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一人のために書いた記事の方が読まれやすい説
本題の前に、そもそも話
こういう記事のタイトルは、「○○のために書いた記事の方が読まれやすい」と伏せ字にする方がアクセスを集めやすいらしい。
でも、それって読者のためになっているのかな? 自己中じゃね?
私はそういうタイトルを見かけるとイラッとするがみなさんはどうだろうか。
今の時代、信頼されることの価値が高くなっている。釣りタイトルでしかアクセスを増やせない人達はそのことをわかっていない。悲しい人たちであり時代遅れの発信者である。
読みたい記事
なぜだろうか、大衆向けに書かれた記事がつまらないと感じるようになったのは。
ヒットした小説や映画などは実は個人に向けて作られたものが多いという話は知っているのだろうか。
例えば、youtubeという世界的に有名過ぎて知らない人を探す方がめんどいサービスがあるのだが、そもそもみんなのために作ったサービスではない。
創業者がディナーパーティーの動画を共有するために作ったのが始まりだったはずだ。ということでウィキペディアを張っておく(下)
メディア上でよく取り上げられる一説によれば、ハーリーとチェンが2005年の初めにYouTubeのアイディアをひらめいたのは、サンフランシスコのチェンのアパートで開かれたディナーパーティの動画を共有するのに苦労したことがきっかけだったとされている。
ということで、最初は些細なことやたった一人ためにやったことがどこかでバズって大規模になっていくということがあるのだ。
一人ために記事を書く
記事を一生懸命書いているが、なかなか日の目を見ないというのであれば書き方を変える必要があるかもしれない。
万人向けに書くのではなく、たったひとりの友人のために記事を書く。つまり、手紙だ。
「それだったらメールでいいじゃん」と思ったあなたは賢いかもしれない。(私ほどではないけど)
そう、プライバシーというのがあって普通は他人のメールなんか読めないのだ。
だからこそ読みたくなる。それを利用するのである。
もしあなたのメールボックスを全部noteに投稿していけば多少ビューは増えるかもしれない。Amazonからなんか注文が届いているぞとか、楽天ペイ使ったんかいとか、個人情報がダダ漏れである。
暴露系youtuberがいるならプライバシー公開系youtuberがいてもいいだろう。どうせ暴露されるなら全部晒してしまえと。これこそ無敵の人だ。
えっと、なんの話だっけ?
そうそう、記事を書くときは個人に向けて書いてみたらいいかもしれないっていう話だ。たった一人の読者の心もつかめずに誰に刺さる記事が書けるというのだ?
とはいえ・・・?w
なぜか平均以上に「いいね」がついているこの記事で紹介している本。
「大きく考えることの魔術」という話がある。
何事も大きく考えないとダメだよという自己啓発本である。
小さく始めた方がいいとか、個人を感動させた方がいいという話から、いやいや最初から夢はでかくした方がいいよという話まで、何がなにやらごちゃごちゃしているね?w
うん、そうだ。それが自己啓発なのである。
あらゆる物事には例外があって、色んなパターンがある。何が当たるかわからないし時代によっても変化する。
youtubeが最初から世界中の人達に使ってもらうサービスを作るつもりでやっていてもヒットしていたかもしれないし、結局、後付なのだ。
みんなは後付に騙されている。何事も結果論である。株式投資をよくやっていると結果論で物事を語る奴が後を耐えない。
結論をいうと、大衆向けに書いても個人向けに書いても「バズれば勝ち」ということである。(だから試しに個人向けに記事を書いてみたら?)
実際、そういう記事はバズりやすい。そういうことがわかってくると釣りタイトルなんかに頼らなくても良くなり記事を書くのが楽しくなるかもしれない。
これであなたもまた1つ賢く慣れた。(私ほどではないけれど)