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独断を行うのであれば人が必要

ウクライナ侵攻から数ヶ月。
ますます戦況は非情なものになっていく。日本のメディアで流れているものなんて一部なんだろうなと思う。今後の戦果の予想は専門家に任せるとして、一国の長であるプーチンが何を重視しているのか。これだけロシアが批難されていることを知らないはずはないし、ウクライナを擁護する意見が世界的にあるのもわかっているだろう。
国の代表は、国に関わる人・ものすべてに責任があるし、幸せにする義務があるように思う。ウクライナ侵攻が、後のロシアの幸せにつながるのであろうか。国の威信が自身の名誉に置きかわってはいないか。それは、後に本人から語られるかもしれないし、誰かの証言によってわかるかもしれない。

ロシアに限らず、会社や組織などで、命令できる立場にある人が、社会のため、会社のためといって独断的に物事を決めていくことはよくある。でもそれは、結局自分のためであるということは案外周りはわかっていたりする。本人には言わなくても、冷たい視線を送りながら、協力するふりをしている。微かな希望を抱いている場合もある。大阪のように、身を切るというセリフに期待して、違うところでは大きな利益を得ている姿をみると、信じられなくなる。独断でもいいが、周りがついてくる決断をしないと、その組織は崩壊が近いともいえる。過去の歴史をみると、英断の裏には、いくつもの愚断というべきものを乗り越えた背景がある。そもそも、英断は下されて終わるのだから、それまで時間がかかったのであれば、思慮の時間や間違いを正す時間が必要となる。それは一人ではできないことだ。

結局、協力者が存在し続けなければ、組織は崩壊する。人的資本の確保。それは利害関係以外でなければ、続かない。人間とは情緒な生き物なのだから。

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