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僕は「髪型」を無くしたい~インタビュー:代官山 美容室cheriオーナー三宅氏

 美容師歴31年の三宅正哲さんがオーナー美容師を務める代官山「cheri」は、筆者がいつもヘアカットでお世話になっているお店です。自宅へ招くつもりで三宅さんが全体をデザインされたという店内は、本来美容室では(髪の毛がつくため)タブーである絨毯が木目調の床に敷かれています。低いソファに身を預け、センスと身近さを感じるインテリアに囲まれながらカットを待っている間に、自然と心が落ち着く空間です。そして三宅さんとお喋りをしつつカットをして頂くと、心身そのものが改めて自分にフィットしたような、楽で素敵な気分になります。

 温厚でとてもにこやかな三宅さんですが、超然とした不思議な雰囲気もお持ちです。三宅さんのカットがもたらすこの心地良さはどこからくるのか?一度深く掘り下げてお話を伺ってみたいと、この度インタビューをお願いして色々とお話頂きました。
 内容は想像以上に刺激的で楽しく、多くの人が日常で抱える心持ちにも響くものがあると思い、本記事をまとめました。
※以下、会話のグレー箇所は筆者による部分。話者を示す部分では敬称略。
※事前に内容を三宅さんにご確認いただいたうえで公開しております。

「髪型」を無くしたい

 三宅さんにカットして頂く時って、「今日はどんな気持ちですか?」とか色々と聞いてこられるじゃないですか(笑)。でも、自分のことを振り返ったり話したりがまた楽しくて心地よかったりするんですよ。その辺含めて、どういった想いでカットされてるんですか?

三宅:
 僕は質問魔なんですよ。あと、僕は視るより触る方が対象を理解したりよく覚えていられるんです。なので、質問に答えて頂いた内容や、髪を触った手から、その人の状態に「違和感」を覚えたりするんですね。モテ髪(モテる髪型)だからと毎日それをキープするために手入れをされたりしてると特にそうです。
 僕が髪を切る時大事にしているのは、「その人の本来から極力いじらない」ということなんです。「違和感」の無い状態が美しいと思うので、その違和感を徹底的に取り除くんです。すると髪が本来のありように「変わる」。そうなれば、日常の手入れもほとんどしなくていいんです。

 確かに、三宅さんにカットして頂くと本当に自然なまとまりを感じます。特に日々の手入れをしなくても、髪の毛が伸びてきても型崩れしないのが本当にスゴイなと。

三宅:
 僕は「髪型」を無くしたいんです。そして髪をもっと身体としての扱いに寄せたい。海外でもいわゆるハレの場では髪型を整えますが、日常的に髪型をキメるのは日本や韓国の一部くらいなんですよ。これはメディアやファッション業界により形成された独自の文化だと思っています。つまり、髪型というのは常によそ行きの服で着飾っている髪。生まれつきあるホクロは皆気にせずそのままにするじゃないですか。そのように髪を日常的な身体として感じてほしいんです。

デザイン→コミュニケーションへ

 「髪型」にはデザインするイメージがありますが、それを無くしたいと仰る三宅さんにとって「良いデザイン」とはどういったものでしょうか?

三宅:
 若い頃はやはり他の美容師との競争意識みたいなものがあって、カットしたヘアスタイルに「自分がやったデザインだぞ!」という証みたいなものを残せないかとか考えてました。ジャン・ポール・ゴルチエの服についてるタグのようにね。でも、お客様にはそんなマーキング全く関係ないし価値がない。結局それは自己満足だと気付いたんです。ならばと、お客様から生まれてくるデザインを考えた。コミュニケーションをして、お客様を持ってるものを表現すると、とっても素朴な表現になる。むしろそれを仕事にしようと思ったのが転機でした。今の僕にとってもはや「髪を切る」ということはコミュニケーションの手段であって必須なことではないんです。ハサミを持たない美容師になりたいくらい(笑)。
 あと僕は映画を観たり小説を読んだりはほとんどしないんです。cheriに通ってくれるお客様からのお話が、連載小説の前回からの続きみたいに楽しいんですよ。

哀しみや怒りをハックする

 基本的に「嬉しい」「楽しい」な三宅さんしか見たことがないので、コミュニケーションするこちらも楽しいんです。喜怒哀楽でいうと、哀しんだり怒ったりといったことはあるんですか?

三宅:
 哀しみや怒りってあまり感じないんですよ。元からそうできたわけではなく、そうなれるようにしてきたといいますか。
 28か29歳の頃は雇われ店長をしてたんですが、雑誌に出たり売り上げも好調でした。当時の流行りもあって「カリスマ美容師」とか言われたりしましたが、それが本当に苦痛でした。セルフイメージと周囲のイメージのギャップでうつ病になってしまったんです。
 うつの時って喜怒哀楽が薄れるんですよ。なので、うつって単なる喜怒哀楽のレベルじゃなくて、社会的なものとかが複雑に絡んだ、克服がより困難な上位レイヤーだってわかったんです。例えると、強い痛みは克服できないですが、かゆみは克服できる(我慢できる)じゃないですか。前者がうつ、後者が喜怒哀楽だなと思ったんです。
 それが転機になって、次第にネガティブな感情をハックしようとするようになりました。人の感情って、他者の環境に乗っていくんですよ。例えば、辛い人の話を聞くと辛くなるのはこの人を見ているからそう感じるんだなと思ったんです。同じように夏は暑い、冬は寒いと言っている人を見た時に、それに乗るんじゃなくて「夏は冬の寒さを逃れた、冬はその逆だと思えばいいんじゃないか」と、ここ10年くらいで思うようになりました。そういう風に、怒りとか哀しみが発生しないようハックするのが好きなんですよ。
 最近大事にしてるのは、般若心経で言う「空」の気持ちですかね。良かったこととか優れた実績であっても、心の中に留めない。自己評価をしないんです。「自己」の肯定感ではなく、自己が無いけど満ちる肯定感。自分が融けて無くなっていく感覚です。そうなると、結果的に喜怒哀楽が生まれてこない。とても楽に生きられるんです。

意識的な「アンコントロール」

 三宅さんはカット指導もされるベテラン美容師かつご自身の立つ美容室のオーナーでもあります。しっかりと目標を持って努力されてきたからこその今なんだろうなあと思いつつ、三宅さんご自身はそういった肩肘張った感がなくて、不思議なくらいとても自然体ですよね。

三宅:
 いや、美容師は何となくで始めたものを少しずつ好きになりつつ、辞めずに続けてきただけ。目標たてたり努力したりとか、本当に何もしてないし、できないんです。そういうことができる友人は本当に尊敬してますが、僕は物覚えが悪くて過去を振り返ることができず、先のことを考えられないので未来にも目を向けられない。過去でも未来でもなく「今」に自分の手を入れつつ生きてるだけなんです。逆に言えば、「未来はこうなりたい」という思いが無いので、思い通りになった/ならないとかが無いんです。
 常に目の前のことに対して「こうするとどうなるんだろう?」と実験的に向き合ってきた感じですね。

 僕は「こうなりたい」と未来にばかり目を向けて目の前の現在を疎かにしてしまうことがあったりしますので、三宅さんのスタンスは憧れますね。昔からずっとそうなんですか?

三宅:
 いや、「こうなりたい」と思って全然そうはならなかった経験の積み重ねがあるんですよ。僕は子供の頃ぜん息持ちで運動があまりできなかったんです。でも小学生の頃って運動できる奴がモテるじゃないですか。それで中学では運動部に入ることにしたんです。とはいえサッカーやバスケのような激しいのは無理だからと、卓球部に。・・・卓球部って下手な文化部よりモテないことをその時は知らなかったんですよ(笑)。
 高校に入る時には「今度こそ失敗しないぞ!」と、当時YMOとかのポップミュージックが流行りだったのを踏まえて軽音部に入ったんですよ。「目指せ、坂本龍一!」みたいなノリでしたね。ところが、入ってみたら部の先輩たちが全員ヘビメタやってて(笑)。僕もヘビメタバンドに組み入れられるんですが、僕がやってたキーボードはヘビメタでは軟弱扱いされて出番があまりなかったんですよね。とはいえ、部活は楽しくて当時の仲間は今でも大切な友人です。
 こんな風に「目標を持って始めたけど、その成果(アウトプット)は目指していたものと違った。でも、意図していなかった自分がポッと出せたりして、むしろ良い結果だった。」といったことが何度もありました。そして、「自分では何かをしようとしない(アンコントロール)にしておく方が、かえってラッキーな良い形になるな」と思ったんです。
 自分でどうにかできることなんてこの世界のほんの一部なので、コントロールしようとせずに目の前のことに対処していくほうが僕的には良いんですよ、実際、コントロールしないことを決めたら、人と効率的に関われたり、ラッキーなことが圧倒的に増えたりしてますね。

自動髪切りロボットは、「新しい」けれど「古い」

 三宅さんはテクノロジー×人といった方面にもご関心おありですよね。ご職業からすると畑違いのジャンルであるテクノロジーへ興味をお持ちなのがスゴイなと。以前、Facebookに全自動髪切りロボットを作ってみた人の記事を紹介して「楽しみ!」って書かれてもいましたよね。

三宅:
 数学などの理系的なことはホント苦手で、僕にはやろうとしても到底できません。ただ、テクノロジーはきっちりやったらきっちり動くという、僕が普段向き合う「人」とは真逆の面があります。その「逆」なものを知りたいんですよ。両極端のものの間を揺れ動きながらバランスを取る、「中庸」的な感覚でいたいんです。
 髪切りロボットも面白いんですが、最新の技術で古いこと(=今ある人の仕事)を真似するだけでは意味が無いとも思います。例えば寝ている間に小さなロボット達が髪の毛をカットしたり整えてくれるとかであれば、美容室へ行く時間も節約できて意義があると思います。なぜなら、僕は最高の仕事というのは「自分がいなくなること(自分の仕事が不要になること)」だと思っているんですよ。自分では解決できないことを誰かに依頼するから「仕事」が発生するわけですが、そんなことせずに解決できるのが一番じゃないですか。だから皆が美容師を必要とせずとも髪の課題を解決できるようになるのが僕の理想です。

「粘菌」には社会や森羅万象を感じる


 三宅さんのインスタアカウント:tokyoslimemolds (東京粘菌)の写真や動画には、不思議な美しさや宇宙、生命を感じます。ご自身で粘菌(微生物の一種)を育てて撮影されているそうですが、どういった想いからなのでしょうか?

三宅:
 粘菌の愛好家は森(自然)へ見に行くことが多いんですが、僕はこの魅力的な微生物を東京という都会の人達にも知って欲しくて、盆栽的に粘菌を飼っています。僕が誘導しつつ彼らに描いてもらった合作をアップしてる感じですね。以下の記事で書かれている「微生物の身体性」を身近にしたいなと思ってやっています。
いま都市に必要なのは「微生物の多様性」だ|伊藤光平

 粘菌は脳を持たない単細胞生物ですが集団的な意識があるような動きをしたり、ジェンダーが720もあって分割・増殖・再統合ができたり、自然界におけるバランス調整者であったりします。人間が抱える諸問題(個と集団の関係、ジェンダーマイノリティ、生死や人種)を全く異なる形で解消している社会とも、森羅万象そのもののとも見えますね。自分自身のように感じることもあります。

※筆者としては、個でも全体でもない=「定義をしない」粘菌のスタイルが三宅さんのライフスタイルとシンパシーがあると解釈しました。

終わりに

 今回のインタビューはリモートでの実施でしたが、終えて感じたのは、カットをして頂いた後の様な心地よさでした。仕事へのスタンス、軽い心持ちでいられるライフスタイルなど、三宅さんの手仕事のバックグラウンドに触れ、刺激的で心地よい学びの場を頂けた想いでした。

次にまたcheriへ伺った時、三宅さんと今回のお話をするのが楽しみです♪

好き勝手なことを気ままに書いてるだけですが、頂いたサポートは何かしら世に対するアウトプットに変えて、「恩送り」の精神で社会に還流させて頂こうと思っています。