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映画「モンドヴィーノ」から考えるワインの“あるべき姿” 後編


 本テーマは前編と後編に分けています。本稿は後編です。

まとめ
・「モンドヴィーノ」はワイン業界の知られざる内幕を記録したドキュメンタリー映画
・ドキュメンタリー映画なので好みが大きく分かれます
・「いいワイン」「おいしいワイン」とは何かを考えるきっかけを与えてくれる映画


こんばんは、じんわりです。

 先回の前編に引き続き、後編となる本稿では映画「モンドヴィーノ」の鑑賞後に考えさせられた、私にとってのワインの“あるべき姿”について頼まれてもいないのに綴ります。
 

「モンドヴィーノ」が提起していると考えられる対比軸

・らしさあるワインと売れるワイン
・原産地とブランド
・ローカライゼーション(多様性)とグローバリゼーション(均一化)
・手仕事「感」と工業的ワイン造り

 前編で書いたようにノシター監督ご自身は「ワインのグローバル化に疑問をもって本作を手掛けたわけではない」とお答えになった一方、上述対比の左側にあたるキーワードが正義として提起されているような印象を強く覚えました。
 ご本人は否定するかもしれませんが、作成段階でそういった恣意があるにせよないにせよ、作品中の対比や描写の仕方は観ている者を誘導できる程に強烈と感じます。

「売れるワイン、ブランド、グローバリゼーション、工業的ワイン造りは悪者か?」

 森羅万象功罪があるはずで、これらキーワードがワイン消費者にとって完全な悪者とは私には思えません。

売れるワインには理由があります。
 ここで言う「売れるワイン」とは、リピートされるワインと理解して頂いても良いでしょう。ワインが売れる要因としてもちろんマーケティングや価格設定等の中身以外の妙もあるでしょうが、私の経験上お伝えしたいことは、おかわりやリピート購入されるワインの多くは、不快な味臭いが極力抑えられた結果、ぶどう本来の良い部分が表現されていてスムースに飲めるワインであるということでなのすね。売り文句などで上手く消費者を誘い出しても中身が伴わない場合は、一晩だけのお付き合いで終わってしまいがちです。

ブランドには功罪があると思います。
 もしかするとブランドという言葉からはなんとなく負のイメージが想起されるかもしれませんが、ブランドが我々に安心を与えてくれることもあるのではないでしょうか。

 作中では原産地とブランドは異なる両極であり原産地はブランドより強いという認識・主張が感じられますが、造り手側ではなく消費者側の目線で考えると原産地もブランドの一種であるように感じます。
 仮に原産地とブランドが厳密には別物であるという理解を尊重したとしても、「原産地>ブランド≒生産者」という考え方には必ずしも賛同しかねます。個人的な経験の範囲では、原産地よりもブランドや生産者でワインを選ぶ方がおいしいワインに出会えることが少なからずありました。無名生産者の特級畑ワインよりも人気生産者の村名や地域名ワインの方が満足度が高かったという出来事などはその好例でしょうか。

 ワインの品質には土地、気候以上にヒトの影響が強く出るのではないかという考えを私は持っています。ぶどうをどのように育てるのか、何をもって適熟とするのか、醸造上の介入はどこまでの強度・頻度で行うのか、どのような醸造技術を選択するのか、などなど・・・、全てヒトの意向判断が必要になりますね。

 テロワールという概念は否定しないのですが、テロワールの要素の中にヒトの影響を織り込んでおり、その寄与度は良くも悪く大きいと考えているのですね。

 例えば、新しいワインとの出会い・発見を強く求めない日であれば、私が知らない生産者のシャンパーニュ¥4,000をスルーして、知名度の高い生産者が造るカヴァ¥2,000弱に手を伸ばすということですね。複数の条件(ワインの品質差と価格差、消費者の腹落ち感など)が揃えば、場合によっては「ブランド/生産者>原産地」になり得るものでしょう。

グローバリゼーションにも功罪があるでしょう。
 輸送や情報伝達手段の進歩により、各産地のローカルワインが否が応にも世界市場に引っ張り出される現状です。日本にも世界中から数えきれないほどのワインが輸入されてきますし、国内でもさまざま生産されています。

 ここまで選択肢が拡大すると消費者にとっては何を選ぶべきかわからなくなってきます。そこでワインに点数をつける特定の著名人、媒体や団体が迷える消費者の進む道に光を照らします。それらが消費者に支持され影響力を持ち始めると、造り手側が採点システムに好まれるようにワイン造りを「寄せて」くるのですね。結果、「世界中で似たような味香りのワインが増殖している、産地固有の『らしさ』が失われている」という懸念の声に至るのでしょう。

 別稿:パーカーポイントに飛びつく消費者はダサいのか? で書きましたが、採点媒体がワインに付ける点数と予算上限を組み合わせてeコマースサイト上でワインを探せば、ワインビギナーの方でもハズすことなく簡単においしいコスパワインを見つけられるようになりました。一方、ワインビギナーの方が勘と偶然を頼りに1本¥5,000円のワインを買って飲んだところ、動物の〇ンチ臭を放つがっかりワインだった・・・、なんてこともあり得るでしょう。
 一部のワインギークの方にとってパーカーポイントは蔑みの対象となりえる反面、ワイン購買頻度も予算上限もある程度限られるであろう大部分の一般消費者さん、特にワインビギナーの方にとって、パーカーポイントは自転車の補助輪のような役割を果たしてくれるでしょう。ビギナーさんもやがてはこなれて、ご自身の基準でワインを選びたくなるものです。最終的には自然と採点システムに縛られず、上手に付き合えるようになると思うのですね。

ワインの工業化は悪なのでしょうか。
 みなさんは「工業化」と聞くとどのようなイメージをお持ちになるでしょうか。環境に優しくなく、冷徹で、画一的、安価な大量生産品のイメージでしょうか。ポジティブではないイメージを抱かれた方が多いのではないでしょうか。
 では「工業化」を「品質安定化」や「科学化」や「お値打ち化」と置き換えてみてはいかがでしょうか。

 ワインは広い意味で加工食品に類します。食品というものはヒトが口に入れるものなので相応の安全担保が必要ですね。にもかかわらず、世間ではワインは農産品として捉えられる側面もあり、消費者から品質のバラツキを許容されるという一種の「甘やかし」を受けている印象を覚えます。もう少し踏み込むと「腐敗した加工食品一般」は受け入れられないのに、「腐敗したワイン」は受け入れられる傾向にあるということですね。

 ワインを一定品質で不快な味臭いなく(=おいしく)造り続けることは意外に困難なものです。その困難を克服して安心安全で安定品質のワインを消費者さんに届けようとすることが工業化の目的のひとつでしょう。

 先述のグローバリゼーションや工業化によってワインの世界的な均一化を懸念する声もあるでしょう。懸念の声の主たちは「均一」の対義語と考えられる「個性」を保存したいのでしょう。しかし、個性と、不快な味臭いを呈することや品質がばらつくことは根本的に違いますね。不快な味臭いや品質のバラツキを排してぶどうとワインのらしさを常に表現することが工業化(=科学化)の目的のひとつでしょう。工業化が必ず個性を消滅させてしまうという考え方に私は賛成できないのですね。

 もうひとつの目的は経済性ですね。大量生産によるコスト効率化、結果としてワイナリーは利益を確保しつつ消費者によりリーズナブルな価格でワインを届けられるようになりますね。

工業化の対比として「手仕事」という言葉はどうでしょうか。
 手作り「感」や手仕事「感」を漂わせる製品はありがたがられる傾向がないでしょうか。それは「緻密・丁寧」「希少性」といったポジティブな印象を想起させるからかもしれませんね。
 個人的な経験則ではありますが、ワインの品質において手仕事「感」と「緻密・丁寧」は無関係である場合が多いこと、作る側が謳う「希少性」と品質は無関係であることも考慮に入れてワイン選びをして頂いた方ががっかりワインを掴みにくいように思います。
 ワイン造りにおいては、工業化や大量生産が必ずしも丁寧な仕事を省略しているとも言えず、工業化だからこそできることもあるでしょう。ワイン造り中で、機械は殆どの場合において人より正確です。人力より強力で大掛かりです。気分のムラなく昼夜疲れずに働いてくれます。もっとも小規模生産者もワイン醸造において何らかの設備装置を使用していますが、大規模生産者のそれらとはスペックがかなり異なるものですね。

 とは言え、ワイン造りにおける手仕事の良さや大切さ、ヒトの介在を否定するものではないのですね。例えば、現時点の科学水準ではワインを味わい緻密に評価することにおいて、機械はヒトを超越できていません。


 映画「モンドヴィーノ」に対して批判的ともとれる私見を綴ってきましたが、私はジョナサン・ノシター氏のファンです。ソムリエのノシター氏が映画や著書の中で好意的にとりあげている産地やワイナリーのワインをいくつか試したことがありますが、今のところおいしいワインばかりなのですね。彼のおかげで面白い映画や本、おいしいワインに出会えたと、感謝尊敬しきりです。彼の著書「ワインの真実」もお勧めの書です。

追記: 社会学者の山下範久先生がご高著「教養としてのワインの世界史」でテロワールやワインのグローバリゼーションなど、「モンドヴィーノ」に関連するテーマについてご高察を書かれています。ワインに関する豊富な知識もさることながら、同著の中で何より価値があるのは随所に綴られた先生のご高察ではないでしょうか。何かを論じるというのはこういうことなのだなと感じさせられます。私も類似のテーマで綴っているはずなんですが、何でしょうか?このクオリティの違いは(笑)
 ワインビギナーの方には少し難しい内容かもしれませんが、ワインギークの方にとっては新発見の連続でハマる一冊になるかもしれません。


さんて!

じんわり


関連稿: 

テロワールについて思うこと。


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