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みんな命がけで戦っている

毎日将棋と麻雀をやっているのだけれど、正直言って私は本気でやっていないことがある。

真剣さが足りないと思うことがしばしば。でも、他の人たちは上手い下手に関係なく本気でやっているように思う。やっぱり勝ちたいのだ。勝つためには本気でやるしかないし上達するためには時間は無駄にはできない。でも私は力を抜いている。おそらくニート状態であり「いつでもできる」という環境がそうさせているのかもしれない。

例えば、1年に一回しか将棋や麻雀ができないと思えば、勝ちたいと思うのだろうけれど、文字通りいつでもできるのだ。深夜3時におもむろに始めても誰も文句はいえないし明日の予定もない。

相手の顔も名前も分からないというネットの環境も悪いのかもしれない。仮にリアルでやっていたらヘラヘラして負けていたのでは信用を失いそうだ。みんなが真剣にやっているのだからこちらもその空気に飲まれて真剣にやるのかもしれない。

思い返せば中学、高校、大学と通ったがどの年齢のときもヘラヘラしていたような感じがする。「そもそもなぜ今の社会に適応しなければいけないのか?」と思っていた。「知らないおじさんが作った企業で働くために生まれてきたんだっけ?」とかも考えた。22年間真面目に勉強した結果、よくわからない会社で先輩から命令されて動く人生はつまらないとも思っていた。
だから学校の勉強は全くやる気にならなかった。

* 達人を目指している

私は目先の勝利にこだわっていない。将来的に達人になればいいと思っている。将棋であれば見た瞬間に良い手おもいうかぶ状態だ。麻雀でも同じ。みんなが30秒考えて結果を出すのを1秒でやりたいと思っている。

そういうことを考えると現在の状態を俯瞰して考える必要がありそうだ。とりあえず次の一打をどうするかではない。全体の流れの中でどうするかが重要だと思う。例えば、大阪にいて東京を目指しているとき、少なくとも静岡には行きたいのだ。間違っても四国にいてはいけない。全体として東に向かっていればOKという感じ。細かいことはおいといてざっくりと正しいことはしたいと思っている。とりあえず今は四国に行かないように東に行くにはどうしたらいいかを考えている。とにかく将棋でも麻雀でも全体を見渡している。みんなが目先のことだけに集中しているうちに全体を考える。「木を見て森を見ず」にならないようにしたい。

そういえば、この前「ロングゲーム」という本を読んだ。過去に記事にしたこともあるかもしれない。ついつい忘れていたが昨日うっかり下の記事をみつけた。

人生も将棋も麻雀も明日終わる話ではない。もっと長い目で考えたい。
長期的に考えて今、目の前のことを本気でやるというのは有りだと思うが全体を見渡す余裕も必要だと思う。

夢の中と書いて「夢中」。目の前のことだけに集中して他が見えなくなるとおそろしいリスクを背負うことになるかもしれない。

本気でやるのもいいし、全体を見渡すのもよい。
リラックスして、勝負どころを見極め勝負どころだけ真剣にやって勝利をつかむ。そういうプレイヤーになりたいところだ。