光と闇~二極化の真ん中に在るもの~【真】
光と闇~二極化の真ん中に在るもの~
というタイトルで以前記事を投稿しようとしていたのですが
未然に終わりまして。
書きかけの記事を再校してみました
シンガーソングライター
MILA/魅羅緒です。
さて、noteに登録してほぼ2か月が経ちました。
まだまだ使い方を理解しているとは云えず
さまざまな記事を拝見して廻らせていただいております。
思っていたより
分析やノウハウの記事が多いなと思いました。
収益化可能なツールということで
「簡単」「すぐ」「誰でも」
なんて言葉が安易に並んでいますね。
いろいろ痛い思いをしてきたので
猜疑心の方が先に立ってしまいますが
逆に
工夫や苦悩やありのままを書かれている
創作家の皆様の生の声
創作プロセスには大いに興味がわいております。
「創作の軸になる考え方」
その方がどんな想いで
その作品を作り上げているのか
というところに興味が沸きます。
なので自分の「創作の軸になる考え方」
を書いておこうと思いました。
よろしければお付き合いください。
自分の場合は
タイトルにも書きましたように
「二極化の真ん中に在るもの」
というのが創作の主題になっています。
『光』と『闇』
目を開けばまず飛び込んでくる可視光線。
『前』と『後ろ』
『過去』と『未来』
書き出せばいろいろな二極が溢れてきますね。
中には『赤』『白』『黄色』など
多様化したものもありますよね。
これらは『赤であるもの』『赤ではないもの』と
言い換えられなくもありませんが…
(禅問答みたいになってきましたっ)
こういう同じ属性で複数あるものは
≪状況≫として捉えていて
対極のものは≪概念≫として捉えている、というところです。
つくり手の性と申しましょうか
ヒューマンウォッチングが日常化しています。
それこそ電車で真正面に座った方の人生を
勝手に想像する、みたいな。
お疲れのようだなぁ?
このニコニコ具合はこれからデートかな?等々
着ている衣服の形、色を取っても
様々な想いが、個人情報が溢れている街
多岐に渡っているようにみえる景色も
その人にとっては
実はものすごくシンプルな選択で
『私らしいか』『私らしくないか』
その二つ~対極~が基準になっているように思います。
二極化の真ん中には常に
『わたし』が居ると思うのです。
『前』と『後ろ』があるのは
その真ん中に『わたし』がいるから。
『上』と『下』も、『右』と『左』も
『好き』と『嫌い』も
『興味』も『無関心』も
『わたし』を挟んで二極化したものが存在する
今在る位置から『わたし』が動くのはどちらの方向か
そして、動くことそのものに
物語が宿る。
というのが、わたしの創作主題となります。
私のつくる作品には
大概モデルが居ります。
自分だったり、そばに居る誰かだったり。
ときに物語の主人公だったり。
誰かが何か想いを抱き
どちらかに一歩踏み出し世界の景色が変わる
その景色を作品として映し出す
そんな風にものづくりができたらいいなぁと思いながら
曲や作品をつくっています。
MILA(女性鍵盤弾き語り)
魅羅緒(男装)
ふたつの顔で歌わせていただいていますが
MILAで光サイドを
魅羅緒で闇サイドを
概ね表現しているように思います。
根本の本質は変わらないのですが
その景色を
光サイド、闇サイド、どちらから俯瞰するか
によって雰囲気が変わっています。
MILAは生活で垣間見る自然な景色
魅羅緒は作りこんだ創作的な景色
という傾向もありますが
最終的にはどちらのキャラクターで歌いたいか
主観で分けているようにも思います。
幸い3オクターブの音域があり
男性的または女性的
双方の表現に挑戦できた、というのもあります。
(伸ばしてくださった師匠たちに感謝しかない)
よろしければ
MILA曲/魅羅緒曲
聞き比べていただけると嬉しいです。
そして。
私の周囲にいる皆まさにご忠告。
出逢ってしまったあなた!
いつか私の歌のモデルになっているかもしれませんよ?
ご注意あそばせw!
【MILA/魅羅緒】 の曲は
こちらからお聴きいただけます。