒髪の女がしがみついていた。
「ああ。見つかってしまいました」
跪いて、少年の霊体と視線を合わせている、銀山が振り返る。
「あなたのおられるお寺ですから、見つかる可能性は示唆していましたが…」
「銀山さん、これって」
「介入しますか?」
「介入?」
「ぼく、知ってたの。ぼく、本当は大おじいちゃんの子供なの。だけど、セケンテイ、だってね。秘密なの。その事で、お母さん、心が苦しくなっちゃってね」
「え?」
「認知症が酷くて、身の回りの世話をして下さっていた孫嫁を襲ったようですね」
「おいおい…」
「本家のご家族に固く口止めされて、妊娠がわかった後も旦那さんに打ち明けられず。けれど、血液型が違って、旦那さんに問い詰められて発覚したようです。今回、旦那さんが出張中で、お二人で葬儀に参列されたのですが、寺にいたこちらの霊につけ込まれたようですね」
とり憑く霊の方には覚えがある。寺の周りを浮遊している死霊のひとり、「お前のせいで私は幸せになれないんだ~」と、うめいている女性の霊だ。「そちらは産んだ子のせいで男に捨てられ、幼い息子と心中した江戸時代の女性ですね。土地に固執した浮遊霊で、恨みが強過ぎて、邪なものをいろいろと吸い込んでいます。
私は死時計管理委員会の規約に則って、この子と救済交渉をしているところですが、蕉、あなたはどうししますか?」
銀山の視線は、いつになく硬い。もしかして、俺、銀山の仕事の邪魔をしてる?
「邪魔、ではありませんが…」
「じゃあ、…助けろってこと?助けるなってこと?」
「あなたがこの子を助けるか、助けないか、私は干渉しません」
干渉って、なんだよ?嫌な言い方だ。この状況で、助けない選択をするか?
「それはその通りですね。まぁ、あなたがこの瞬間、ここに現れた事も、自然の摂理。だから、あなたが思うように、行動を起こして良いのですよ」少年の首は、次第に絞められていく。まずはこれを何とかしないと!
母親に駆け寄ると、霊の奴が刺のような冷気を放ちだした。
なんか刺さって痛いっ!
俺は見えてるだけで、不思議なパワーとか出せるわけじゃないんだよっ。「おい、うるさいぞ?何して…て、え?何やって!」
無我夢中で母親と格闘していたら、騒ぎに気付いた近くの親戚がかけつくてくれた。人の気配に気づいて、母親の腕が少しゆるんだ。その隙に、腕を引きはがす。勢いあまって、母親もろとも、床にぶっ飛ぶ。
「おい、たかしくん!たかしくん!」
親戚の男性が少年を抱き上げると、けほっと音がして、少年の呼吸が回復した。その光景の向こう、銀山がこちらを一瞥して、いつもと同じく、霧がかすむように宙に消えた。
泊まり込んでいた親戚たちが集まってくる。俺が抱えている母親の方は、青白い顔で気を失っていた。
「あなた、お寺の方ですよね?一体何が?」
「ああ、ええ。通りすがりに可笑しな声が聞こえたので、襖を開けさせていただいたら、こんな…」
親戚の方に連絡を頼んで、住職はじめ寺の職員を起こし、救急車を呼んだりなんだり、とんでもない夜になった。
一夜明けて翌日。法事の家族は帰っていったが、山根家の葬儀は予定通り行われることになった。
俺をはじめ、目撃者、関係者が揃っているということで、葬儀と並行して、警察の取り調べは在宅で行われることになった。
病院で意識を取り戻した母親は、一連の行動について「記憶がない」と証言したようだが、母親に精神科の通院歴や、過去、虐待の疑いで家庭訪問を受けた記録があり、退院を待って殺人未遂の容疑で逮捕される見込みのようだ。
葬儀が終わり、山根家ご一行が帰った後は、住職にこってり絞られた。「ご霊さんのしわざか、参ったな」
叔父であり、この寺の管理者でもある住職には、「見えるもの」のことを逐一報告している。
「いや、なに、今回はお手柄だったよ。寺で万が一があったらと思うと。まぁあれだ、ご霊さんの云う事だし、そういう類の話は深く関わっちゃいけねぇ」
たかしくんの告白の件も伝えざるを得なかったが、住職の口止めを真摯に受け止める。
「ほとんど寝てないだろう?」
「はい、まぁ」
「警察の方はまぁ、後日ごたごたあるかもしれんが、今日のところはゆっくり休め」
「そうします」
外はまた、雨が降っていた。縁側を歩いていると、ふと遠くに、明かりが見えた。まるで、蛍火のような。
傘も差さずに、つっかけをひっかけてそこへ向かった。それが灯っているのは、いつも銀山を見かける場所だ。薄明かりを頼りに見知った境内を進んだが、到着したときには、灯りらしきものは見当たらなかった。
その頃、本堂を挟んで敷地の反対にある住職の家の電話が鳴っていた。
夜22時。発信先は病院だ。
「どうしたね、友恵さん」
「それが、たかしくんのおかあさんが病院を抜け出したって」
「なんだって?」
「病室前に見張りの刑事さんが居たのにいつのまにか居なくなったそうで。こっちに来ていないかって…」
気がついたときは、もう刺さっていたと思う。苦しいとか、痛いとか、そんな感触はなくて、ただただ重くて、それから、視界がぐらりと歪んだ。
俺にのしかかったそれは、うつ伏せに倒れた俺を乱暴にひっくり返して、跨ってきた。
昨日の光景に似ていた。
~あああ、やはり、やはり~
ああ、昨日の霊、凝りもせず、またお母さんにとり憑いて。
~これよ、これよ、このひかりのたまよ~
気味の悪い声を挙げながら、俺の胸を素手で開こうとしている。
「蕉、目を閉じて!」
耳元で、銀山の声がした。目を閉じる?そんな力、あるかな。そう思ったら、白い手袋が視界を覆った。
キシャ~ン、と金属っぽい音がした。
~あぎゃがぎゃあぁぁぁ~
断末魔のような声がして、何かの気配が消えた…ように感じた。
「もういいわ」
女性の声?視界の手袋が消えた。俺を覗き込む銀山の顔が見えた。
「助けられなくて、すみません」
たすけられなくてって、…ああ、俺が『死時計』だから、だっけ?
銀山の顔に、雨がかかっている。いや、違う。銀山はいつも濡れない。まさか、泣いてる?
残った力で右手を動かし、銀山の頬に手を伸ばす。
「シロっ、なにやってんの!」
「構いませんっ」
力足りず、途中で垂れ落ちた俺の手を、銀山が握ってくれた。そのままぐいっと引き上げられる感じがして、俺は宙に浮いていた。
真下に、俺の身体が見える。ああ、俺も霊、になったのかな?
「これ、死んでる?」
左の背中から左胸へ突き抜ける出刃包丁。心臓の脇を器用に掠めて背後から刺されていた。仰向けになったとき、更に深く刺さったのか、刃先が6センチほど、ミゾオチの辺りから突き立っている。
「まだ息はあります。…ですが、もう助かりません」
降りしきる雨が、俺の血を流していく。
カチンっと歯切れの良い音がした。背後にいた筋肉質の袴の女性が、大振りの刀を背負った鞘に仕舞ったようだ。
「そっちの人は」
「『回収係』の大和です」
「どうも」
「回収係?」
「正規の亡くなり方をしなかった魂をあちら側に誘導する部署の者で、中でも『刀持ち』なので、地縛霊を地縛地から切りとることができます」
俺の身体の足元で倒れるたかしくんの母親にとり憑いていた霊がいない。
あれ、右手が熱い…。
「あ、すみません」
銀山が慌てて、俺の右手を離した。
「って、あんた!その手」
離した銀山の右手は、手袋が溶け、火傷をしたかのように、赤々とした皮下組織が露わになっていた。
「シロ、来るわよ」
「説明は後です。蕉、そこに居てください」
キーン、と酷い耳鳴りみたいな金属音が響いた。地響きのような圧が、足元から押し寄せてくる。俺の身体の足元あたりの地面が真っ黒い、ドロドロとした渦巻きになっていて。
地面に転がる俺の身体が光った!
眩しい!何も見えない。
刀が何かにぶち当たる音、そして、何か呪文のような、銀山の声が聞こえる。目が慣れてくると、光を遮るように、爬虫類の触手のような何かが高速で飛び廻るのが見えた。先ほどの女性が刀を振るっていて、銀山は俺を背にかばうように中空に立ち、ひたすら何か唱えていた。
何が起こってる?判る訳がない。
でも多分、2人は俺のを守っているんじゃないのか?
「縛!装!結!鋼!…」
銀山が声を上げる度、地面に湧き出す闇のような塊に青白い文字が撃ち込まれる。
音にならない悲鳴のようなものが轟く。荒い息使い。その隙間から、子供の声?
『ヤメテ、オニイチャン、ヤメテ』
え?お兄ちゃん?
『イタイヨウ、オニイチャン、ヤメテヨ、ハイジオニイチャン』
「シロっ、惑わされるな」
銀山の右手から、だらだらと血が流れている。
肩口から除く銀山の顔が、苦痛で歪んている。
きっと俺のせいだ、俺のせいで、銀山は怪我をした。
「銀山ぁぁぁぁああぁっ!」
思わず名を呼んだ。
その瞬間、辺りを覆う眩しい光が俺の霊体の胸元に収束した。
光の一部が銀山の身体に注いだ。
「蕉!?」
銀山の身体が金色に輝いた。すかさず、その右手から、光の矢が放たれた。地面でうごめく闇に命中。闇は一瞬にして、その場に飛散した。
消える瞬間、ほんの一瞬、可愛らしい少女のような姿が見えた…気がした。辺りは夜闇に沈む。大粒の雨が降りしきる夜が戻ってきた。
「気が付きましたか?」
銀山が俺を覗き込んでいた。俺の霊体を、大和が抱き起こしてくれた。中空に浮いたまま、横たわっていたらしい。ああ、霊体でも気を失うとかあるんだ。
ふと、地面に横たわっている自分の身体が目に入った。かわいそうに、雨に打たれて、虫の息だった。
白目をむいている。酷い顔だなぁ。せめて、目、閉じておけば良かった。
「気になりますか?」
「え、ああ」
「ちょっとやめなさいよ、シロ」
大和が軽やかに地面に舞い降りて、見開いた俺の目の瞼を下ろしてくれた。「説明は後、って言ってたよな?」
「はい。ですが先にひとつ、確認してもいいですか?」
「ん、なに?」
「胸は、不具合ありませんか?」
胸?云われて自分の胸を振り返る。霊体の俺の胸の中に、ソフトボール位の大きさの光る玉がある。え、なにこれ?
「それは『玉』です」
「ギョク?」
「輪廻転生の最終段階に入った、ごく一部の魂に宿る、光の玉のことです」
もしかして、霊の奴が俺の胸から取り出そうとしていたのは、これなのか?「ええ。誰もが持っている訳ではありません。輪廻転生において、高い徳を積んだ魂に宿るものです。それがあれば、輪廻の浄化や審判を待たず、天界の扉を開けることが出来ます。天界へ直通の、マスターキーのようなもので」
「要は、レア・アイティム?」
「ええ。最強の」
「なんで、俺に?」
「高い徳を積んだ者に宿る、そう云いましたよ」
過去の俺は、偉業でも成し遂げたんだろうか。
「あなたがここに来たことで、小物の霊は退散しましたが、悪質な霊障が、虎視眈々と、あなたの『玉』を狙っていました」
「さっきの、あのドロドロも?」
「ドロドロ…」
言いかけて、銀山が顔を伏せた。顔を隠して、…笑ってる?
「こちとら真剣勝負で集中している最中に、あなたのモノローグみたいな思考が流れ込んできたの。思いだしたら、私も…」
肩を小刻みに揺らして、2人して笑いをこらえている。ずるいよ、俺、真剣だったのに。
「すみません。でも、本当のところ、助かりました」
「助かった?」
「『玉』は肉体が亡くなる瞬間、霊体と共に肉体を離れます。迎えの者が手を取れば、そのまま魂の待機場所に通じる天導道に引き込まれるのですが、アレは、手を取る前の一瞬の隙をついて、あなたの霊体ごと『玉』を奪おうと目論んでいたのでしょう。
アレは地縛霊ですから、この場を動くことができません。昨夜、関わった女の悪霊は誘い水だったのかもしれません。『玉』のことをほのめかして、ここで絶命させるよう誘ったのでしょう。ですから、先に霊体を分離して、『玉』ごとあなたが奪われるのを阻止しようとしていましたが、あなたがご自身の霊体に『玉』を呼び寄せてくれたおかげで、事早く整いました」
身体が生きているのに、先に霊体だけ引き上げたのには理由があったということか。
あれ、そういえば、銀山の右手の火傷…。
「だめよ」
伸ばした手を、大和に遮られた。
「シロは…銀山は『生時計』しか駄目なのよ。『死時計』の奴に触れられたら、ほんの一瞬でも…火傷しちゃうの」
「え?何だよ、それ。お前、判ってて」
「あなたの手は、私が取りたかったんです」
助けられなくてごめんとか、火傷するのが判ってて引き上げるとか。
あんた、知ってたんだな。
俺がここで、死ぬこと。
干渉しません、と云ったのは、介入できない銀山の、精一杯の警告だった、のかな。
でも、後悔はしてない。あの状況じゃ俺は絶対、たかしくんを助ける方を選んだと思うし。それに、多分、あんたも俺がそうすると思ったんだろ?
俺の心を読んだかどうかはわからないけれど、銀山はほんの一瞬、今まで見せたことのない、穏やかな笑みをこぼした。
「あともうひとつ、お伝えしなければいけないことがあります」
銀山は緩めた口元を引き締めて、背筋を伸ばした。
「すみません。あなたの『玉』の力を少し、削ってしまいました」
「どういうこと?」
「あの時、あなたの中の光が私に注いだのを覚えていますか?」
「多分、見た」
「『玉』は魂の力そのもの。生命力であり、精神力であり、肉体に宿るときは体力を司るものです。その力は輪廻転生で得た『徳』そのものの具現化であり…」
「難しい話はいいよ。要約すると?」
「簡単にいうと、輪廻転生で得た『徳』が減った。つまり、今回で天界転生だったところが、あと2回、輪廻転生が必要になってしまいました」
な~に~!?
「『玉』の輝き自体に異変はみられません。上で精密検査をしますが、恐らく回数をこなしていただけたら、あと2回で天界転生できると思います」
こういう説明をする銀山は、無機質で嫌味ったらしい。憎らしいとさえ思う。思うけどさ。
「右手、さ」
「え?」
「その右手、この『玉』の力で、治せないかな?」
銀山の右手には、包帯が巻かれ、けれどまだ、赤いものがにじみ出ている。
「ありがとうございます。そのお気持ちだけで」
「でもさ」
「これ以上、輪廻が増えたら、『監査課』に殺されかねませんから」
耳の後ろで、不意に鐘の音が鳴りだした。
「そろそろ時間ね」
「時間?」
「次の修行へ、向かわなければならないでしょう?」
ああ、輪廻転生ってやつか。
「なぁ。最後に、ひとつだけ訊いていい?」
「なんでしょう?」
「ここにあんたが来てたのって、あの闇みたいなものを監視してたってこと?」
「ええ。…よくある地縛霊のひとつだったのですが、ある時、大きな力を手に入れたようで。封じるか狩るか、対応を検討していたのですが、なかなか決め手がなくて」
そんなヤバいものの近くに、狙われやすい俺みたいのが偶然居たって訳か…。
「偶然ではありません。子供のころ、ここへ来たでしょう?その時、目をつけられたのでしょうね。あなたがここに留まるよう、アレがいろいろ仕組んだようですよ」
それじゃ、親が俺を寺によこしたのも、就職先がどんどん閉鎖したのも?
「親御さんは本当に心配しておいででした。後者は肯定です」
そうか、それは、なんか、ほっとした。
「で、オニイチャンていってたよね?女の子が見えたんだけど、あれなに?」
「………。質問はひとつだけでは?」
「冥土の土産、だろ?」
「機密事項です」
「うわぁ、未練残る」
「どうぞご自由に」
銀山が冷めた目で失笑した。
「松本君、出ますよ」
「あ、はい。お願いします」
「シロ、あなたも一度戻りなさいよ。追跡が必要なら、怪我を治してから…」
「ええ、心得ています。一応、彼の肉体の行く末だけ、監察して行きます」「『監察課』にも連絡するわね。じゃ、お先」
「蕉のこと、よろしくお願いします」
ふわりと更に軽くなって、中空へ加速する。足元、豆粒サイズになるまで、銀山がこちらを見ているような気がしていた。
中空のある一点を過ぎると、景色は黒一色になり、さらに上空、遠くかすかに光が漏れるのが見えた。
「松本君、移動する間に、記憶の選択について説明するわ」
「あ、存じてます。現世の記憶のうち、ひとつだけ、持っていけるんですよね?」
「ったく、シロったら!戻ってきたら説教だわ」
「すみません、俺がせがんでいろいろ聞いたんで」
「まあ、それだけじゃないでしょうけど」
「え?」
「シロも『現界』の最期の生涯で、あなたと同じような亡くなり方をしているから、知恵を授けて、あなたのことを助けたかったんでしょうね」
「え?」
「あ、失言。忘れて。ところで、どの記憶を選ぶ?」
「そうですね…」
持って行きたい記憶か。ふふ、つい、失笑が漏れる。
どうしてかって。
三日月みたいな薄っぺらい口元が、不意に一瞬ゆるんだような、あいつの本音の笑顔が一番に思い浮かんだから。
翌朝5時を過ぎたころ、悪霊に取りつかれていた母親の身柄と蕉の死体をようやく警察が保護した。あまりに遅いので、警察犬を誘導してしまった。
その後のことは、『監査課』に任せた。『監査課』の由狩から受けた報告によると、とり憑かれた母親とその息子の輪廻計画に大幅修正が入ることになったとか。
僕はといえば、蕉の転生が遅延する誘因を作ったとして、始末書を書くことになった次第。まぁ、その位の処遇は甘んじて受けよう。
事件の時、目的のものをひとつ、手に入れられたのだから。
この欠片、『玉』の欠片。
あの地縛霊に目を付けたのは、この『玉』の欠片を内包していたから。
本当のところ、そういう意味で、蕉には迷惑をかけてしまったな。
ありがとう。
あなたのおかげで、藍羅の「欠片」をひとつ、回収することができた。あなたは『玉人』だから、いずれこちらでお逢いするでしょう。お詫びはまたあらためて。
「藍羅、お前のかけらは、必ず、おにいちゃんが集めるから」
【Next Episode;エピソード・ゼロ】
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