Epi;6 エピソード・ゼロ【死時計シリーズ】
「おにいちゃん、ねぇ、おに~ちゃ~ん?」
それは、まだ俺が人間だったころの話。藍羅が全寮制の中学校に入学する少し前のことだ。
「っもう、スヌーズ4回目だよ?」
「ん~」
「あ~またネトゲで夜更かし?せめて電源切りなよぅ」
タリラリ~、PCの電源が落ちる。
あれ、セーブ?オートセーブだったっけ?
「ね、おにいちゃんたら!今日は一緒に出掛けるって約束~」
頼むから布団はがさないでくれ、寒っ。
「ふふふ、おにいちゃんの胸元の光、きれいでぬくぬくするよね」
ガバッと、俺は飛び起きた。
「藍羅、お前っ、なんでっ」
「へへへ~」
「…見えてたのか」
「見えてたよ~。でもママが内緒だって云ってたからさぁ」
「ほらもう、いつまでやってるの?ご飯冷めちゃうでしょ」
階段を上がりながら、倉羅のやつが吠えている。
「ほあぁ、お姉ちゃんも来ちゃったじゃない」
「灰治、あなたもこれから一人暮らしなのにそんなんで大丈夫なの?」
「別に、何ともねぇよ」
「ともかく、二人とも早く降りてきてよね?」
姉貴が階段を下りたのを見計らって、藍羅の奴が俺に飛びついてきた。
「おにいちゃん、大好き」
「こら、藍羅。さっきの…」
「子供の頃はね、本気でおにいちゃんのお嫁さんになろうって思ってたんだから」
「お前まだガキじゃん、じゃなくて!さっきの光の話…」
「大丈夫、内緒にしてあげる。ね、灰治おにいちゃん」
俺の名は銀山灰治。後に死時計管理委員会・突然死救済係、銀山魅羅緒を名乗る、天界で最も風変わりな『玉人』、の前身である。
Mirror’s LoverS Presents
【死時計シリーズ】
Episode;6 「エピソード・ゼロ」
「こいつの姉貴、クララっていうんだぜ?おかしくね?」
俺の名前は大概、姉貴の名前とセットでいじられる。学習塾のCMで薄っすら知ってるやつにも、ガチでアニメ知ってる年上の世代にも。
「なんでハイジな訳?」
そんなの知るかよ。むしろ、倉羅って名前に違和感感じろよっていつも思うけどな。
他人には云えないけど、うちの実家は巫女さんの家系で、予知みたいな、まじないみたいな生業をしている。女にだけその能力が現れて、名前に羅生門の【羅】の字が入ることになっている。
姉貴は倉庫の倉に羅で【倉羅】、妹は藍色の藍に羅で【藍羅】、という具合だ。
俺は姉貴の年子で生まれたが、親父が酔った勢いでこの名前を付けたとか、親戚にもいじられる。
「魅羅緒センセー居る?」
だから、まぁコンプレックスみたいな感じになってて、ペンネームを決めるとき、名前に羅の字を入れた。魑魅魍魎の魅に、羅生門の羅、緒の字は一緒の緒、と書く。ホントは魅羅の筈だったが、八神先輩が
「男なら、お、って付けた方がよくね?」
と、勝手に男か夫、と付けられるところだった。阻止してくれた二宮先輩には、本当に感謝してる。
「あ、居た!魅羅緒センセー」
「センセーはやめてくださいよ、二宮先輩」
「灰治くんって呼ばれるの、嫌なくせに」
「なんか用でした?」
「そうそう、次のシナリオで相談したいことあって」
大学の演劇サークルで、脚本書きの真似事なんかしている。ゼミで一緒の八神先輩に、秘密のノートを見られたのがきっかけで。
「面白かったよ、銀山。これ何?小説のネタか何か?」
うっかり教室に置き忘れたそれを、八神先輩は熟読したらしい。
そこに書かれていたのは、魑魅魍魎の記録だった。妖怪マニア?違う違う。
一族では男は視えないことになっているんだけど、俺は視えていた。母さんはそれに気づいてて、小さいころから、絶対に周りに云うなと言い聞かせられていた。まぁ、食事制限とか変な修行とかごめんだし、その言いつけを頑なに守っていた訳だけど、視えてしまうのはしょうがない。
人間みたいなもの、動物みたいなもの、それこそ妖怪みたいなもの、よくわからない形のものもあった。いつか調べることがあればと、ノートに書きだしていた。守護霊なんかの類は、ときどきテレパシーみたいなメッセージを伝えてくることもある。でも大方は言葉が通じなくて、せめて名前くらいわかればなぁと、子供心に思ってたんだよな。
そんなメモが元になってるんで、演劇の題材は「現代社会にはびこる怪事件を解決する」話。それぞれ半端な霊能力を持っている心霊サークルの連中が、力を合わせて怪事件を解いていく推理ものだった。
小説投稿サイトでプチバズしたのがきっかけで、大学の外からも客が来るようになった。卒業後、演劇サークルは演劇集団になり、この度とうとう、劇団になった。他にも脚本担当者は居るけど、俺の書く「怪事件シリーズ」は根強い人気があって、八神先輩たちとの付き合いは随分と長くなった。大学も合わせると6年になる。
それは劇団立ち上げ公演の、打ち上げパーティの夜のことだった。
「よぉ、飲んでるか?魅羅緒センセっ」
「八神先輩!だいじょぶですか?そんなに酔って…」
「ん~?大丈夫よぅ?」
「取材は?」
絡まれて困っているところ、助け舟が来る。
「終わって呑んでるのよ。っもう、すぐ出来上がっちゃうのにね」
「二宮先輩…も、顔赤いですけど?」
「あらぁ、今夜位私も酔わせてよ」
喧噪を避けて窓際に居ると、劇団メンバーがひとり、またひとりと声をかけにやって来る。
祝いの席だし、皆と騒げたらいいんだけど、賑やかな場所には集まりやすいから、少し距離を置くのが俺ルールなんだよね。
俺の目に見える不思議なものたちは、基本見えるだけか、こっちが見られているだけなんだけど、稀に、声をかけてきたり、声をかけてしまったりすることはある。
その日のそれは、人の形をしていた。
「これは何かの催しですか?」
綺麗な顔立ち。声を聴かなかったら、女の人だと思っただろう。
知らずに参加してたの?と声をかけようとして、留まった。
着物?武士のような。
そして、生きてるみたいに、気配がしっかりしていた。
母さんの言葉を借りるなら、「生きている時間軸が違う生物」というところかな。
「ああ、過去に飛ばされたようです。すみません、お声をかけて」
「あぁ、いえ」
「え」
あ、しまった。話しかけてしまった。
慌てて口をつぐんだけれど、そう悪い気配もないし、動く様子もない。
「その、…今夜は、劇団立ち上げ公演の打ち上げで」
「立ち上げの、打ち上げ?」
「ああ、えっと。お芝居の劇団を作って、初めての公演をして、その成功を祝ってパーティーしている、みたいな」
「これは、ご丁寧にありがとうございます」
会話は沈黙。パーティ会場の喧騒が耳に痛い。
「過去にとばされた、とか言ってたよね?」
「…。私が願ってしまったせいかもしれません」
「願った?」
「間に合わなかったのです」
「はい?」
「間に合わなかったことをお詫びしたいと思ったのですが、それでまさか過去にとばされるとは」
「訳わかんないんだけど」
「あ、すみません。時間がずれるようです」
は?時間がずれる?振り返ったけれど、既に姿はない。またひとつ、ネタが出来たと思えばいいのか、腑に落ちない、6月の夜の出来事だった。
それから半年が過ぎた。年の瀬は嫌なことがいっぱいだ。来年の計画がどうとか、一番嫌なのが確定申告の準備。去年は領収書が足りなくて、再発行に奔走したり、大変な思いをした。今年はきっちり集めたけど、計算とか考えると頭が重い。
「私は、手伝わないわよ?」
「え~?手伝ってよ」
「私はハウスキーパーでもないし、社員さんでもない」
オフィス兼自宅の2Kに、姉貴の倉羅は週に2度はやってくる。実家の跡継ぎが藍羅に決まったので、姉貴は多少暇があるらしい。破天荒な職業の俺が実家の恥にならないかどうか、親父が監視によこしているようなものだ。
「ポストいっぱいだったわよ?あら、これも魅羅緒先生。こっちも魅羅緒先生。…そろそろ本気で作家デビューとか考えてもいいんじゃない?」
「いやだ、面倒」
「人様からお金もらってるんだし、いい加減覚悟決めなさいよ」
「そっちより、本業の方が稼いでる」
倉羅の表情が一気に不審気になる。
「怪しい便利屋さんでしょ?」
「失せ物探しのプロフェッショナルと云ってくれ」
「ま、脚本家も便利屋も、怪しいか」
「巫女さんの方がよっぽど怪しいけどな
倉羅が眺めていた封書を奪って、ごみ箱に投下した。
「父さんに聞かれたら勘当されるわよ?」
「もう半分勘当されてるようなもんだろ」
「家出、の間違いでしょ?最後に帰ってきたのいつだっけ?」
「ん~。ここの契約の時、保証人のサインもらいに行ったのが最後かな」
「あんたは男だから、家の儀式とか、確かに関係ないかもしれないけど。たまには母さんに顔見せに帰って来なさいよ」
その母さんから、帰って来るなって云われてるんだけどな。
詳しいことは聞いてないけど、帰って来るなら藍羅と時期をずらせと云われている。
最近、胸に違和感があるから、相談に行った方がいいのかちょっと悩んでる。
「灰治、ね、聞いてる?」
胸の違和感。俺の胸の中に、ソフトボール位の大きさの光る玉が埋まっている。もちろん、物理的なものではなくて、霊的な何かだろう。この玉のことも、一族の誰にも秘密にしている。今考えれば藍羅にこれが視えたのは、倉羅より藍羅の方が能力が高かった、ということになるんだろうか。
これもただここに存在するだけで、何か悪さをする訳じゃなかった。
気になりだしたのは、ほんの数日前から。前より熱くなってるような気がする。古くなったスマホの電池みたいに。
だーだーだーだだだーだだだー…
「うわっ」
「何?スマホ?」
「親父専用着信音」
俺にとって、親父はダースベーダーみたいなものだ。真っ黒で中身が見えない怖さっていうか。
「ちょ、出なさいよ」
「わかってるよ、…はい?」
『どこだ?』
うわ、痛いくらいの不機嫌な声。
「うちだけど?」
『倉羅は居るか?』
はぁ?
「いるけど。…倉羅に用ならそっちにかけろよ」
『倉羅のはこっちで鳴った』
「ったくぅ。倉羅、またスマホ忘れて…」
『それはいい』
「ん?」
『二人ともすぐ帰って来い』
「え、なに?」
『すぐに帰ってこい。かぁさんが、…亡くなった』
「え?」
何それ?突然すぎて、頭が真っ白になった。
「寒っ…」
実家へ向かうタクシーの中で、姉貴が身体をガタガタさせている。運転手が暖房を強めてくれたが、寒気の原因は多分違うところにある。倉羅には視えないんだろか。実家を中心に魑魅魍魎の類が大渋滞を起こしている。こんな光景は初めて視た。
再びスマホに着信があった。
「藍羅か」
『おにいちゃん!』
藍羅は半泣きだった。無理もない。
「今どこだ?」
『向かってる、あと5分くらいと思う。清水さんが迎えに来てくれたの。おにいちゃんは?』
「もうすぐ着くよ。倉羅も一緒だ」
『お姉ちゃん?おうち行ってたの?』
「たまたまな。気を付けて来いよ。清水さんにもよろしくって…」
『あのね、おにいちゃん!』
「ん?」
『逢ったら、その、相談に乗ってほしいことがあるの』
「相談?」
『あのね、胸の中の…あ、後で話すね』
胸の中…、光る玉のことかな?
『じゃね』ブツッ
ちょっとひっかかったけれど、まぁ、これから逢うわけだし。
清水さんは本家の伯母上、現当主の側近だったうちの一人だ。憑いてる守護霊の霊力が強くて、あやかしものを退ける防御力が高い人だったと記憶している。次期当主に決まった藍羅を守るには相応しい人だな。
…あれ、ちょっと待った。
俺、母さんに藍羅と逢うなと云われていたけれど。
こういう場合、どうするべきなんだろう。
「藍羅、なんて?清水さん行ってくれたの?」
「みたいだな。あと5分くらいで着くって」
「そう」
姉貴は相変わらず、ガタガタ震えている。
実家が見えた。正面玄関には警察車両が何台も停まっていたので、裏口に回ることにした。
生業のことは特に公にはしてはいないが、ご近所でも一目置かれる大きな屋敷である。その外塀にびっちり、異形のモノが張り付いていた。屋敷の上空が灰色の翳りを落としていて、霊的結界に弾かれたモノが何匹か、右往左往飛んでいる。
「なんか、嫌な感じね」
姉貴にはやはり視えていないようだ。そもそも、ウチの家系は未来を詠む能力に長けているから、こういうのが視える俺が、逆におかしいのかな?
「あああ、坊ちゃん、倉羅様」
裏口には使用人の高橋さんが待ち構えていた。
「す、すみませんっ。通いの根本さんが通報してしまって」
本来なら、病死でも装っただろう。ウチのような、霊的生業の家には、説明しにくい理由の事件が起こることがある。異形のモノの仕業で命を落とした先祖の記録はたくさん残っていた。
「ともかく中へ。藍羅さまもじきに」
「さっき電話で話しました。…どんな感じですか?」
「旦那様が外にご用事でご不在でした。悲鳴が聞こえて庭に向かうと、奥様が大量の血を流してうつ伏せに倒れていらして。旦那様にお知らせしている間に根本さんが警察に連絡してしまいまいて」
またひとつ、警察車両のサイレンが近づいてきた。
「本当に申し訳ございません」
「いえ、お手間をおかけします」
「今は旦那様が警察の現場検証に立ち会っていらっしゃいます。坊ちゃま達は一度母屋の客間の方でお待ちを、と申し使っております」
無言で震える倉羅の手を引き、離れから渡殿へ向かう。庭木の向こう側に遠く、多数の警察関係者が見える。恐らくその眼下に、母が居るのだろう。
その直上に、黒い影が数体、浮遊していた。え、結界を越えて敷地内に入ったモノがいるのか?
「やだ、なに?」
姉貴が腕にしがみつく。
「変な影が居る」
俺の目には、宙に浮かぶ6人の落ち武者風のモノが視えている。全員刀を抜いていて、刀先には血がしたたっていた。頭蓋骨が黒ずんだような首が乗っている。
目があった?背筋が震えた。
「いやぁっ」
「倉羅?」
『読ミ間違エタ…』
なん、だ?
『藍羅ト逢ッテハイケナイ…』
倉羅、じゃない?これは…母さん?
『玉ガ弾ケテシマウ』
「おにいちゃん!」
運命は考える間を与えることなく、急速回転した。
藍羅は既に目の前に居り、目が逢った瞬間、互いの胸元が強烈な黄金の光を放った。
「伏せて!」
聞きなれない声が、直接脳に反響した。藍羅と俺は、ほぼ同時にしゃがんだと思う。
フタツダ、フタツモアル、フタツダ、フタツモアル
「させませんっ!」
眼の前で刀が光る。現れた何者かは、俺たちを背にして必死で刀を振っていた。1対6。先ほどの黒骸骨にがすぐそこまで来ていた。
トレ、トレ、トレ、ウバエ、トレ、ウバエ、ウバエ、ウバエ
傍らでうづくまる倉羅から、人影がはがれたように見えた。透明に透けているが、間違いなく母さんだ…。
『私はもう留まれません…』
「え?」
『まさか藍羅まで、玉持ちだったなんて…』
「母さん、なんて?」
『共鳴、波動、結界が割れる。玉を守って!』
辺りを包む黄金の光に弾かれて、母の姿が消えた。
「きゃぁ!」
数歩先で藍羅の悲鳴が上がる。声を頼りに駆け寄ろうとしたが、自分の胸からあふれる光が眩しすぎて、視界がかすむ。うずくまる倉羅につまずいた。
「危ないっ!」
俺を庇って飛び込んでくるその顔には見覚えがあった。
『間に合わなかったのです』
劇団の打ち上げの日に一瞬現れて消えた、あいつだ!
真正面から次々と切りかかってくる黒武者の刀を弾いている。
「おにいちゃん!」
眩しい光のなか、可愛らしい藍羅の手が俺に伸びているように見えた。
6年ぶり、少し大人になった。その手をつかもうとしたのに。
藍羅の背後に、黒骸骨が一体。
黒い刃先が、藍羅の胸を貫いた。
パリン、と音がして、藍羅の胸にあった金色の光の玉が割れた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…
大地が沈むような感覚があった。屋敷を覆っていた結界が完全に消えている。不快な音をたてて、様々なモノが押し寄せてきた。黒骸骨だけではない、周辺に在った禍々しい存在全てが、一点に集まる。
幾百に砕けた金色のかけらを、争うように奪って、消えた。
本当に、一瞬の事だった。
周囲の者には、何が起こったのか、視えなかっただろう。
俺に手を伸ばした藍羅が、胸から血を噴き出して倒れる姿しか見えなかっただろう。
何が、どうなっている?
音が消えた空間で、俺は仰向けに倒れていて、胸の上に藍羅の頭のてっぺんが見える。
胸が熱い。締め付けられるように、熱い。
「玉を一度お取り出しください」
傍らにたたずむ長髪の男は、勢いよく跪き、俺をのぞき込んでいた。
「お早く!胸の中にお仕舞いになっている、玉を」
玉?光の玉のことか?
だけどこれは、絶対に出すなと母さんに云われていて。
「時間は止まり、空間は独立しています。危険はありません」
よく見ると、男は身なりがあちこち切り裂けていて、血も流しているようだった。
「魂の器が壊れてしまいます、さぁ、お早く!」
魂の器?またわからないことを云う。
この男を信用していいのか、けど、胸が熱くて苦しいのは確かだ。
意識を集中する。やり方は覚えている。
取り出したそれは、以前より大きく、手のひらをはみ出すほどの大きさになっていた。
「はぁぁぁぁぁ!まさか。光の玉人様とは!」
男は傷ついた肉体を厭いもせず、地面に穴が開きそうなほどの土下座をした。
「いえ、まさか、などと、失礼な物言いを。申し訳ございません」
いや、え、あれ?胸の上に藍羅を抱いていたはずなのに、跪く男を見下ろしている。
「御身はただいま、霊体となっておられます」
「霊体?」
「現界において活動されていた人間としての身体が肉体。時間や空間に縛られず、魂と共にあり御身の本質を形取る浮遊体を霊体と申します」
そう、まるで幽体離脱、というやつだ。足元に仰向けに倒れる俺と、重なるように倒れる藍羅が見える。あれ、もしかして俺、死んだのかな。
「厳密にはまだ。時間が止まったようなので」
時間が止まっている、かどうかは分からないが、景色がモノクロで、微動だにしなかった。俺の肉体の頭上の方向、少し離れて倉羅がうずくまっている。その先に恐怖の形相で腰を抜かした高橋さんがおり、母屋に向かう廊下、壁、その向こうの庭に至るまで白黒だ。
呆然としていると、手のひらに乗せていた光の玉の熱が冷めて、俺の胸…、正確には俺の霊体の胸に戻っていった。
手毬「ひとまず、安心でございます」
安心?何が?
この状況はなんだ?藍羅が化けものに刺されて。いっぱい血が流れて!
「どうかお心をお鎮めください。玉がっ…」
男は一度上げた顔を、再び地面にこすりつけた。
………、こいつは、誰なんだろう?
「この度、玉人様のお渡りの介添えを任されました、手毬と申します」
名前が、手毬?なのか?え~と、この状況はどう理解したらいいんだろう。
「どこからご説明差し上げたらよろしいのか…」
というか、さっきから考えていることが読まれているような気がする。
「いえ、玉人様の強いご思念がわたくしどもに伝わってくるのです」
その、玉人様って、俺のこと?
「左様でございます。光の玉人様」
全然わからないな。母さんが亡くなったから帰って来いって、親父に呼び出されたんだ。
「母上様は、玉人をお二人輩出された功績で、輪廻を完了し、天界にお渡りのご予定でございましたが、6人衆の手にかかり、徳の一部を失い、お渡りの機会を逃したようです。輪廻の輪から逸脱することはなく、次の転生の準備に入られたようですが」
ちょっと待ってくれ。転生?輪廻?そもそも事の背景がわかっていないような気がする。
「玉人様は、魂が生まれ変わりを繰り返すことはご存じですか?」
いや、知らない。
「かしこまりました。わたくしどもの知る限りではございますが、ご説明させていただきます。
現在、玉人様がおわすこの世界が、『現界』現実の現、世界の界と書きまして『現界』でございます。
我々の本質である魂という存在は、本来『天界』に生まれるはずでしたが、遥か昔のある時点から、魂に穢れが混じるようになり、ひとつの穢れがいくつもの魂に広がり、天界そのものを汚すようになったそうです。そのため、魂を仮の器『肉体』に宿し、この『現界』で、時間や能力が制限された状態で魂の浄化を図る輪廻転生システムが誕生しました」
魂を浄化するシステム?
「『現界』で徳を積むことにより、魂の穢れを払うことができますが、魂が天界の門をくぐるためには定められた量の徳を積む必要があります。穢れには個体差がありますが、人間としての一度の生涯で徳を積み切るものは少なく、生まれ変わりを数度繰り返すのが定石です」
何度か転生を繰り返す、ってこと?
「はい」
たまに、前世の記憶がある人とか、いるよね?
「それも個体差かと。本来は生まれ変わる際に記憶は失われます」
徳を積む、というのは?
「徳、は『他の存在に感謝された量』と言い換えることができます。例えば一人の人からとても大きな感謝をいただくこともありますし、大勢の方から、少しずついただくこともありましょう。人以外の存在から感謝されることも徳になります。植物や動物を育てる、環境整備をする、後世に書物や教えを残す、査定は様々ございます」
じゃ、天界は?天国ってこと?
「約束された永遠の地。魂の帰る場所でございます」
そこは、なんか抽象的だな。
「申し訳ございません。私は修行中の身で、まだ到達しておりませんので」
あれ?手毬、さんは、いま、人間、ではないよね?生まれ変わりの途中?
手毬「いえ、私は『未完人』でございます」
みかん?
「輪廻転生は、永遠に行える訳ではなく、期間が限られています。その間に徳を積み切ることができなかった者を、未完成の人、未完人、と呼称します。足りない徳を埋めるため、仮の肉体を得て、『現界』と『空居』の狭間で『天界』の指示する様々な仕事をこなします」
くうきょ?
「空に住居の居と書いて『空居』です。『空居』はわたくし共『未完人』の待機場所であり、輪廻転生を待つ魂の待機場所でもあります」
知らないワードが多すぎで、頭が混乱してくる。
整理すると。
彼のいうところの世界は『天界』『現界』『空居』の3層に分かれていて、浄化された魂が『天界』に居り、浄化されてない穢れ?ている魂が『現界』で徳を積むという修行みたいなことをしていて、一生涯では穢れを落としきれないので、輪廻転生システムに則って何度か生まれ変わりコツコツと徳を積んでいる。で、『未完人』といわれる人は修行が延長戦に入っていて、『天界』の指示する仕事をしている。
そして、手毬さんは、ここで起こる騒動に派遣されてきた、みたいな感じ、だろうか
「私が受けた使命は、6人衆の追跡と、そこで起こるとされるお渡りの介添えでございました」
追跡…?成敗とか、解決、じゃなくて?
「すみません、私に力がないばかりに、お役に立てず」
あ、そういうつもりで、云ったんじゃなかったんだけど。
手毬さんは、肩を震わせて、更に深く頭を垂れた。
まず、落ち着こう。
改めて、周りを見渡す。
時間が止まっていると云っていたな。藍羅が刺された、その瞬間で止まっている、のか?
「詳細はわたくしにも判りませんが、恐らく、玉人様のお力かと」
え、俺の?
「あなた様は、光の玉人様でございますから」
その辺りの理屈は、俺にわかる由もない。
わからないといえば、時間が止まる前のことだけど、母さんが姉貴に乗り移ってたみたいに見えたんだ。
「母上様は既に、輪廻転生の輪に旅立たれておられます。その直前に、なにか言霊をお残しになったんでしょうか?」
確か
「読ミ間違エタ」
「玉ガ弾ケテシマウ」
「まさか藍羅まで、玉持ちだったなんて…」
「共鳴、波動で結界が割れる。玉を守って!」
藍羅の胸で、パリンと音がしたような気がする。
「藍羅様…妹君様の玉は…」
手毬さんは言葉を切って視線を落とした。
「藍羅様の玉は、6人衆の手にかかり、砕けてしまいました」
6人衆って、あの骸骨頭の奴らか?
「あれらは『流浪人』。輪廻転生の輪から外れて魂の浄化が行えず、『現界』を彷徨い、健常な魂をつけ狙う悪しき存在にございます」
また、新しい言葉。
「転生の輪から逸脱したものは、他の魂の徳を奪い集めて、天の門をくぐろうとします。無論、自ら積んだ徳でなければ門はくぐれないのですが、『流浪人』にその知識がある訳もなく。我々も、天界の命を受けて、その実態を調査、阻止するべく動いているのですが…」
時間の止まった白黒の世界に、金色の光の粒が降ってくる。
「間もなく、お渡りでございます」
お渡り?
「あなた様の『玉』は、すでに飽和されています」
この玉ってさ、何な訳?
「玉は輪廻転生の最終段階に入った、ごく一部の魂に宿る尊き存在です」
幼いころから俺の胸にあった黄金の玉。ギョク。
「誰もが持っている訳ではありません。高い徳を積んだ魂に宿る、稀有なもの。それがあれば、審判の順番を待たず、己の意思と力で、天界の扉を開けることが出来るといいます」
徳を積んで更に、審判の順番待ちがあるのか。あれ、これ、藍羅も持ってなかったか?
「はい、妹君様の玉は、生まれたばかりのご様子でした」
うまれた、ばかり?
「『玉』は過去の徳の結晶、魂に内在しております。玉人様と邂逅したことで、触発され具現化したものかと」
母さんの言葉を思い出す。
藍羅と逢ってはいけない。
共鳴の波動で結界が、割れる?
「迎えが、参ったようです」
「迎え?」
空が金色に輝いている。
「その飽和した玉では、『現界』の肉体に留まることができません」
「死ぬってこと?」
「『現界』では、そういう事になります」
「藍羅は、どうなる?」
「それは…」
「手毬!教えてくれ」
「『玉』とは『魂』と同義のもの。魂そのもの。それが砕け散り、奪われてしまいました」
「魂が砕けたってこと?」
「…はい」
魂が肉体を乗り換えて、転生を繰り返す、と云っていたよな?
その魂がなくなるって、どういうことだ?
だって俺と逢ったから、この玉が出てきたんだろう?
結界を破った悪霊がいたのに。
守らなきゃいけなかったのに。
「現世に未練を残しては」
「藍羅…」
「玉人様…」
「俺のせいで、藍羅は」
「迎えが…」
「嫌だ」
「玉人様…」
「藍羅を助けられないのか?なぁ、手毬」
「それは…」
無理を云っているんだろうな、俺。でも。
俺の、大事な妹なんだよ!
「なに?何がどうなってるの?ねえ。灰治!藍羅!目を開けて!」
最期に見た景色は、姉貴が泣き叫ぶ姿だった。
倒れた俺と、血を流す妹。母さんの変死に駆け付けたはずが、姉貴にすべてを押し付けて去って来てしまった。
母さんを殺したのは『流浪人』という『現界』で彷徨う悪霊のようなもの。
我が家では一族特有の能力を持たない男性が、結界の軸となっている。小物の霊など太刀打ちできないが、『空居』でも注意喚起される『6人衆』という黒骸骨の悪霊たち、その霊力が結界より勝っていた、という見立てになる。父の不在が、ほころびを作ってしまったのかもしれない。
そして、俺と逢ったことで、藍羅の玉が具現化してしまった。
母さんは読み違えた、まさか藍羅も玉持ちだったなんて、と云った。
つまり、母さんは俺が持っている『玉』が何ものであるかを知っていて、その力が露見しないよう周囲に知らせなかったということになるだろうか。未来の時間軸で、俺と逢う時、藍羅が危機的状況になることのみを読んでいた可能性が示唆される。その予知が曖昧なものだったのは、母さんの現界での生が尽きた後の出来事だったから、なのかもしれない。
そうして、玉と玉が出逢い、共鳴した波動で、屋敷の結界自体が弾けてしまった。
6人衆の所業を嗅ぎつけて屋敷周辺に溜まっていた霊たちが、ここぞとばかり、砕けた玉の欠片に群がり、持ち去ってしまった。
せめて、守護役の清水さんが藍羅の傍にいたらとか、母さんにもっと詳しく玉のことを聞いていたらとか、俺が玉の存在を隠さず修行をしていたらとか、考え出すときりがない。
解き明かしたところで、過去の話。
そう、もう遥か昔の話。
意識が覚めた時には、見知らぬ森のようなところに居た。
そこは深い緑に覆われた分厚い霊気に包まれて澄んでいて、邪な思いなど、すぐに食い尽くされてしまうほど、静寂だった。
最期の輪廻の記憶に微睡みながら、どれくらいの時間が過ぎただろう。
俺の願いは採択されず、魂は天界に接収されてしまった。
俺の積んだ徳とやらは大層なもので、ときに人を統べ、ときに自然界の仕組みを解き明かし、ときに書物を残し、現界の多くの生命に恩恵を与えた。
その最後の生が灰治、という個体。
徳を積み、輪廻転生の終焉に近づいたものには、目に見えないはずのものも見えるという。
まして玉持ちであれば、現界の制限を超え、いろいろ見聞きできたようだ。
それでも、藍羅は護れなかった。
最後の輪廻が、俺の魂に楔を打つ。手毬は未練といったな。いや、無念かな。
「シロ様」
「手毬か」
「はい。お傍に賜っても?」
「いいよ」
「御意に」
大きな霊木の根本に引きこもる俺のもとに、手毬は毎日、何かを運んでくる。
食べなくても、眠らなくても、この世界では平気らしい。
それでも魂は、食することを好む。眠りを貪ることに幸福を得る。音楽を奏し、天の花を降らせ、瓔珞をなびかせて、空に飛行する。魂が求める永遠とは、安寧とは、いったい何モノなのだろう。
「手毬様が来た、手毬様が来た」
「待ちぼうけの玉人様に、手毬様が来た」
「手毬様は今日もお世話さまです」
「シロ様のお世話さまです」
「手毬様はシロ様が好き」
「シロ様が好き、大好き」
「ほら、お前たちはひばりでも追いかけておいで」
手毬の綺麗な指先が、俺の木に群がる霞人を優しくはらっている。
ただそこに在るだけの俺に、手毬は心おきなく尽くしてくれている。
長く伸びた髪をすいたり結ったり、頬に朝露の雫を落として潤わせたり、美しい花を摘んできて飾ったり、手をさすって温めたり。
「シロ様」
玉人様、という呼び方が嫌いだと云ったら、手毬がそう呼ぶようになった。
銀山の「シロ」、何にも染まらない「シロ」、始まりの色「シロ」
あるいは、眩い光の源。
「何を、お考えですか?」
「お前も、せっかく天人になれたのだから、お前の好きなことをすればいい」
「ご一緒するのはご迷惑ですか?」
「そんなことは、ない」
「ではお傍にお許しを。シロ様のお傍にお許しいただくのが、私の望みですから」
望み、か。俺は何を望もう。
過去に囚われ、虚無に過ごすこの時間も、永遠の中では、瞬きの間にも満たないだろう。
無為に過ごす時間を選んだわけでもないが、何の選択肢もないのだ。
「玉人様は、最も自由な天人といわれております」
「自由な天人」
「玉人様はそれぞれ特徴のある能力をお持ちで、その能力で天界、空居、現界の3界すべてに行き来ができます」
「ああ、それは判っている」
「シロ様が司るお力は『光』。
『光』とは、照らすもの。そして、誰よりも早く進むことができるもの。
光の速度、とは、どこまで届くのでしょう?」
「手毬?」
「私がシロ様と初めてお逢いしたのはあの時ですが、シロ様が私と初めてお逢いしたのは、それよりも過去でした。それは、私の力ではありません。天の使命でもありません。シロ様のお力だったのでは?」
出逢うはずの時間軸より前の時間軸へ移動させた。俺が、手毬を過去にさかのぼらせた?
時間、空間。現界での感覚的概念だ。
玉の力。玉人の力。
俺が司る光の力。
瞳を伏せ、玉の力に沈む。
俺の力が届くところ
光は速い。
その速度は時間をも超えるだろう。
「シロ様は、現世において、時間を止め、空間を独立されておられました」
「そうか!手毬、そういう事だ!」
魂高ぶって、思わず立ち上がったが、天人としての肉体は衰えていて、立てなかった。
「シロ様」
「はははは、済まない、手毬」
「シロ様!」
手毬が俺を抱きとめる。俺が手毬を抱きしめる。
「ありがとう。やりたいことが判った」
「いえ、私は悪い天人です」
「手毬?」
「シロ様をそそのかす、悪者です。シロ様はきっと、苦労をなされる。もっと苦しまれるかもしれません。なのに…」
「手毬は、このままの方が良かった?」
「いいえ。決して!」
「ならば、それで良かったんだ。…どうだろう、手毬。これからも、俺のことを手伝ってくれるかい?」
「御意に」
「では、早速手伝ってくれ。他の玉人達の承認を得るにはどうしたら良いか、一緒に考えよう」
「玉人様がお目覚めになったよ」
「シロ様がお目覚めお目覚め」
「時間軸を超えて」
「世界線を越えて」
「玉人様は未練の魂」
「シロ様は砕けた玉を探したもう」
「迷い人を救われる」
「迷い人が迷い人の導きを」
「ふふふふふ」
「ははははは」
「現界で輪廻転生を阻害する流浪人とは、輪廻を逸脱した魂。であれば、狩るのも結構ですが、そもそも逸脱させなければ良いとは思いませんか?」
『確かに、それは理にかなっている』
『しかし、逸脱させぬとはいかがなされる所存か』
「現界で穢れ払いをする魂には『生時計』と『死時計』が宿っています。これに着目しました」
「『生時計』と『死時計』とな」
『転生のカウントダウンのリマインダーにすぎないのでは?』
「システムとしては、誕生した時は意欲あふれるよう期待と感動を与える『生時計』を廻す、肉体の死が近づくと『死時計』に切り替えて、魂に死の準備を促す。太古の昔、人間という生物が自然と共存していた時代は、それで事が足りたのでしょう。しかし、現界の文明は予測を超えて発達し、自然死という概念が薄くなった。
過去の記録を調べましたが、流浪人の多くは『生時計』を廻す期間、不慮に死亡したものが多く見られました。無論、魂自体が望んで穢れを取り込む場合も在ります、そちらは回収係に引き続き狩っていただくとして、不慮の事故などで突然死する、それが契機で転生の輪を外れる迷子を救済することはできましょう」
『具体的にはどう介入するつもり?』
「『生時計』を廻しながら死に至る魂に、死の直前、わたくしが直接介入します」
『なんと!光の』
『自ら現界に降りるか』
「わたくしなら可能です。受肉は必要ですが、時間も空間も、操ることができますから」
『確かにそなたなら可能であろうが』
『気が遠くなるような、気の長い話だ』
「幸い、我らには時間がたくさんある。限られた生命に祝福を与えられるほどに」
『どのような介入か』
「死の直前に死を受け入れるか、生き延びる努力をするかを問います」
『死する魂に延命の提案と?』
「要は死を意識する時間が持てればよいのです。その機会を与えるために、九死に一生を得られるかもしれない可能性を提案します。賭けに勝てば、『死時計』を廻しながら人生を全うする、負ければ死の覚悟を持って転生に移行できる。逸脱は回避できます」
『そもそもそなたの望みは、例の玉の欠片を集めることだったのでは?』
「確かにそうですが、そちらはオプションで。無限の時間軸の中で砕けた欠片を探すなど、それこそ途方もないことで御座います。迷い子の誘導、その仕事の傍らで、ついでに捜索させていただこうとは思っていますが」
『妄執よのう』
「玉は砕け散ってなお、力を持っています。欠片の回収をすることで流浪人の増長を断つことにもなりましょう。仮に、欠片を全て回収できれば、魂の復活は成り得るものでしょうか?」
『過去にそのような記述はない』
「なるほど、前例がないのならば、試してみる余地はありましょう」
『光の気質、か』
『無限の時に散らばる欠片、見つけてみせよ』
『もし延命された場合、その先の誤差はどうする』
「そもそも私がこのことを考え付いた、ということは、神の掌の上でそれが可能ということ。念のため事前調査を行い、歴史的誤差のないものから介入しますが、その誤差も、永遠の時間軸の中では些細なことでしょう。優秀な助け手も居りますゆえ」
『お付きの天人、手毬と申したか。あれは良いのう』
『風と水、そして土の守護も受けたと聞くが』
『主人に似て、勤勉で困る』
「手毬にそう、申し伝えましょう」
『しかし、また徳を積むことになろうのう』
「私は未練の玉人。天界の笑いものとなりましょう。それを払拭するために、業を成しましょう」
『自ら、業に身を預けると』
「かないますならば」
『良かろう。玉人会はそなたの申し出を承認する』
『上に進言を許そう』
『ただし、延命の条件は、我々では定められない』
『上の領域だ』
『上の示唆を待たれよ』
かくして、その提案は、玉人会が支持する天界の一事業となった。
「あなたは、輪廻転生という概念はわかりますか?」
「よろしい。では、それをふまえてお聞きください。
これからさせていただくのは、あなたがどこからやって来て、どこへ逝くのか、というお話です。キーワードは『輪廻転生』そして、『生時計』と『死時計』。
あなたご自身は、魂という存在です。本来、天界という美しい世界に生まれるはずだったのですが、魂には幾ばくかの穢れがあり、穢れを払うまでは、天界に生まれることが出来ません。穢れを払うため、肉体をまとい、ここ、現界で何度か生まれ変わる、それが輪廻転生と呼ばれる、魂の浄化システムです。
生まれ変わるたび、記憶はリセットされますが、体験や経験、功績は『徳』として上書きされていきます。
天界に転生するにはある一定の徳を積む必要があり、一度の生涯では積み切れず、何度か生まれ変わるのがセオリーです。この繰り返す転生の運営を円滑に行うため、現界に誕生するとき、魂はその中に『生時計』と『死時計』という、ふたつの時計を持って生まれてきます。
生まれた瞬間は、夢と期待を抱いて、『生時計』すなわち生きる時計、を廻し始めますが、人生のある時期、例えば病気になったり、身近な誰かの死に直面したり、何らかのきっかけで、自分がいつか死ぬ事を悟ります。死をより具体的に想定したとき、それまで廻してきた『生時計』から、死ぬまでに何を残そうかと逆算する『死時計』に切り替わります。
順当な人生ですと、『生時計』から『死時計』に切り替わり、徐々に死を受け入れ、死亡した後は次の誕生の準備をする『輪廻転生の輪』に正しく組み込まれていくのですが、稀に『生時計』を回している最中に死に直面する魂が存在します。死に対する心の準備がないまま、死に直面した魂は、死出の準備がままならず、輪廻転生の輪に戻れない、転生の迷子になってしまうケースが多いんです」
「今、一時的に時間が止まっています」
「ええ、そうです。再び時間が動き出すと、あなたは5秒後に死亡します」
「今回ご紹介するシステムなんですが、『生時計』を廻している最中に死に直面されている方への救済措置として、均しくご案内している提案です。事故を見事に回避された場合に全うされる人生のうち、一律10年をこの瞬間の2秒に換算して、お出しすることができるんですが、いかがですか?」
「死を目前にしている現状を理解したうえで、生き残る可能性をかけて、何らかのアクションを起こすことができます。かけてみますか?」
「死神ではありませんよ。魂の迷子を撲滅するために立ち上げた救済機関なんですから」
「あ、あと、このお取引が成立してもしなくても、事が済んだ暁には、わたくしとのやり取りは記憶の方から抹消させていただきますので、ご了承ください」
「申し遅れました。わたくし、死時計管理委員会、突然死救済係、銀山魅羅緒と申します」
【死時計シリーズ】
第1部 <完>