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武士道に生きる。この手帳を「侍手帳」としよう。

このnoteの最初のほうに、以下のような記事を書きました。

記事の最後を、次のように締めくくっています。

「宗教」よりも、この手帳にフィットする概念を、思いつきました。

この概念とは、武士道のことなのです。武士道を生き方の規範としたい、と考えてきました。

武士道にも様々あります。私が手帳に取り入れたいのは「葉隠」です。

葉隠といえば「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」の一節があまりにも有名ですね。そのせいか「目的のためには死を厭わないのが武士道だ」との解釈が広まっていますが、それは間違いです。

実際に「葉隠」を通して読んでみると(もちろん原文ではなく現代語訳ですが)、武士に死を薦めているのではないことがわかるでしょう。「死ぬことと見つけたり」は、死を常時意識することで自由になる、といった意味合いです。

三島由紀夫が著書「葉隠入門」で次のように述べています。

この書物を読んでいくときには、まず武士であるかないかという前提の違いが当然問題になる。そして、その前提の違いを一度飛び越して読んでいけば、そこにはあらゆる人生知や、現代でも応用できるさまざまな人間関係に関する知恵が働いている。

武士でなくとも葉隠は面白いよ、というわけですね。

葉隠にはエネルギーがあふれていて、三島は「行動の哲学」だと述べています。

他者と良い関係を築くための知恵や、人格を高く保つための心構えなども散りばめられています。

そんなわけで、葉隠に関連する本を読み、手帳にメモを書いているところです。

この手帳を武士道手帳、あるいは侍手帳と名付けましょうか。


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