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Epi;1 スノー・バレンタイン【死時計シリーズ】

1話あらすじ

「再び時間が動き出すと、あなたは5秒後に死亡します」
そう告げた謎の男の弁によると、俺は今、交通事故に遭っている最中らしい。車にぶつかりそうなところで時は止まっていて、景色はモノクロに染まっている。周囲に居たはずの大勢の人は消えていて、事故車を含む無機物と、宙を横っ飛びしている自分の姿を中空から俯瞰ふかんしていた。俺は霊体の状態だという。
「今回ご紹介するシステムなんですが、『生時計』を廻している最中に死に直面されている方への救済措置として、ひとしくご案内している提案です」
謎の男が提案してきた「助かるかもしれない方法」は随分と暴利で不条理な条件だった。
<死時計シリーズ・全6話予定>

294文字


~Introduction~

「おかえりなさいませ、シロ様」
手毬てまりにその名で呼ばれるといつも、心がほころぶのを実感する。それに気づいているのだろう、手毬の表情がほんのりと輝きを増すのが判る。
「今回の介入はいかがでしたか?」
「そうだね、気の毒な境遇とは思ったけれど、これからはこういうケースが増えるのかもしれない」
思ったままを口にすると、手毬の綺麗な眉が外側にかすかにしなった。いつも心配をかけて申し訳ないと思う。僕の思惑を再び読み取ったか、手毬は諭すような上目遣いで僕をじっと見つめた。
「シロ様には、手毬が居ります」
「ああ、頼りにしている」
手毬の長い黒髪は、額の中央で左右に分かれていて、生まれたての卵みたいな額が艶めいて映る。男性にしては少し大きくて切れ長な瞳に滑り落ち、整った薄い唇を経て、細い顎へと結ぶ様は、すれ違う女天人たちもため息をつくたたずまいをしている。芯の通った牡丹のような所作には心洗われる。決して前には出ず、自身の功績を僕の功績とうたう謙虚さも持ち合わせていて、本当にもったいないくらいの相方だ。
この果てのない空居くうきょの中で、しるべとなるもの。
戻れる場所がある有難さ。
手毬が僕にくれる様々な物々。
「お休みに?」
慈しみに満ちた瞳で、手毬が問うてくる。
「いや、次に行こう。情報をくれるかい?」
表情に一瞬、「おやすみになられませんと」という言霊が垣間見えたが。
「かしこまりました」
手毬は手に持っていた黒ファイルの束から、ひとつを取り出して僕に差し出した。
「時系列区分β-043756、西暦2015年2月14日、日本です」
「日本、か。了解した」
僕は黒いロングコートの裾をひるがえし、宙空に招き寄せた光の壁に向き直った。
手毬は目前に廻り込んで、空いた右手でコートの襟や胸元のネクタイを整えてくれた。
「お気をつけて」
「行ってくる」
光の壁は、いわば異空間転移の入口で出口。
壁を抜けた先は、変わらずのモノクロ世界が広がる。時間が止まっている。戸惑う対象者が僕に罵声を浴びせるだろう。
今回のケースは交通事故、32歳、男性。
「今、一時的に時間が止まっていますが、動き出すと、あなたは5秒後に死にます」
無機質に。冷静に。決して相手に同情せずに。
「今回ご紹介するシステムですが、『生時計』を廻している最中に死に直面されている方への救済措置として、ひとしくご案内している提案です。事故を見事に回避された場合にまっとうしる人生のうち、一律10年をこの瞬間の2秒に換算して、お出しすることができるんですが、いかがですか?」
ああ、いけない。自己紹介を忘れていた。
「申し遅れました。わたくし、死時計管理委員会・突然死救済係の銀山しろやま魅羅緒と申します」


Mirror's LoverS Presents
【死時計シリーズ】
Episode;1 「スノー・バレンタイン」


古い建物の冬は、局所局所に冷気の溜まる場所がある。暖房器具のない昼下がりの給湯室もそのひとつ。電気ケトルが湯気を上げている。昭和の名残か、さびれたアパート風の流しがあるが、かつて冷蔵庫が置かれていた壁のくぼみにはコーヒー・ココアの自動販売機が居座っていた。
「うわ、どうしたんですか、こんなところで」
手をさすりながら暖かい飲み物を物色に来た園田は、待ち構えたようにそこに潜んでいたお局事務員、岡本に捕まってしまった。
「園田さん、聞きたいことがあるんだけど」
「はぁ」
「園田さん、香川課長とは長いんでしょ?」
「はぁ、まあ。入職の時からお世話になってますけど」
「じゃぁ聞くけど、課長さんって、甘いもの苦手なの?」
何を聞かれるのかと心を強く構えた園田だったが、頭に疑問符しか浮かばない質問に戸惑いを隠せなかった。
「はぁ?え…そんなことないと思いますけど、なんで?」
「あ、ほら、女子職員で~、有志で~、義理チョコ準備してるところ、ばっちり見られちゃったんだけど~」
「あ、ああ、チョコ…」
暦は2月。確かに街も騒ぎ出している。
てか、仕事しろよ、岡本さん…。
「課長さん、自分のは用意しないでくれって」
「え?」
「あ!大丈夫よ、園田さんのも!あ・る・か・ら♡」
「いっや~、…そ、そうですか…、どもっ」
「でも、そっか。苦手な訳じゃないんだ。じゃぁなんでなんだろう?」
「バレンタイン…、あぁ、あれかな?」
立ちはだかる岡本女史を緩やかに交わし、園田はコーヒー自販機にたどり着いた。
「え、なになに?」
「あ~、いや、あんまり人に言っていいことなのかどうなのか…」
「え、なになに?気になるんだけどっ」
「まぁ、知ってる人は知ってるんですけどね、…多分、あの事故のせいかなって」
「えっ!事故?事故ってなに?」
「ん~、何年前だったかな?あの交通事故…」
「ええっ⁉交通事故⁉」
「あ、はい、課長が係長だったときのことなんですけど…」
岡本は、暖かいカフェオレのボタンを押した。


街は賑わっていた。クリスマス程じゃないが、景色が赤やピンクで飾り立てられていて、なんとなく甘い匂いがする。好きか嫌いかでいえば、こういう雰囲気はあまり好きじゃない。
時刻は午後6時47分。俺の仕事終わりが遅いから、待ち合わせは大抵このくらいの時間になる。
にしても、寒いな。あ、降ってきた。
『コウくん、聞こえてる?』
雑踏の中でも、友子の声はよく聞こえる。
『コウくん?』
「聞こえてるよ、雪、降ってきた」
『あ、ほんとだ。降るかもって予報だったけど』
「降るっていっても、1センチとかだろ?」
『空ばっか見てて転ばないでよ?でね、みずほアーケードの次の角を右に曲がって』
「場所はわかってるよ。仕事がちょっと押しただけで」
『それも見越して19時予約にしたのにぃ』
「ごめんって」
『急ぎなさいよぅ、ラガーマン』
「へいへい」
『へいじゃなくてはいっ!』
友子のイベント好きには、ほとほと振り回されている。こだわりすぎっていうか、ちょっとかったるい。
俺はスマホを耳に当てながら、まばらに混みだした歩道を小走りに移動していた。駅近くの繁華街からバイパスに向けて大きな弧を描く道路の終着点辺りで、みずほアーケードへは角あと2つ、約束の時間にはギリギリかと思う。
「こら、さっちゃん!待ちなさいっ!」
母親の静止を聞かず、女の子がこっちに向かって走って来た。5歳くらいだろうか。仕事帰りの母親と商店街で買い物を済ませた後、みたいな感じだ。
ファンファ~ン…
耳障りなクラクションが身近で鳴ったかと思うと、ガードレールすれすれにハンドルを切る乗用車が猛スピードで通り過ぎた。その後に視界に入ってくる信じられない光景。あり得ない速度のワゴン車がこっちに突っ込んでくる?
一瞬のことだった。
キキキキキキィッッッ!
行き交う自動車の音が木霊して、はるか後方に消えた。
目の前は真っ暗になって、けれど徐々に明るさを取り戻していた。
黒い水たまりが見えた。星か、雪か、白いポツポツが反射していて、端にモノクロの信号機が映り込んでいる。
カッチ、コッチ、カッチ、コッチ…
二重にも三重にも反響する、時計の針の音。
「こんばんは」
反響する秒針の音に交じって、空気を多めに含む中低音のイケボがモノラルで聞こえた。
誰?
「こんばんは~」
二度目のイケボは薄気味悪いくらい透き通る声で、吐息の気配も感じる。
「聞こえていらっしゃいますか?」
聞こえてはいる。が、振り返ることができない。
動きたくても動けないない、何がどうなっている?
「災難でしたね」
なんだ?誰だよ、お前。
「人に名を尋ねる時はまずご自分から、…なんてセオリーの台詞を吐きたいところですが」
気持ちわるい。針の反響音のせいで、車酔いみたいに気持ち悪い。イケボもイケボ過ぎて気持ち悪い。なんていうか、作り物みたいな、死神のささやきみたいな…。
「ひどいなぁ、死神だなんて」
え?なんで?俺の考えていること…。
「読ませていただいております。これもお仕事なので」
誰かの手が右肩に触れた。冷たい、手だ。
途端に、俺の体はうつぶせのまま地面に放り出された。例えるなら、相手のフォワードをブロックしようとして、かわされて勢い殺せず転げ落ちたような。同時に針の反響音が止まった。
「おや、派手に飛びましたね」
さっきから何だよ⁉誰だか知らないが、まだ俺のことを馬鹿にするつもりか?
「いえ、そんなつもりはありませんよ」
声は頭上から降ってきていた。地面にうずくまる体を起こして、まずは身なりを見回してみる。頭から派手に吹っ飛んだ割には、どこも痛くない。アスファルトに勢いよくスライディングしたんだ、肘でも顔でも、すりむいていそうなものだが。
「割と冷静ですね。さすが、屈指の元ラガーマン」
なんだ、こいつ。そんなことまで…。
「ええ、存じていますよ、香川幸司さん、32歳、独身。中高ラグビー部で全国大会出場経験あり、大学はスポーツ奨学生。卒業後はラグビーチームのある大手建設会社に就職し、2年前地元でもあるこの街の支店に転属となり係長勤務」
傍らには、黒いロングコートに身を包んだインテリメガネの男が立っていた。
すらりと細身で、身の丈は俺より少し小さいくらいか。黒い髪、黒いシャツ、黒光りする革靴…、薄暗い景色に溶けて、色白の顔が怪しげに浮き出て見える。ネクタイは銀色を帯びた灰色、両手に白い手袋をはめていて、右手の人差し指でメガネの中央を押し上げ、左の小脇に黒いファイルのようなものを抱えている。
「大丈夫ですか?」
手を差し出されたが、その手をつかむのは、なんか嫌だった。
ゆっくり立ち上がる。やはり、どこも痛くない。
「あなたは今、実体ではありませんから」
「実体、じゃない?」
「派手にぶつかったように感じたかもしれませんが、それは魂が感じた感覚…いや、錯覚のようなものです」
改めて見回すと、自分とインテリメガネ以外に動くものの気配はなく、周囲の景色すべてが白黒だった。交差点、信号機、車、何もかも。
傍らのインテリメガネは、薄笑いを浮かべている。
「いえ、こういう顔付きなので」
右手がまた、神経質そうに、メガネを押し上げた。
「死神だの、インテリメガネだの、さんざんな言いわれようですね」
メガネの下で見開く瞳は、灰色に似た紫色だった。顔のつくりも、まあまあ悪くない。
「申し遅れました、わたくし、死時計管理委員会・突然死救済係の、銀山しろやま魅羅緒と申します」
「は?」
「はい、死時計管理委員会・突然死救済係、の銀山しろやまです」
「え、しど…え?」
あ~、ちょっとわからない。何かの勧誘?
「おそらく、現状についてさっぱりお分かりでないと思いますので端折はしょってご説明しますと、香川さん、あなたは今、交通事故に巻き込まれている最中なんですよ」
記憶の中で、クラクションが木霊する。
急ブレーキと、悲鳴。
「え?」
「ほら、こちらをご覧ください。ここにあなたがいるでしょう?」
インテリメガネが指した先に、白黒に透けたワゴン車の前で、中空で横っ飛びしている俺がいた。
「思い出していただけましたか?」
思い出した。
友子と待ち合わせした場所に向かっていたんだ。向かいから走ってきた女の子目がけて、ワゴン車が迫って来ていて、とっさに飛び込んで…。
その瞬間を切り取ったような景色。
なぜ、俺はそれを外から見ているんだ?
嫌な発想が頭をよぎる。
このメガネは、やっぱり悪魔か死神か?
「ですから、死時計管理委員会・突然死救済係だと申しておりますのに」
「だから、さ、それ、なんなんだよっ!」
「よかった、それをお待ちしてました」
「お前っ」
「香川さん、とても冷静に分析されているようで、全然核心に近づかないので、どうお話を切り出そうか、あせってしまいましたよ」
焦っているようには見えないが?
「やはり、冷静ですよね」
「だから俺の心読むのやめろよ~。説明してくれ」
「すみません。ですが、大概の方は極度に取り乱されて会話にならないので、香川さんのご様子が冷静と感じているのは本心なんですよ」
それはそうだろう。目の前で唯一動く男は不気味だし、何もかもが突然すぎて、呑み込めない。
「では、ご説明させていただきます」
メガネ、こと銀山しろやまが深々と一礼した。
「香川さん、あなたは、輪廻転生という概念はわかりますか?」
「はぁ?」
なんだ、いきなり。
「輪廻転生、です」
「生まれ変わり、とか、そういうやつ…?」
「まぁ、そんな感じです。それをふまえてお聞きください」
わざとらしい咳払いが聞こえる。
「あなたが今、生きていらっしゃる世界のことを『現界ゲンカイ』といいます。現世の世界、という意味ですが、この世界で生きる時間は限られていて、いずれ『天界テンカイ』、天上の世界に戻られることになります」
「あの世、ってことか?」
「おおむね、そのご理解で大丈夫です」
「はぁ」
「今、見て、聞いて、考えている、あなた自身は魂という存在です。本来であれば、天界テンカイに産み落とされる筈だったのですが、魂は誕生時にそれぞれ、少しのけがれを持っていて、そのまま生まれると清浄な天界を乱してしまいます。そのため、肉体というケースに入れられて、現界ゲンカイで魂を浄化することになっているのです。肉体と魂の寿命には差異がありまして、肉体が稼働し得る一度の生涯では穢|《けが》れを払いきれないので、生まれ変わりという形で数回、現世に誕生するのが一般的となっています」
「それが、輪廻転生、ってこと?」
「おおむね、そのご理解で大丈夫です」
いちいちひっかかる言い方だな。まぁ、生まれ変わりとか、前世の記憶とか云われても、映画とか漫画の世界の話だよなぁ。
「転生の度、記憶はリセットされますが、ひとつの生涯で得た経験値は、次に生まれ変わる時、どんどん上書きされていきます。わたくし共の業界ではこれを『トクを積む』と表現しますが、経験値、すなわち『徳』が一定値まで満たされると、最終的に天界に転生致します。
この輪廻転生の運営を円滑に行うため、現界に誕生するとき、魂はその中に『生時計せいどけい』と『死時計しどけい』という、ふたつの時計を持って生まれてきます」
なんだか、ややこしくなってきた…。
「生まれた瞬間は、夢と期待を抱いて、『生時計』すなわち生きる時計、を廻し始めますが、人生のある時期、例えば病気になったり、身近な誰かの死に直面したり、何らかのきっかけで、自分がいつか死ぬ事を悟ります。死をより具体的に想定したとき、それまで廻してきた『生時計』から、自分が死ぬまでに何を残そうかと逆算する『死時計』に切り替わります。おおむねの人生では、切り替わってから実際に死亡するまで、数年ないし数十年を経るので、徐々に死を受け入れ、死亡した後は次の誕生の準備をする『輪廻転生のサイクル』に正しく組み込まれていくのですが、まれに『生時計』を回している最中に死に直面する魂が存在します。死に対する心の準備がないまま死に直面した魂は、死出の準備がままならず、輪廻転生のサイクルに戻れない、転生の迷子になってしまうケースがあるのです」
死に対する心の準備がないまま、死に直面する?
「つまり、俺がそれだと」
「はい」
銀山しろやまは、見事な営業スマイルで俺を見ていた。
説明されたことを自分の中で反芻はんすうしてみるが、やっぱり映画か漫画のような感覚しかない。でも、死の覚悟、という意味では納得できる。両親は健在だし、身の回りで亡くなった人がいなかった訳じゃないけれど、いつか死ぬと知っていてもそれは漠然とした感覚で、自分事として真剣に考えたことはなかったと思う。
「今、一時的に時間が止まっています」
「時間が止まっている?」
「ええ」
「その、俺は今、幽霊みたいなもの?」
「肉体から抜け出た霊体れいたいの状態ですね」
「じゃぁこの後、…死ぬ、のか…」
「再び時間が動き出すと、あなたは5秒後に死亡します」
ああ、なんてことだ!転生?待ってくれよ、まだ、やり残した事がある!
「そう、そのように、未練があると、転生の迷子になりやすいのです。そこで、それを回避するために、わたくしども、死時計管理委員会・突然死救済係が存在します」
「え、じゃぁ俺、助かるんですか?」
「それは、あなた次第です」
「俺、次第?」
「流石にね、手放しではい、助かりました、という訳にはいかないんですよ。事故にう方、わない方で寿命に不公平が生じてしまいますから」
「え?じゃぁどうすれば」
「例えばの話、仮にあと2秒、余分に動くことができたら。…そうですね、一歩余分に向こう側に飛んで助かりそうだな、とか、そんな風にお考えになったりします?」
どういうことだ?確かに、今時間が止まっているとして、こいつが言う通り、あと1歩飛べれば、暴走ワゴンの進路から外れる可能性は十分にある。現役を退いて2年たつが、俺の脚ならイケるだろう。
あれ、あの子はどうしたんだっけ?女の子。
今見えている景色には、俺とこいつ、2人しか居ない。他の奴は見えないってことか?多分、手の届くところに居たはずだ。一緒に飛べば、多分…。
「今回ご紹介するシステムなんですが、『生時計』を廻している最中に死に直面されている方への救済措置として、ひとしくご案内している提案です。事故を見事に回避された場合にまっとうしる人生のうち、一律10年をこの瞬間の2秒に換算してお出しすることができるんですが、いかがですか?」
「は?10年を2秒?」
なにその比率!
「比率に関しましては、わたくしどもの上の者が算出したものなので。この瞬間を逃しますと、あと5秒な訳ですし」
寿命と引き換えなんて、やっぱり死神じゃないか!
「いえ、その寿命は我々が搾取さくしゅするわけではなくて、あなた自身があなたの判断で、寿命の預金を引き出すようなものなんですよ」
にしたって、暴利すぎないか?救いの手を差しのべるフリして、谷底に突き落とすような。
「お返事は急ぎません。十二分にお考えになってください」
考える、考えるったって。事故はもう起きてしまっているから、回避できるかどうかだ。
現場の状況をじっくりと見る。
「なぁ」
「はい」
「時間が動き出したら5秒後に死ぬ、んだよな?」
「はい」
ワゴン車との距離はギリ1メートルくらい。車体が傾いているから、ハンドルは左にきっている、よな?で、俺の飛び込んだ方向がこの角度だから…。
「俺、どうやって死ぬ予定、なんだろう?」
「それはお答えしかねます」
「え、教えてくれないの?」
「あくまで5秒後、それだけです」
そこまでサービスしないってか?
「あと、このお取引が成立してもしなくても、生還されたあかつきには、わたくしとのやり取りは記憶の方から抹消させていただきますので、ご了承ください」
チャンスをモノにできるかは俺次第、ということか。
現場を見つめて、見つめて。
集中しなきゃいけないのに、いろんなことが脳裏に浮かぶ。
仕事のこと、家族のこと、友子のこと。これが走馬灯そうまとうってやつか?
いやいやいや、集中しろ、俺。じっくり考えろ。
「よし、決めた」
はなから選択肢はひとつしかなかったと思う。


「香川課長が係長だったときのことなんですけど、2月14日だったんですよ」
園田はプラスチック扉の向こうで注がれるカフェオレの様子を見ていた。
「仕事帰りに商店街向かってたらしいんですけど、…バイパス前の大曲がりの道路ありますよね、あそこで飲酒運転のワゴン車が歩道に突っ込んで来て、その時近くに居た女の子を助けようとして、あの人、ワゴン車の前に飛び込んじゃったんですよね」
「ええ?!」
「ちょ、岡本さん、声大きいですよ」
「あ、ごめんなさい。…マジ話なの、それ」
「ええ、マジですよ~。あの人、うちの商業ラグビー部でフォワードとかしてたし、熱いんですよ~」
「へ~、意外っ!」
自販機が「注ぎ終了」の音を上げていた。
「…で、大丈夫だったの?」
「本人はね。大けがして、半年くらいかかりましたけど」
「本人は?って…」
「かばった女の子の方がね、その瞬間は息があったようなんですけど、搬送先の病院で亡くなって。それ以来、やっぱこの日は、思い出いちゃうんじゃないかなぁ」
「そんなことがあったのねぇ…」
園田はどうやって岡本の脇をすり抜けるか、思案していた。


ピッ、ピッ、ピッ、ピッ…
規則的な響き。
よくドラマとかに出てくる機械の音だ。心電図、だっけ?
シュワー、ボアー、こちらもほぼ規則的でゆっくり聞こえる。
意識はぼやけていて、痛みとかよくわからないけれど、臭いや音、いつもと違う寝心地、多分病院なんだろうと思う。
「こんばんは」
また、この挨拶か。今は夜なのか?
「間もなく夜中の2時というところです」
記憶、抹消するって言ってなかったっけ?
「一度は消したんですけどね。この子の想いをげさせてあげるためには、復元するしかなかったんですよ」
自称、死時計なにがしの銀山しろやまは、俺が助けたはずの女の子と一緒に、俺の寝ているベッドの脇に立っていた。よくよく見なくても判る。女の子の姿は半透明に透けて、向こう側の景色が見えた。
俺は、助けられなかったのか?
「いいえ、あなたは2秒の間に、この子を守るように抱えて上手に飛びのきましたよ。距離が少し足りなくて、ワゴン車に足を持っていかれてました。中空で旋回し、背中で全衝撃を受ける羽目になったようです。全身強打と肋骨骨折、それに伴う肺挫傷ざしょう。現在意識不明の重体です。だから、あなたの意識に干渉することができているんですけどね」
銀山しろやまの野郎は、相変わらずふてぶてしい物言いで、文句のひとつも言ってやりたいところだが、どうせ心を読んでいるんだろう。それに、2人が現れた理由を確認したい。
「あなたに提案したように、この子にも提案したのですよ」
例の、10年で2秒、の話か?
「ええ」
銀山が長めの息を吐いた。
「この子は、あなたが飛び込んでいる姿を覚えていて、その2秒であなたがけがをしないように動くことを考えたようです。けれど、時間は同時に再開しましたから、大人のあなたの力の方が、圧倒的に現場を支配したようですね」
時間が再開してからの2秒は、短くも長くもなく、本当にほんの一瞬で過ぎたと思う。それでも、身の丈の大きな大人が一歩遠のくのには十分な時間だったはずだ。ワゴン車に足を持っていかれたというなら、この子の位置が想定とは少し違う場所にずれていたのかもしれない。
「助けられた瞬間、この子は確かに生きていましたよ。けれど、事故を回避された場合に全うし得る残りの寿命が足りなかったのです」
えっ…
「事故を回避した瞬間、残りの寿命が再計算されたのですが、この子の場合、それが3年2か月でした」
銀山はその薄っぺらい唇で、少女が先天性の疾患を持っていたことを明かしたが、その辺りの話は、あまり覚えていない。
「結果は残念でしたが、即死ではなく、母親に抱かれて逝けたことを喜んでいます」
俺は、胸が苦しくて仕方がなかった。
事故現場は混乱していて、俺の意識も朦朧もうろうとしていて。それでも、視界の端に見えたんだ、喜びの声を上げる母親と、その声に答えて声をあげたこの子と…。
助けられた、と思ったんだ…。
「それと、あなたがご自身を責めないか、心配なご様子だったので」
それが、俺の記憶を復元した理由、か。
少女の唇が、ありがとう、と動いたように見えた。
「では、わたくしたちはこれで」
少女の手を取り、銀山は背を向ける。
「残りの人生、どうかお健やかに」
社交辞令のようなねぎらいの言葉を残して、2人の姿が視界から消えた。


あの日もそうだった。底冷えの、雪がちらつく2月14日。
毎年この日は、事故現場となったこの場所にひとりでやって来る。今年は仕事が早く終わったから、早めに来て、早めに帰るつもりだ。時刻は午後5時15分。
ハロウィン、クリスマス、誕生日、結婚記念日、イベントごとの好きな妻は、毎年カレンダーを更新するたび、我が家のイベントをカレンダーに書き込んでいる。
今日はバレンタインデー、ではなく、生存記念日、だそうだ。毎年、もう一つの誕生日といわんばかりに、ちょっと大げさに祝っている。ちなみに、5月26日が自宅療養記念日、8月5日が復職記念日、といった具合だ。
げんかついで、外食はしない。自宅で俺の帰りを待っている。
「今年もいらしたんですね」
「よう」
「声は出さなくていいですよ。他の人には見えていませんから」
そう、俺の目にだけ見える、銀山しろやま。死時計なにがしの、銀山しろやま
「死時計管理委員会。いい加減覚えてもいいと思うんですがね。…何年経ちました?」
銀山がいうには、あの日、女の子の願いを叶えるために復元した俺の記憶は、俺の『徳』のレベルがあがったせい?とかで再回収できなくなったそうだ。実際、この記憶のおかげで、俺は必要以上に俺自身を責めずに済んだし、命の有難さを再確認するために、毎年ここに足を運んでいる。
「降ってきましたね」
事故が起こる場所には何らかの支障がある、らしい。銀山によると、地形や地脈、霊道といった自然的な条件と、建物、道~これは鉄道や下水道も含むようだが~など人工的な条件との組み合わせには相性の良し悪しがあり、悪い場所では事故や事件がおこりやすい、更に一度事故が起こった場所には悪いものがまりやすい…そうだ。
駅近くの繁華街から、大きくカーブした終着地点に当たる交差点。終着、は、執着、と響きが同じ。こういうことも、あちらの世界では要因になるとかなんとか。
事故を起こした運転手とは、翌年こそここで鉢合わせたが、その年の年末に亡くなったと聞いている。銀山がここへ現れるのは、悪いものがまっていないか、再事故が起こらないかの巡視のようなものらしい。
今年は、雪も降っているしな…。
吐く息が、白くなって空に消える。
「あなたがここにいらっしゃることも、要因になるんですけどね…」
それは、申し訳ない…。
「あの子、転生しましたよ」
「え?」
「声、出てますよ」
慌てて、周囲を見回す。人はいるが、車通りもあるし。
「本来、部外者にお伝えすることはないのですが、毎年ここに来る律儀なあなたになら教えてもいいと特別に許可が下りたので」
転生、か。それはいいことなのか?
とどこおりなく輪廻転生のサイクルに乗った、という意味では、良いことと言えなくもありませんが」
幸せになってくれるといいな。
「幸せ、ですか」
せめて、もっと長く生きられると…。
「幸せに長さが関係するかどうかはわかりませんが、長ければ、そのチャンスもしかり、というところですか」
いや、あまりに短いのは、悲しいからさ。
「お優しいですね」
優しい、か。いや、優しくなった、のかな?
あんたのいう、死に直面して、何を残そうかと考え始めて、ずいぶん変わったと思う。
「なるほど」
天気予報では、積雪は1センチ未満と言っていたが、やみそうな気配はない。
「幸せとは、解釈が難しいですね。不幸の積み重ねが、ひとときの幸せを、より輝かせる事もある。幸せな時間が満たされているほど、喪失したときの絶望が大きいこともある。幸せとは、脆弱ぜいじゃく曖昧あいまいなもの」
そんな、身も蓋もない。
「それでも我々は、それを求めるのでしょうね」
不意をつかれた。
銀山しろやまは、「我々」と言った。
俺たちに魂があるように、銀山にも魂があるのだろうか?今まで考えつかなかった。問いただそうとして振り返ると、銀山の姿が景色に溶け込むように消えていくところで。
見逃しそうなほんの一瞬の表情…そう、辛そうに見えたんだ。
降る雪の螺旋らせんに目を奪われていると、もうその姿は消えている。
神出鬼没、得体のしれない、死神みたいな男。
恐らく、この世のモノではない者。
まさか、俺を見守りに来てる訳じゃないよな?それも聞きたかったんだけどな。
大きな弧を描いて車が行き交う。ヘッドライトとテールランプの光の軌跡をしばらくながめながら、答えの出ない問いを繰り返していた。
「さて、そろそろ帰るか」
記念日好きの妻が、待っている。
濡れたアスファルトに、靴の音が吸い込まれる。空は暗くなり、街灯の下だけ、降る雪が見え隠れしている。
ときどき、あの時の、時計の針の反響音が聞こえてくる。
そんなときは、生まれてから死ぬまで、どれだけの時間を刻むのか、なんて考える。
1年が365日、それは8760時間で、52万5600分で、3億1千536万秒。
10年を2秒。寿命の預金を引き出した俺は、あと何年生きられるのか。
「ただいま~」
自宅の扉を抜けると、暖かい光に包まれる。
「あ、おかえり。出来ているよ~」
「おお、いい匂いだな」
「お昼から煮込んでたからね~。絶対おいしいから」
友子お得意のハッシュドビーフだろう。牛すじを赤ワインで煮込んで柔らかくしてから、デミグラスソースで更に煮込むそうだ。
「ねぇ」
コートを脱いでいると、後ろからつついてくる。
「ぎゅ~ってして」
「え、どうしたんだよ」
「いいから、ぎゅ~ってして」
甘えてくる妻。この日はやっぱり、お互い思い出して苦い気持ちになる。だから、俺の方こそ、ぎゅっとしたかったりする。
1年に1度、過去を確かめる日。銀山しろやまと再開する日。
この不思議な体験を、誰かに話すつもりはない。
けれど、せめて生きているうちは、大切な人との時間を大事にしたいと思う。
俺の中で時を刻む死時計が笑っている、ような気がした。


【Next Episode;桜咲く、園薫る】


#創作大賞2023 #ミステリー小説部門

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