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映画コラム:パリに通天閣を逆輸入した男、フィリップ・ラショー

 昔から漫画・ゲーム・アニメ・映画といったエンタメコンテンツは好きで、気ままに消費している。その際の個人的な鬼門が「日本発コンテンツの海外版実写化映画」であり、コレジャナイ感にガッカリすることが多かった。そういった時、やはり文化の違いやそれに培われた感覚的な壁というものは大きく、簡単には越えられないものなのだなと感じてしまう。

 しかし、その壁を痛快に吹き飛ばしてくれたのが、今回紹介するフランス映画『シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション』(2019年)である。

映画.comより※画像は吹替版

 原作となった漫画『シティーハンター』(北条司)は週刊少年ジャンプに1985年~1991年で連載された作品だ。80~90年代に何度もTVや劇場でアニメ化され、2019年2月には新作劇場アニメも公開された長寿人気作品であり、本作はその同年11月に日本公開されている。

 原作の主人公である冴羽獠(さえばりょう)は、華やかな都会の裏に起こる様々なトラブルを解決する凄腕の掃除屋(スイーパー)。大の女好きでスケベだが、決める時は無敵のガンアクションでバッチリと決める。ハードボイルドな展開やアクションの格好良さ、かつ(下ネタを交えた)ギャグ要素とのギャップある合わせ技が魅力の作品である。本作では原作の魅力が十二分に活かされた面白い作品に仕上がっており、原作の大ファンでもある監督・主演のフィリップ・ラショー氏の原作愛があふれんばかりに感じられる映画だった。とにかく原作へのリスペクトと再現度が半端ないレベルなのである。
 
 原作の舞台は新宿でキャラもほぼ日本人なのに対し、本作の撮影はフランスとモナコでメインキャストは全員が西洋系の方々だ。が、服装をうわべだけそれっぽく似せたというモノではなく、原作で見慣れたいつものキャラの容姿を「袖のまくり具合や服のシワ」レベルまで再現!そこに演技が加わり、原作のキャラ達の存在感がうまく生み出されていた。獠の相棒かつヒロインの香(かおり)が初登場して駅の掲示板で依頼を見つけた時、シーン全体の雰囲気があまりにも原作と違和感が無く驚いたほどである。

 また、原作ではおなじみのシーンとして「100tと書かれた巨大なハンマーを振りかざした香が獠をお仕置きする」というものがある。女好きでだらしない獠にたいするド派手なツッコミといった感じだが、本作では工事用のハンマーをかついだ香が獠を追いかけるという形で再現されている。実写表現ならこうなるか・・と思っていたら、獠の妄想シーンの中でだけは香が原作同様の100tハンマーを持って登場!心憎いファンサービスだ。
 その他、獠と香が自宅兼事務所にしているアパートの外観が原作そのままに再現されているし、原作でのずっこけシーンでおなじみの「飛ぶカラス」も使われている。音楽面も抜かりはなく、獠が銃とアクションで敵をなぎ倒していく見せ場で流れるBGMがなんと日本のアニメ版と同じ!そして映画のエンディングで流れるのはTVアニメ版のエンディングテーマであった「Get Wild」となっている。さらに、「獠は飛行機が苦手」、「香の兄であり獠の元相棒である槇村秀幸、そして獠に協力する警部補の冴子との関係」といった細かな原作設定も劇中に違和感なく組み込まれている。

 このように、展開の面白さだけでなく原作ファンには胸が熱くなる仕込みが散りばめられており、鑑賞しながら「よくぞここまで!」と何度も心の中で拍手してしまった。

 しかし、である。ときたま劇中で「うん??」と強く感じてしまう違和感もあった。例えば、獠が「香、あぶない!」と香を突き飛ばした勢いで彼女が階段を転げ落ちてしまうシーンだ。観ていて真面目に香を心配してしまう落ち方で、原作ではこういう香の扱いはちょっとあり得ない。他にも劇中で子供が看板に顔面をぶつけたり動物が痛々しい目に合うシーンがある。いずれもギャグ表現なのはわかるがドリフターズの体を張ったコント的なものを子供や動物にされてもちょっと笑えないし、原作ではこういった表現はされない。
 「なぜこれだけ深いリスペクトのある監督が原作と違和感のあることを?」と思い、ラショー監督の他の作品をいくつか観たところ、理由がわかった。彼の作品のカラーがそうなのである。驚いたことにヒロインやメインキャストの一部はラショー監督の他作品にも出演していた。つまりあれだけのハマり役だった各キャストは本作専用に揃えたのではなく、「いつもの仲間と、いつものノリで」作っていたのだと思われる。つまり、違和感に感じた部分は原作準拠ではなく「彼らしさ」だったのだ。彼は原作をただ商業的にウケる形で焼き直しただけでもなければ、忠実に原作を再現しようとしただけでもない。彼なりの愛し方で異国の作品を愛し切ったのだ。
 
 本作を観ていると、『シティーハンター』に限らずラショー監督は完全に日本の漫画・アニメオタクであるとわかる。事務所の壁に『聖闘士星矢』をもじったタイトルの絵があったり、獠がクラブで「らんま」という女性に1/2サイズのビールを注文したり、ビーチサイドでハプニング動画を眺めている老人は『ドラゴンボール』の亀仙人と思われる容姿だったりと、オタク的な小ネタが散りばめられている。
 僕自身も含め、オタクは自分が「素晴らしい」と感じるものへのリスペクトがとても強い。と同時に、「刺さる」「尊い」「推す」といったオタク言葉もあるように、自己の美意識や基準で対象を愛でる。これもまたオタクである。よって、ラショー監督はオタクとして原作リスペクトが過ぎる二次創作をした、と言っても間違いはないだろうが、それだけでもない。「明らかに異なる文化を、自分の血肉として取り込んで(ある意味)従えた」というニュアンスがこの作品には含まれている。

 それは例えるなら大阪の新世界にある通天閣が持つようなニュアンスだ。「パリの凱旋門の上にエッフェル塔を載せてみた」という、憧れとリスペクトとお祭り的なノリがないまぜになったような通天閣(初代)は明治45年(1912)に建てられた。その北側から3方向に延びる道路も、パリの放射状の道を模している。これほどまでに当時の最先端としてのヨーロッパ、その象徴としてのパリをリスペクトした出自の建築物であるが、通天閣は大阪のノリに溶け込んだ完全なる「こちら側のもの」となっている。そもそも冴羽獠は、ハードボイルドや銃といった海外の男臭いものを日本へ取り込み生まれたヒーローであり、その点でパリへの憧れから建てられた通天閣に通じるものがある。比喩的に言えば、その通天閣的なものを今度はラショー監督がフランスへ逆輸入して彼の流儀でパリに再建築したものが本作だと言える。彼は原作への愛を示しながらも、フランス映画の、そして彼のノリで新たな魅力ある作品として仕立てあげたのである。

 この映画を観た国内及び海外の原作ファンの反応は総じて好評である。が、同時に違和感を訴える意見も散見される。確かにそれはうなずけるが、まあそう目くじら立てずともいいのではないだろうか。パリに通天閣を自分の流儀でおっ立ててしまった。そこには痛快さと笑いがあり、なんとも『シティーハンター』らしいではないか、と思うのである。

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